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【#13】セブン・デイズ・ア・ウィーク(前編)

 お昼の西田井家。
 ドン、ドン、ドコ、ドコ。
 シャン、シャン、シャン、シャン……。
 何やら不思議な、祭りめいた音色が響く。
 鳴り止まぬ音楽を聞きながら、厳粛な面持ちで正座するロメ子。
 張り詰めた空気の中で口を開き、こう呪文を唱えた。
「ぱた、ぱた、ぱた、ぽん!」
 どこからか届く、子供のような声が呪文を復唱する。
『パタ パタ パタ ポン!』
 ロメ子は携帯ゲーム機を持っており、音と声はここから出ているらしい。
 呪文の“ぱた”と“ぽん”に合わせ、全身を使ってボタンを押し込む。
「ぱた、ぱた、ぱた、ぽん!」
『パタ パタ パタ ポン!』
「ぽん、ぽん、ぱた、ぽん!」
『ポン ポン パタ ポン!』
 西田井が携帯電話から顔を上げ、何事かと声をかけた。
「あのー、ロメ子さん」
「ぽん、ぽん、ぱた、ぽん!」
『ポン ポン パタ ポン!』
 どうやら聞こえていないようだ。
「ロメ子さーん」
『フィー、バー!』
 突然の雄叫び、一気にお祭りムードが盛り上がる。
 渾身のタイミングでボタンを押し込み続けるロメ子。
「ぱた、ぱた、ぱた、ぽん!」
『パタ パタ パタ ポン! うー、やっほいほい!!』
 ファインプレーだったらしく、小さくガッツポーズする。
 相手の耳元まで近づいて、西田井が叫んだ。
「ロメ子さんってば!」
「ふぎゃあ!?」
 びくりと驚き、ゲーム機を落としてしまうロメ子。
『ガッカリー……』
 が、すぐに拾い上げる。
「あー! 西田井さん何するんですか! コンボが途切れちゃいましたよ!」
 片手でゲーム機を振り回しながら怒るロメ子。
「す、すみません」
 なんとなく謝ってしまう西田井。気が弱いのである。
 ぐしゃー!
 何かがつぶれたような効果音に、ロメ子が再びゲーム画面をのぞき込んだ。
「ぎゃー! しし死んじゃいました! 何するんですかー!!」
 風を切って振り回されるゲーム機。
「……すみません」
 大分釈然としないながらも、西田井は謝った。
 
 
 
第十三話【セブン・デイズ・ア・ウィーク(前編)】
 
 
 
「一週間です」
 西田井が携帯電話でカレンダーを表示し、ロメ子へ突きつけるようにして言った。
 ゲーム機を持ったまま、黙り込んでしまう同居人。
 携帯電話が、もう一段階ロメ子の顔へ近づく。
「一週間です」
 なんとかカレンダーから目を逸らすものの、さらに携帯を近づけられてしまう。
 黙り込む二人。
 仕方ないので、ロメ子がわざとらしく小首をかしげながら言った。
「え? いっ、しゅ……?」
 携帯が、ぎぎぎぎ、とロメ子の右眉辺りを圧迫し始める。
「いたたたたた!?」
「一週間です」
「わかりました! わかりました!」
 ようやく携帯電話が顔から離れた。
 眉毛をさすりながら、ロメ子が恐る恐る口を開く。
「……一週間、経っちゃいましたか」
 携帯をコタツに置きながら、西田井が重々しくうなずいた。
「そうです」
「えーと、ここに来るときに同居は一週間って言ったんでしたっけ? わたしが?」
「そうです。全力で『パタポン』やってる場合じゃないんです」
 再び静まりかえる部屋。
 ロメ子はなるべく話を進めたくなかったので、とりあえずゲーム画面に視線を戻した。
「ぽ、ぽん、ぽん、ぱた、ぽん」
「ロメ子さん!!」
「ヒィ!」
 だが怒られたので、とりあえずゲームは終了させた。
 
 
 西田井が軽く咳払いして、話を続ける。
「この際なので、言っておきたいことがあるんです」
 ロメ子は思った。絶対に楽しい話題では無い。
 というか、西田井がこんなに真剣な顔をしている所、久しぶりに見た気がする。
「ロメ子さん、あなたはここに来てから」
 すうう、と西田井の人差し指がロメ子に向けられる。
「ゲームしかしてないじゃないですかー!!」
「げっふう!」
 言葉にアゴをがつんとやられ、ロメ子が畳に倒れ伏す。
 普通ならKOものの衝撃である。
 だがロメ子は力を振り絞って起き上がり、なんとか反論を試みた。
「だ、だって、外にも出られませんし」
「そうですか……だったら、あなたは」
 またもや、すうう、と西田井の人差し指がロメ子を捉える。
 両腕をクロスさせ、衝撃にそなえるロメ子。
「何のためにここに居るんですかー!!」
「いだぶっ!」
 対ショック姿勢の甲斐もなく、後ろ向きに吹っ飛ばされて頭を打つロメ子。
 少し経って、よろよろと起き上がった。
「う、うう、ひどいです」
「ひどいじゃありませんよ!」
 満身創痍のロメ子に、容赦ない西田井のお説教が続く。
「大体、こっちには出稼ぎに来たんでしょう!? それがなんですか、この部屋で毎日毎日ゲームばっかり!」
「うう」
 正論過ぎて全く言い返せないロメ子は、ただただお説教の乱打に耐えるしかない。
「そもそも、先の見通しが全然立ってませんよ! 村の人たちも心配してますよ?」
「ううう」
 やはり言い返せないロメ子。両手で耳をふさいで耐える。
「変装キットを取り寄せるなり、方法はあるはずですよ! それもしないで(以下略)」
 西田井のお説教がクドクドと続く間、ロメ子は耐えていた。
 必死に耐えていた。
 だが、人には誰しも限度というものがある。
 ぶちん!
 何かが切れた音がした。
「も、もういいですっ!」
 突然ロメ子が大声を出しながら立ち上がったので、西田井がビックリして口をつぐんだ。
「に、西田井さんの……西田井さんの……」
 げんこつで両目をぬぐう。
 目に入った自分のナップザックをひっつかんだ。
「おたんこなすびーっ!」
 叫びながら部屋を飛び出す。
 後ろから西田井の声が聞こえたが、ロメ子は止まらなかった。
 
 
「はあ……」
 ロメ子は近くの山の中腹、道路沿いのベンチの上で白い息を吐いた。
 すっかりぬるくなったペットボトルの緑茶を飲み干す。
 なんだか情けないし、みじめな気分だ。
(わたし、やっぱり迷惑だったのかな……)
 西田井は何も言わなかったが、本当はそう思っていたのかもしれない。
 くす、と苦く笑う。
(当たり前か)
 突然押しかけて同居を決めて、何も思わないはずもない。
 両手で緑茶のペットボトルを握りしめた。
(これからどうしよう?)
 ベンチからは、夕焼けに燃えるような加尾長市が一望できた。
 気温はすっかり下がってきて、氷点下に達しようとしている。
 ずっとここに居れば、おそらく凍死するか、じきに動けなくなるだろう。
(でも……)
 目をつむる。
 今はとにかく、ここに座っていたかった。
 刺すような空気を味わっていたかった。
(もう、いいや)
 いつの間にかロメ子はベンチに身体を横たえ、眠りに落ちていた。
 
 
 
 
「うーんん」
 少しして、身体を起こす。
 と同時に、両目をパチクリさせた。
 なんと、加尾長市の市街が消え失せていた。
 代わりに山の斜面に沿って、美しい棚田が広がっている。
 階段のような田んぼのすぐ向こうには、広い海と小さな島々。
 見上げれば、青空と白い雲。
 塩気の混じる空気が髪をなぶった。
(ここ、わたしの村だ)
 ロメ子は帰ってきていた。
 棚田を見下ろす位置にある、農道の脇に座っているらしい。
 田んぼの中には、稲を収穫するゾンビたちがたくさん見えた。
 ロメ子の目の前の道を、たわわに実った稲束を積んだ荷車が横切る。
 体長三メートルもあろうかというタランチュラが引っ張って、運んでいるのだ。
 のどかな景色である。
(なんだ、夢か)
 ロメ子はぼんやりと理解した。
 懐かしい。
 タランチュラが通り過ぎると、突然何かに視界がふさがれる。
 右から左に流れる縞模様。
 今度は胴回りが三メートルありそうな巨大蛇が、ずるずると道路を進んでいるのだ。
 おとなしいが、この蛇が居る間は誰も通れなくなる。
 手を伸ばして、ちょっと触ってみた。
 しっとりとして冷たい。
 風景、匂い、感触。
 ここまで故郷の記憶が鮮明なことに、ロメ子は驚いた。
「あれ、ロメ子ちゃんじゃなかね!?」
 誰かに声をかけられたので再度びっくりし、横を向く。
 農家のおじさんがこっちに走ってきていた。
 大きな麦わら帽子を被り、首に巻いたタオルで汗を拭いている。
 もちろんロメ子と同じように肌は真っ白で、目も死んだ魚のようだ。
 近くまで来ると、ロメ子の両手を持ってぶんぶん振る。
「いつの間に帰って来とったとか! 本当に久しぶりたいねえ!」
「あ、あはは」
 笑っていたおじさんが、ふと小首をかしげた。
「でん(でも)、もう仕事の終わったとかい?」
 しまった、さすがに帰ってくるには早すぎたらしい。
(ど、どう説明しよう?)
 苦笑いしながら、ロメ子は知恵を振り絞った。
「ち、ちょっと、忘れ物があったけん、そいで帰って来たとよ」
「そうねそうね! まあ、ゆっくりしていってくれんね」
 ぽんぽん、と肩を叩かれる。おじさんの弾けるような笑顔。
 故郷の相変わらずの様子に、ロメ子は安らぎを覚えた。

【#12】バナナナ

 夜の西田井家。
「バナナって、あるじゃないですか」
 西田井は漫画雑誌から顔を上げ、声のした方を向いた。
 真剣な顔のロメ子と目が合う。
「……ありますね」
 質問の意図が分からないが、とにかく返事だけはしておく。
 ロメ子はその返事を厳粛な面持ちで受け止め、そして次の言葉を口にした。
「あれって、踏んだら本当に滑るんですかね?」
 西田井は少し時間をかけて考え、漫画の続きを読むことにした。
 
 
 
第十二話【バナナナ】
 
 
 
 十分後、西田井の部屋の前の廊下。
 張り詰めた空気の中、二人は廊下の端に立っていた。
 廊下は焦げ茶色をしたフローリングで、端から端までが大まかに十メートルほど。
 その真ん中に、バナナの皮が設置されている。
 ちなみに二人はジャージ姿だ。
「あのー、ロメ子さん」
 西田井が、おそるおそるロメ子に声をかけた。
「なんでしょう」
 まっすぐバナナを見据えたまま、言葉だけで返事をするロメ子。
「やっぱりやめません?」
 その言葉に、ぐりっ! とロメ子が西田井の方を向いた。
「なんでですか、ここまで準備して!」
「いやだって、やっぱりバカバカしいというか、ベタすぎてどうせ転んだところで笑いも起きないし……」
 激高したロメ子の平手が、西田井のほっぺたへ伸びる。
「このバカチンがー!!」
 ばちーん!
「あいたーッス!!」
 床へ崩れ落ちる西田井。
 ちなみに、西田井のほっぺたには何も当たっていない。
 ロメ子は自分の手と手をぶつけて音を出したのだ。どうでもいいことだが。
 それでも西田井は自分のほっぺたを押さえ、ロメ子を仰ぎ見る。
「ロメ子さん何を……」
「コーチと呼びなさい! 西田井さ……西田井、くん!」
「こっ、コーチ!」
 西田井を助け起こすために手を伸ばしながら、ロメ子は一転して優しい表情になる。
「やってみなくては、何も分からないわ。そうでしょう?」
「コーチ……」
 ロメ子の手をしっかり握り、立ち上がる西田井。
「わかりました、わたしやります! 頑張って転びます!」
 胸の前で両手のげんこつを作る。
 なぜか性別の設定も変わってしまったようだ。
「よろしい!」
 ロメ子コーチは満面の笑みでうなずくと、ジャージのポケットから金属製のホイッスルを取り出した。体育の授業でおなじみの笛だ。
「では、この笛をわたしが吹きます。それを合図に、この廊下をこちらの端から」
 指で廊下の向こうを差す。
「あちらの端まで走るのよ。いい? バナナが見えても、決して減速せずに走り続けて」
「はいコーチ!」
 元気よく返事をする西田井。
 厳しい表情になり、廊下に鎮座するバナナを見据える。
(待ってなさいよ……あなたを踏んで、全力で転んでみせる!)
 誰にともなくうなずくと、廊下の端に立ち、スタンディングスタートの姿勢を取った。
 
 
 西田井の横に立つロメ子が、教え子を戦地に送り出す教師のような心境で声をかける。
「頼んだわよ」
「はいコーチ」
 二人でうなずきあうと、再び西田井が前を向いた。
 ロメ子がホイッスルを口に咥える。
 そして、吹いた。
 ピッ!
 走り出す西田井。
 とは言ってもバナナまでは五メートルほどしか無いので、到達までは数秒だ。
(走り続ける……走り続ける……!)
 世界の全てが、スローモーションのように遅く動いている。
 バナナの横に、下宿の一階と二階をつなぐ階段があるのが見えた。
 もし転び方がまずければ、そちらへ倒れこんで大惨事を招かないとも限らない。
 西田井はバナナの恐怖に圧倒されそうになりながらも、一心に身体を駆動させ続けた。
 バナナ到達まであと三歩。
 あと二歩。
 一歩。
 西田井の右足が、バナナを捉えた。
(神様……わたしを守って!)
 バナナの皮に、西田井の全体重がのしかかる。
 未だ体験したことのない、するはずも無かった強大な圧力を加えられ、バナナの構造が悲鳴を上げたようにさえ思えた。
 そして。
 
 西田井は廊下の反対側まで無事に走りきり、止まった。

 廊下にイヤーな空気がたちこめる。
 とりあえず、西田井は廊下を歩いて戻ることにした。
 時間をかけたかったが、廊下は短い。すぐにロメ子の所へたどり着いてしまう。
 お互いに黙ったまま、目を合わせようとしない。
「……あのー」
 西田井が口を開いた瞬間、
「ば、バカチーン!!」
「いでぶーっ!」
 対処に困ったロメ子に、とりあえず殴られた(音だけ)。


 三十分後。
「コーチ! わたしもうダメです! もう出来ません!」
 西田井はまたも床に倒れていた。
 先ほどからかれこれ二十回以上、西田井は廊下を走り抜けている。
 そのたびに急激な加速と減速を繰り返しているので、脚に相当な負荷がかかっている。
 若いからと運動不足を放置してきた大学生の身体には過酷だ。
「立って! 立ちなさい! 西田井くん!」
「もう無理です、コーチ!」
「くっ……」
 心底悔しそうに、廊下の真ん中を見つめるロメ子。
 そこにある黄色い物体が、二人の努力をことごとくはねつけてきたのだ。
 まるで二人をあざ笑うかのように、皮の表面が照明を反射している。
「思ったより難しいわね……」
 実際、バナナの皮で滑るのは想像以上に難しかった。
 そもそも、一回目でバナナの皮を踏めたのが奇跡に近かったのだ。
 全力で走れば走るほど、偶然バナナの皮を踏む確率が低くなった。
 バナナの皮を踏もうとすれば、速度が落ちて転びにくくなってしまった。
「コーチ! ジャンプして踏みつけても転べないんじゃ、もう無理です!」
 最後の手段として、バナナの皮を踏んで急ブレーキをかけてみたのだ。
 しかし、それでも転ぶことは出来なかった。
「何を言っているの、西田井くん! まだ諦めるには早いわ!」
「でもコーチ、もう出来ません!」
「出来ないんじゃないの!」
 すう、と息を吸い込み、一喝する。
「やるのよ!!」
 有無を言わさぬコーチの迫力に、それ以上何も言えなくなってしまう西田井。
 よろめきながらも、なんとか立ち上がる事が出来た。
 ロメ子がうなずき、バナナを指さしながら指導を始める。
「いい? 西田井くん。必要なのはスピードと、そして確実性よ。全力で走りつつ、的確なポイントを狙って踏む。このとき、バナナを」
「はいコーチ! 質問です!」
 ロメ子の説明を途中でぶった切って、西田井が手を挙げた。
「なに? 西田井くん。説明がまだ終わってないわ」
「コーチが見本を示してください!」
「え」
 コーチは固まってしまった。
 
 
 スタートの位置についたロメ子の隣で、西田井がホイッスルを持って声をかける。
「位置について。よーい」
 ホイッスルを咥えて、吹いた。
 ふぃー!
 うまく鳴らなかったが、とにもかくにもロメ子は走り出す。
 全身をバネのように躍動させ、バナナ目がけて突進していく。
(スピードを殺さず、かつバナナを確実に仕留める!)
 バナナが迫ってくる。
 その存在感は、そびえ立つ壁のように思えた……しかし、越えなければならない。
 空気が蜜のようにとろとろと流れる中、ロメ子は躍進し続ける。
 バナナ到達まであと三歩。
 あと二歩。
 一歩。
 ロメ子の左足が、バナナを捉えた。
(いける!)
 
 そして、そのまま廊下を走りきり、止まった。
 
 あからさまに目を逸らしながら、西田井の所へ戻ってくるロメ子。
「いや、違うんです」
 何も聞かれていないが、とりあえず否定した。
 
 
 廊下に座り込んでしまう二人。
「もう無理ですコーチ。諦めましょう」
 本気で止めたい口調でロメ子を諭す西田井。
「で、でも、西田井くん。きっと次こそはうまくいくんじゃないかなー、って」
 ロメ子も先ほどの失敗以来、あまり強く言えなくなっている。
 このまま挑戦が終了するのか、と二人が思っていた、
 そのとき。
「あれ? おーっす! なにしてんのー?」
 一階から、板石が階段を上って現れた。
 ジャージ姿で廊下に座り込む二人に驚いている。
 西田井が説明しようと、口を開きかけた。
 が。
 
 すぽーん!
 
 なんと、板石がバナナを踏んで、転んだ。
 しかも両足が完全に天を突き、背中が床に着く――理想的な体勢で。
 宙に浮かぶバナナの皮を、ジャージの二人が驚愕の表情で見つめる。
 マット運動の後転のような体勢になってしまった板石は、勢い余ってそのまま階段を後ろ向きに転がり落ちていった。
「な……そんな……」
 言葉がうまく出てこない西田井。
「完璧だわ……」
 魅了された表情のロメ子。
 西田井が床に両手を突き、がっくりとうなだれる。
「あんなに完璧なフォームで、一回で決めるなんて……わたしには無理です。彼のような才能はありません!」
「いいえ!」
 ロメ子の力強い言葉に、西田井がはっ、と顔を上げる。
「あなたに足りないものは、才能じゃない。それは努力よ!」
「努力!?」
 ロメ子がうなずき、続ける。
「板石くんも、初めからあれが出来たわけじゃないわ。血のにじむような努力があるからこそ、今の板石くんがあるのよ!」
 その言葉を聞いて、西田井の両目に活力が戻ってきた。
 勢いよく立ち上がる。
「コーチ! わたし、やります! あと何度でも!」
「その意気よ、西田井くん!」
 ロメ子も立ち上がった。
「あなたとわたしで、バナナの星を目指すのよ!」
 天井の適当な染みを選んで、指差す。
「はい、コーチ!!」
 寄り添って天井を見上げる二人。
「おーい……助けてくれー」
 一階から小さく板石の声が聞こえたが、とりあえず無視した。

【#11】おかわりいただけるだろうか

「ただいま帰りましたー、ってうわ暗っ」
 コンビニのビニール袋をぶら下げながら、西田井は自室のドアを開けた。
 大学から帰ったら食べるものが一切無いことに気づき、買い出しに出ていたのである。
 なぜか部屋は真っ暗になっていた。だが停電ではないらしく、テレビ画面だけは明かりを灯している。
「おかえりなさい」
 ロメ子がテレビから顔も離さずに答えた。これはいつも通りだ。
 ……が、様子がおかしい。
「あれ? ゲームじゃないんですね」
 いつもなら、バイオハザード系のゲームで同族狩りの真っ最中だろう。
 しかし今は、テレビ画面の前で体育座りになり、固まったようになっている。
 西田井がロメ子の後ろから画面をのぞいてみると……。
『これは、大学生の投稿者が夏休みに、山中のバンガローで行われるセミナーに参加した際の映像である』
 いかにもホームビデオで撮った風の荒い映像に、生気のない低い声が被さる。
 どうやら怪談系の番組らしい。季節外れもいいところである。
 場面はバンガローの中だ。
 並んだ学生たちが、和やかな雰囲気の中、順番にマイクを握って自己紹介をしている。
 と、映像が終わった。
『さて、どこに霊が映っていたか、おわかりいただけただろうか』
 出来ればあんまりおわかりいただきたくないなあ、と視聴者に思わせつつ、映像が最初から再生される。
 と、急に画面の一部分がアップになった。
『窓枠に女性の人影が映り込んでいるのが、おわかりだろうか』
 ロメ子の身体が感電でもしたかのように、びくんと跳ねる。
 確かに映り込んでいた。そこに居るはずのない女性が、窓から中をのぞき込んでいる。
 西田井も思わず、小さく悲鳴を上げた。
『このバンガローで無念の死を遂げた女性の霊が、セミナーに参加したがっているとでも言うのだろうか……?』
 知るかい! と視聴者に思わせつつ、番組はCMに入る。
 西田井が大きく息を吐きながら、部屋の電気を点けた。
「いやー、怖かったですねえ~」
 ロメ子からの答えはない。
「ねえ、怖かったですねってば」
 ちょっと肩を突っついてみた。
 ごろん。
 ロメ子が体育座りの姿勢のまま、床に転がった。
「ろっ、ロメ子さーーーん!?」
 顔は完全に血の気を失って、まるで大理石のようだったという。
 
 
 
第十一話【おかわりいただけるだろうか】
 
 
 
「ご心配おかけしましたー」
 あははと苦笑いしながら、頭に手を置くロメ子。
「何事かと思いましたよ。もう」
 ヤカンを火にかけながら、やれやれとため息をつく西田井。
 意識はすぐ戻ったのだが、あれは心臓に悪い。
 西田井はロメ子の対面に座ると、事の原因を明らかにする作業に取りかかった。
「で、なんでああなったんですか?」
「そのー、ですねえ」
 言いにくそうに、ロメ子が目の前に置かれた生肉をびよんびよん引っ張って遊ぶ。
 少し経って、顔を上げた。
「怖い話が苦手で」
「……じゃあ、さっきは怖すぎて失神したって言うんですか?」
 うなずくロメ子。
 漫画かよ、と西田井は思った。いくら恐がりとはいえ、限度というものがある。
(んん?)
 西田井が何かに気づき、突然こたつの天板を両手で叩いて立ち上がった。
「異議あり!」
 叫びながら、戸惑うロメ子に人差し指を突きつける。
「怖いものが苦手……ならば、なぜ先ほどのテレビ番組を見ていたのですか!」
 背後に雷が走る勢いで、ロメ子がショックを受ける。
「そ、それは、その……たまたまやってたので」
「異議あり! 怖いのなら、すぐチャンネルを変えれば良かったではありませんか!」
「あぐ!」
 言葉が質量を持ってぶつかって来たかのように、ロメ子がのけぞる。
 大きく息を吸い込み、西田井はとどめの一撃を見舞った。
「あなたは好きであの番組を見ていたんだッ! 部屋の電気を消して雰囲気作りまで周到に行って! 違いますか、ロメ子さん!!」
「あ……あ……」
 今度こそ、ロメ子は論破されてしまった。
 打ちのめされ、畳に両手をついてうなだれる。
「そうです、全て検事さんの言うとおりです」
 うなだれたまま、犯行を認める供述を始めた。
「わたしは怖がりなのに、怖い番組をついつい見てしまうんです。やめられないんです。ダメな女なんです、ダメダメダメ子なんです」
 ううう、と涙ぐむロメ子の顔の前に、西田井がそっと手を差し出した。
「ロメ子さん、自分を否定することはありませんよ。怖いもの見たさなんて、誰にでもある感情じゃないですか」
「西田井さん……」
 ロメ子はそのとき、西田井の笑顔に後光が差しているような気がした。
 まあ、ロメ子を追い詰めたのも西田井なのだが。
 差し出された手を取り、身体を起こす。
「あの、あ、ありがとうございます」
 もじもじと礼を言う。
「いえいえ。じゃあ、これは本当にあった話なんですけど」
「ええ。え?」
 スムーズに怪談が始まっていたので、ロメ子はあやうく聞き流す所だった。
 
 
「ぎゃー! ぎゃあー! あーあー聞こえなーい! くれー、なずむー、まちのー!♪ ひかーりと、かげのー、なーか!♪」
 目をつむったまま、両耳に手のひらを当てて騒ぐロメ子と、
「ロメ子さん落ち着いて! やめてます! もう話やめてます!」
 その肩をゆすぶって正気に戻そうとする西田井。
「ほ、ほんとですか……?」
 ロメ子がおっかなびっくり、そろそろと目(涙目)を開ける。
「ええ、ほんとですとも、ほんとですとも」
 西田井が激しく上下に何度も首を振ると、信頼と疑惑の間を揺れ動く表情で、そーっと耳に当てた手を離していく。
「でね、そのときトンネルの壁からにゅうっと赤い手が伸びて」
「ぎゃわー!」
 再び大騒ぎを始めるロメ子。
 しまった、またやっちまった。
 西田井は後悔した。
 ロメ子のリアクションが大きくて面白いので、ついついイジりたくなってしまうのだ。 これではしばらくの間、西田井が何か言うたびに警戒されてしまうだろう。
 あごに手をやって、打開策を考える。
 ぴん! (頭上に豆電球が灯る音)
 思いついた。
 またもや大声で歌を口ずさみ始めたロメ子の眼前に、西田井の手のひらが伸びる。
「落ち着いてください!」
 そのままたっぷり五秒、二人の動きが止まった。
 ロメ子が十分に落ち着きを取り戻したところで、はっきりと次の言葉を口にする。
「これは……怖い話ではありません!」
「え」
 きょとんとした顔になってしまうロメ子。無理もない。
 西田井が厳粛な面持ちで言葉を継ぐ。
「僕は『本当にあった話』をしようとしているだけです。それが怪談だとは一言も言っていませんよ」
「え、で、でも、さっき『赤い手が伸びて』って……」
 涙目のまま、弱々しく抗議の声が上がる。
「そうです。が、怖い話ではありません。信じてください」
 真剣なまなざしでロメ子を見つめると、そろーっと耳に当てた手が外れていった。
「……わかりました」
「ありがとうございます」
 咳払いして、話を続ける。
「それでですね、赤い手が」
「ぎゃー!」
「早い!」
 つい反射で大声を出してしまったロメ子を、またも揺すぶって正気に戻す西田井。
「ロメ子さん、早いです。ちょっとは聞いてください」
「す、すみません」
 正座のまま頭を下げるロメ子。
「よろしい。手はおひざ。ひざの上に乗っけて。よし。では続きを話します。何があっても耳をふさいだりしないでくださいね? いいですね?」
「ぐ……はい」
 若干納得はいっていないものの、ロメ子はうなずいた。
 
 
「では最初から話しますね。えー、その友達の友達をA君とします。
 ある蒸し暑い日にね、A君がコンビニの帰り、暗いトンネルを通ったんですよ。
 そう、そこにあるトンネルです。この家の近くの」
 怪談じゃないと言うわりに、西田井は声を落とし、地獄の底を見つめるかのような暗い表情で淡々と話をすすめる。
 もうこの時点でロメ子は大声を出したくなっていたが、そうもいかないので唇を噛んで耐える。
「そしたらね、突然、目の前にニュッと何かが垂れた。
 おや? なんだろうなー、なんてA君がそれをじいーっと見つめていると、ぶらぶら揺れているそれは」
 劇的効果を狙ったとしか思えない一拍の間を置いて、言葉を継ぐ。
「血まみれの、真っ赤な手だったんですよ」
「ぎゃ……」
 ロメ子は声を上げられなかった。西田井がジトっと見つめていたからだ。
 なんとか悲鳴を飲み込む。約束なのだから仕方ない。
「A君は怖くなって、悲鳴を上げながらトンネルを出ようとした。
 すると……赤い手がこう、言ったそうなー」
 突然語り口が民話調になったので、ロメ子はおや様子がおかしいぞ、という顔になる。
「『もしもし、そこの若いの。ちょっと頼まれごとを聞いてくれんかのう』
 A君は怖かったが、仕方なく話を聞くことにした。
『わしはの、このあたりで昔、戦争があったときにの。
 崩れた崖につぶされて、死んでしもうた、ものなんだがのう』」
 なんでおじいさんの口調なのかはわからないが、西田井の語りは続く。
「『ひとつだけ、心残りがあっての。許嫁が居ったんじゃ、若くて気立ての良い娘だった。
 しかし、わしが死んでしもうた今、その娘がどうしておるのか知りたくてな』
 そこで赤い手が、何かを持っていることに気がついた。
 若い娘が写っている、古い写真だった。
『この女の子ですか?』
 とA君が聞くと、
『そうじゃ。わしなどには不釣り合いな良い娘での。わしの事などさっさと忘れて、誰かと幸せになってくれとるといいんじゃが……まあ、あんたが知っとるはずもないな』
 赤い手はそう、少し悲しげに答えた。
 A君は、その写真に見覚えがあった」
 身を乗り出すロメ子。すっかりツッコミも忘れている。
「『あの、知ってます。これ』
 A君は財布から写真を取り出した。赤い手は心底驚いた様子でそれを受け取った。
『僕の、祖母です』
 A君は自分のおばあさんの話を始めた。おばあさんは戦争が終わった十年後に結婚し、自分の母を産んだこと。
 死ぬ間際まで腰も曲がらず元気で長生きし、自分を可愛がってくれたこと。
 でも許嫁が居たという話は、一度も聞いたことがなかったこと……。
『なるほどのう、なるほどのう』
 赤い手はとても、とてもうれしそうに笑った。顔があったら、涙を流していただろう。
『良かった、良かった! ははは、ははははは!』
 笑いながらすーっと消えて、見えなくなってしまった。
 最後にひとつだけ、A君は嘘をついた。でもそれで良かったと思った。
 赤い手はその後、もう二度と現れなかったそうな……おしまい」
 話を終えると、西田井は改めてロメ子の方を見た。
 ぽかーんとしている。
 いかん、やっぱり無理があったか、と思った直後。
「いい話じゃないですかー!!」
 突然大泣きされたので、西田井の方が驚いてしまった。
 
 
「ね? 怖い話じゃなかったでしょ?」
 ロメ子が落ち着いてから、西田井は声をかけた。
 ちなみに、ヤカンのお湯は温めなおしている。
「ええ、良かった……おじいさんが成仏できて本当に良かった……」
 すっかり騙されて涙を拭くロメ子に、西田井の心がちょっと痛む。
 しかし、一分も考えずにアドリブで語った話にここまで感動されるとは。
 ロメ子の将来(余生?)が少し心配である。
 ヤカンの湯が沸いたので、西田井はキッチンに立った。
 コンビニで買ってきたカップ麺のふたを開ける。
「あれ!?」
 そこで、何かに気づいた。
 
 
(最悪だ……)
 西田井は下宿を出て、コンビニにとって返していた。
 あろうことか、箸をもらい忘れていたのである。
 コンビニに行くには、先ほどロメ子に語った「あの」トンネルを通らなければならない。
 そんなに長いわけでもないが、中が暗いトンネル。夜は不気味である。
 さっきは無理矢理良い話にしていたが、よく考えたら「赤い手」なんてものがトンネルの壁から伸びてきたらメチャクチャ怖い。
 覚悟を決めて、トンネルに入る。
(出ない出ない、霊なんて出ない。お化けなんて居ないさ、お化けなんてウソさ)
 心の中で念仏のように唱えながら進む、と。
 壁からにゅっと手が突き出た。
「あー、すまない。ちょっとこの娘について……」
 手が喋ることもろくに聞かず、西田井は下宿へ向けて走っていた。
 
 
 
 
 その姿を見送りながら、中年男性が頭を掻く。
 トンネルの出口へ急に現れただけで、ここまで驚かれるものだろうか?
 手に持った写真を眺め、
「あいつに、こんなゾンビと同居する度胸はなさそうだな」
 そうつぶやくと、コートの中に写真をしまい、帽子の位置を直す。
 聞き込みを再開するため、どこかへ歩き去った。

【#10】現金に身体を張れ

 朝の西田井家。
 西田井がコートを着込みながら、
「あのー、大丈夫ですよね?」
 テレビの前でコントローラーを華麗に操り、ゾンビをさくさく殺しまくっているロメ子に声をかける。
「何がですかー?」
 ロメ子はテレビから目を離しもしない。
「僕が留守にしてる間です。ちょっと桑潟市の方へ行ってるので、何かあってもすぐは帰って来られませんからね?」
 桑潟市とは、桑潟県の県庁所在地であり、西田井家のある加尾長市からは電車で一時間ほどかかる距離にある。
 板石が(桑潟市の映画館でしか上映していない)新作の映画を観たいというので、それに付き合って西田井も出かけるのだ。
「もー、大丈夫ですよう」
「いや、こっち見て言ってください」
 渋々ながらロメ子がゲームをポーズ画面にして、西田井の方を向いた。
「大丈夫ですってば。そんなに信用できませんか?」
 ありゃ、ちょっと怒ってるな、と西田井は思った。
 全く心配しないのもどうかと思うが、かといって過剰に心配しすぎても、その人を信頼していない事になってしまう。
(そうだよな。いかにロメ子さんといえども、半日お留守番してる間で事件に巻き込まれたりもしないだろう)
 不安を振り切るように頭を振り、西田井は出かける事にした。
「……わかりました。それじゃ、いってきます」
「はーい。いってらっしゃーい」
 ドアが開き、再び閉じた。
 
 
 少し経って。
 ピリリリ! ピリリリリ!
 誰かの携帯が鳴ったが、ロメ子はゲームに没頭していた。
 きっと西田井の電話だろう。
 早く取ればいいのに。
(って! いま西田井さん居ないじゃん!)
 あわててゲームを一時停止し、自分の携帯電話に手を伸ばす。
「はい、もしもし!」
 そのまま、相手の話に耳を傾ける。
「え、俺? 誰ですか? 西田井さんですか? ……ああ、やっぱり!」
 またもや、相手の話を聞く。
 どんどんと、ロメ子の眉根が寄っていく。
「ええええ!?」
 床から浮くくらいの勢いで、大声を出しながら立ち上がる。
「に、西田井さんが事故を起こして、早くお金を振り込まないと留置場にー!?」
 あわてて部屋を出ようと走り出したが、方向を間違えて壁にぶつかってしまった。



第十話【現金に身体を張れ】



 というわけで、ロメ子は近くの銀行に入った。
 整理券を握りしめて、待合室のソファーに座って待っている……だけなのだが、心なしか銀行内がざわついている気がする。ヒソヒソ話も聞こえてくる。
 無理もない。
 なんといっても今のロメ子は、前日の夜(第九話)と同じ、すなわち「コートのフードを被って、マフラーを巻いて、おっきいマスクをして、サングラスまでかけてる」状態なのだ。
 怪しい人物、略して怪人である。
 しかし、親しい人物の起こした事故でパニックに陥ってしまっているロメ子には、周囲の状況に気を配る余裕など無い。
 なんとか早く、指定の口座に現金を振り込まないといけない。
 持ってきたナップザックに手を入れ、自分の通帳があることを確認する。こちらで暮らすために貯めたお金だ。だが、他ならぬ恩人――西田井を助けるためなら仕方あるまい。
「あのー、大丈夫です?」
 ふいに声をかけられ、ロメ子は我に返った。
 声のした方を見ると、隣に座ったおばあさんがロメ子の顔をのぞき込んでいた。
 クシャクシャに丸めた紙をもう一度伸ばしたような顔には、相手を心から気遣う表情が浮かんでいる。のみならず、背を丸めた小さな身体全体から、人の良い雰囲気が発散されているような気がした。
「ずっと震えてらっしゃいますけど」
 おばあさんの少し薄くなった白髪を眺めながら、ロメ子はどう答えたものか、と思った。
 まだパニックの最中にある頭で考えてから、慎重に答える。
「えーと、ちょっと寒くて」
「あら、マフラーを巻いてらっしゃるのに……?」
「う。えー、その、風邪を引いてまして」
「あらあー、それは大変ねえ」
 おばあさんはそう言ったかと思うと、自分のポーチをゴソゴソやりはじめた。
「今ちょうどね、カイロを持ってるの。いくつかあげましょうね?」
「あ、いえ、せっかくですけど」
 ロメ子は手を振って断ったのだが、
「はい、これ」
「……ありがとうございます」
 使い捨てカイロを、ヒザの上にどっさり乗せられた。
「四十二番のかたー!」
 ロメ子がコートのポケットにそれを全部詰め終わったとき、受付が次の客を呼んだ。
「あ、わたしだ! それじゃ、失礼します」
「はい、それじゃ」
 軽く一礼しておばあさんと笑顔を交わし、カウンターに向かおうと腰を上げる。
 が。
 
 ズドオン!!
 
 突然、背後で何かが爆発したような音がした。
 
 
 
「金を出せえええ!!」
「静かにしろ、てめえら!」
「動くんじゃねえええ!」
 目出し帽を被った三人の男が、入り口付近で拳銃を振り回している。
 言うまでもないが、銀行強盗である。
 ロメ子はソファーに座りながら、頭を抱えてしまった。
 なんでこんなときに。しかもあんなベタな。
 強盗の内の一人が、カウンターにボストンバッグを置いて、そこに金を入れろと銀行員に要求している。
 拳銃を向けられ、怯えながらも命令に従い、札束を詰めていく銀行員。
 詰めている間も、強盗は早くしろと大声で急かし続ける。
 そのとき。
 
 ズガアン!
 
 またも銃声が鳴り、店内に悲鳴が響き渡った。
 見ると、一番端のカウンターそばの壁に、銃弾の痕が出来ている。
「てめえ! 防犯スイッチ押そうとしやがったな!?」
 言われた銀行員はガタガタと震えながら、
「いえ、いえ、そ、そんなことは」
 と涙声で反論する。
 だが、再度強盗が拳銃を天井に向けて発砲したので、すっかり静かになった。
(どどどどどうしよう……)
 ロメ子は頭を抱えながら、パニックの極地である。
(このままじゃ、西田井さんが留置場で夜を明かすハメに!)
 もともと混乱していたため、優先順位を完全に見失っていた。
 ハッ、と顔を上げる。
 そしてコートのポケットに、ゆっくりと手を突っ込んだ。
 
 
 コートの胸元から、熱くなった使い捨てカイロを突っ込んでいく。
 ひとつ入るたびに体温が上昇し、段階的に時間の感覚が変質していくのを感じる。
 強盗がカウンターで拳銃を振っているが、まるで王侯貴族をうちわで扇いでいるかのような、優雅な仕草に見える。
 低い声で何かを言っているようだが、熊がうなっているようにしか聞こえない。
 隣で、おばあさんがうっかりペンを落とした。
 空中を床に向かって進んで行く。プールの中で鉄の棒が落ちる様子は、たぶんこんな風だろう。
 ロメ子は手を伸ばし、それを受け止めた。
 少し動くたびに、身体中で抵抗を感じる。まさにプールの中で歩こうとしている状態だ。
 これぐらい〈加速〉すれば大丈夫だろう。
 全身に粘っこくまとわりつく空気を感じながら、ロメ子は立ち上がった。
 強盗が気づく前にソファーの背を蹴って、カウンターに向かって飛んだ。
 
 
 競泳のスタートのような体勢で身体を伸ばして飛んだおかげで、カウンターへ到達する事が出来た。
 ソファーを蹴った音に強盗がようやく反応し、ノロノロとこちらを向こうとする。
 ロメ子はすかさず、拳銃を掴んで引っ張った。この速度では床の摩擦力が信用ならないので、カウンターの端を持って自分が滑らないようにする。
 拳銃はあっけないほど簡単に強盗の手から外れ、ロメ子の手に収まる。
 カウンターを持ったまま、強盗のヒジとヒザを拳銃で叩く。
 硬いものを砕いた感触。
「ガ、グ、ア、ア、ア、ア、ア」
(ロメ子にとって)数秒経って強盗の口から叫びが漏れ始めたが、もうロメ子はカウンターの壁を蹴って、次のターゲットに向かって飛んでいた。
 
 
 ソファーの背を順番に蹴っていき、銀行の入り口付近に向かって進む。
 急がなければ、そろそろ普通の人間にも反応出来るだけの時間を与えてしまっているかもしれない。
 最後のソファーの背を(誰も座っていなかったので)ひときわ強く蹴り、なんとか強盗の目の前に到達する……が、そこで止まることが出来ない。
 今度は掴まるものが無かったため、強盗の身体自体を利用することにした。
 競泳のクイックターンの要領で身体を丸めて反転し、相手の腰を蹴る。
 カーリングのストーン同士がぶつかって跳ね返る様子に似て、ロメ子と強盗は正反対の方向へ飛んだ。ロメ子は元のソファの辺りへ、強盗は銀行の壁へ。
 
 
 ソファから最後の強盗へ向けて飛ぼうとした矢先、目の前が真っ暗になった。
 すぐに意識は戻ったものの、また急速に遠のいていく。
(しまっ……た、もう息が……)
 ロメ子とて、無限に〈加速〉状態でいられるわけではない。
 筋肉や骨、脳や内臓の疲労および破壊も起こるが、最大の問題は「呼吸」である。
〈加速〉中は血液中のグリコーゲンを消費し、いわば無酸素運動を行っている状態だ。
 なぜなら、肺が空気を取り込む速度だけは変えられないからである。
 だが〈加速〉開始から(ロメ子にとって)三十秒あまりが経過し、グリコーゲンが枯渇した今、すぐにでも酸素を取りこまなければならない。
 さもなければ死だ。
 ロメ子の意思に反して、時間の感覚が元に戻っていく。
 低すぎて聞き取れなかった音――強盗の泣き叫ぶ声や、客の悲鳴など――が序々に耳に入ってくる。
 足先が地面に触れ、身体全体が順番に、ゆっくりと着地していく。
 三人目の強盗がロメ子に気付き、拳銃を向けようと動いている。
(もうちょっとだけ……待って!)
 ロメ子は一人目の強盗からもぎ取っていた拳銃を、最後の力を振り絞り、三人目の強盗目がけて投げつけた。
 
 
 ガキン!
「がっ……!?」
 バンッ!!
 ドサッ。
 
 
 三つの出来事がほぼ同時に起きた。
 強盗の頭に拳銃が命中し、ロメ子に向けられていた拳銃が動いて何も無い床を撃ち抜き、そしてロメ子が床に落ち、強盗が倒れた。
 普通の速さに戻った時間の流れの中で、ロメ子はぐったりと床に横たわり、動けなくなっている。
 口を覆うマフラーすら外せず、混濁する意識で一心に浅い呼吸を続ける。
 銀行中が喧騒に包まれて、混乱しているのがわかる。
 しばらくして、誰かがロメ子に走り寄ってきた。
 使い捨てカイロをくれたおばあさんだ。
「あなた、大丈夫?」
 ロメ子は答えようとしたが、激しく咳き込んでしまう。
「げほ、げほげほ!」
 おばあさんの助けを借りて、なんとか身体を起こすことが出来た。
「いつっ!?」
 腹筋に痛みが走り、思わず声に出てしまう。身体を動かすたびに、どこかの筋肉が痛む。
「大丈夫? どこが痛いの?」
「……全身です。お怪我はありませんか」
「それはわたしのセリフよ、あんな無茶して」
 ロメ子の荒い呼吸を少しでも楽にしようと、おばあさんがマフラーを外してくれた。
 血色の悪い肌が露出する。
 おばあさんの目が見開かれるのを見て、ロメ子はしまった、と思った。
「大変だわ。だいぶ顔色が悪いわ。すぐに救急車を」
「あ、だ、大丈夫です」
 自分の手で、素早くマフラーを戻す。
 全身に力を込めて、無理やり立ち上がった。
 銀行内を見渡す。倒れている強盗が三人、そして自分を好奇の目で見つめてくる人たちがたくさん。
「じゃあその、わたし、帰ります」
 ふらふらとおぼつかない足取りでソファに戻り、ナップザックを背負った。
 早足で銀行を後にしようと歩き出したロメ子に、おばあさんの声が届く。
「あなた、お名前は?」
「うじわ……ああ、えーと」
 反射的に本名を名乗ろうとして、あわてて止めた。
 そこで、ぱっと脳裏にひらめく名前があった。子供のころ、大好きだったヒーロー。
 ちょっとその名前を拝借しても、たぶん怒られないだろう。
「わたしの名は、月光仮面です! とおっ!」
 精一杯の速度で走り出し、銀行から出る。
 背後からバラバラに、「月光仮面ありがとー!」と声援が飛んだ。
 
 
 
 
 その日の夜。
「えー、『銀行強盗三人を素手で撃退、謎の少女。[月光仮面]名乗る』……ですって、ロメ子さん」
 西田井が野菜炒めをつつきながら、携帯の画面に映ったニュースを読み上げる。
 コタツの反対側で生肉をつついていたロメ子が、なぜか肉を落とした。
「へ、へえー。いたたた」
「? どうしたんです?」
「いえ別に、あはは」
「はあ」
 相手が何か隠しているような気がしたが、西田井は聞かないことにした。
 ちなみに、ロメ子は銀行へ行った目的を完全に忘れていた。
 それほど、〈加速〉は脳への負担も大きいのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
「ええ、見つけました。今度こそ間違いなさそうですよ」
 どこかの暗い部屋。ひとつのパソコンモニター、そして一人の男だけが浮かび上がる。
 電話で誰かと話しているようだ。
「そうです、〈加速〉です。ええ、直ちに現地へ向かいます」
 二言三言交わしてから電話を切ると、モニターをもう一度眺めた。
 そこには西田井が見ていたのと同じニュース……そして、桑潟県、加尾長市の市街図が映し出されていた。
「迎えに行くぞ」
 誰にともなく、つぶやいた。

【#9】僕らのカコへ順回転

「お散歩行きたい行きたい行きたーいー! ぎゃー!」
 おなじみの知苑荘、西田井の部屋で、おなじみでない光景が展開されていた。
 ロメ子が畳の上で腕と脚を振り回しながら、駄々をこねているのである。
 その様子を腰に手を当てながら眺めていた西田井が、重々しく口を開く。
「そりゃ同じ部屋に缶詰だと飽きる、というのは納得しましたけど……」
 ロメ子によく聞こえるように、ゆっくりと言葉を継いだ。
「まだ三日ですよ?」
 がば、とロメ子が上体を起こしたかと思うと、叫ぶ。
「いえ、なんだか三ヶ月くらい閉じ込められてる気がします!」
 二人はしばらく見つめ合ったが、
「……出かけましょうか」
 西田井が根負けして、目を逸らした。



第九話【僕らのカコへ順回転】



「と! いうわけでございまして。やってまいりましたー!」
「いえーい」
 目的地の前で小さくパチパチパチ、と拍手する二人。
「これからこちらのビデオ屋さん、『ビデオアイン』でビデオを借りまして、帰りに近くのゲーセンに寄りたいと思いまーす。それじゃあ早速、店内の方へ」
 ビデオ屋に入ろうと歩き出す西田井の肩を、なぜかロメ子がガッチリ掴んだ。
「あのー、西田井さん西田井さん」
「なんでしょう」
「なんでわたし、コートのフードを被って、マフラーを巻いて、おっきいマスクをして、サングラスまでかけてるんですか? もう夜ですよ?」
 なるほどロメ子はその通りの格好をしていた。そして、外はもう日の落ちる時間である。
 なぜその格好をさせられている途中で言わないんだ、と西田井は思ったが、軽く咳払いをして答える。
「なぜなら、ロメ子さんが変装キットを村に忘れてきたからです」
「おぐッ」
 まるで腹をパンチされたかのような、くぐもった悲鳴を上げるロメ子。
「もしここでウワサでも立って〈傘社〉の耳に届いたりしたら、ロメ子さんは強制送還ですよ? おそらく」
「ぐ、ぐうう」
「じゃあ、行きましょうか」
 問答無用とばかりに、すたすたと歩いて行ってしまう西田井。
「……はい」
 若干涙声になりながらも、ロメ子は後を付いていった。
 
 
「わあああ! 広いですねえええ!」
「わー! しー! うるさい! うるさい!」
 店内に入るなり、感極まった様子で叫んでしまうロメ子。
「だってホラ、あっちのアニメのコーナーだけでTS○TAYA一軒建ちそうなくらいありますよ!? 一体どうなってるんですかここら辺の客層は!?」
 店内の客が何人か、びくりと身体を震わせるのが見えた。
「さ、さあ、大学生が多いんじゃないですかね。それに看板の所にビデオが十万本あるって書いてありますし、相対的にアニメも多くなりますよ」
 それにしても、三十年以上前に放映していたマイナーテレビアニメのビデオテープが平気で全巻そろっていたりするので、品揃えは偏っているかもしれないが。
「んじゃ、あっちの洋画の方に行きましょう」
 ぐいぐいと押すようにして、ロメ子を店内の隅の方へ連れて行く。
「あれ?」
 ロメ子が何かに気づいた。
「どーしました」
「このお店、二階部分がありますよね?」
 その瞬間、ドクン、と西田井の心臓が強く打った。
「え、ありましたっけ?」
「ええ、外から見たらありそうだったんですけど……階段とか見当たらないし……」
「あーじゃあ、倉庫じゃないですか!? きっと倉庫ですよ、だからスタッフだけ行けるんです、そうそう」
「はあ……」
「んじゃ洋画コーナーへレッツゴー!」
 半分くらいしか納得していない様子のロメ子をぐぎぎぎぎ、と押し進めていく。
 その途中で、西田井は密かに冷や汗をぬぐった。
 
 
 しばらく進み、目的地付近に到着。
「さて、どういうの借ります?」
「んーと……」
 サングラスを外したロメ子が目を閉じて(珍しい)熟考し、しかるのち答えた。
「有名スターがいっぱい出てて、笑って泣けてスカッと出来て、ド派手なVFXを使っててストーリーも面白くて結末が意外で……それで、観終わった後に人生がより良くなるような教訓に満ち満ちている作品を」
「ありません」
 西田井は言い切った。いや、あるのかもしれないが、自分は知らないし探すのにも手間取るだろう。
 手近の戸棚に身体を預けてしまったロメ子を引っ張って戻しつつ、とりあえずの方針を考える。
「それじゃあ、思い出の作品探しなんてどうですか? 子供の頃に観て大好きだった映画とか」
 その言葉に、ロメ子の目が輝き出す。
 が、すぐに(元通り)死んだ。
「でも、結構古い映画ですよ? なんせ五十年前ですし」
「楽勝楽勝。『クラシック』の棚はこっちです」
 戸棚の森を突っ切って歩いて行く西田井の背中を追いながら、ロメ子がふと思いついたことを口にした。
「場所がどこか、すぐにわかるんですね?」
「ええ、まあ。月に一回は必ず来てますからねえ」
 西田井が苦笑いしながら答える。
 なんせ、ここらは娯楽が少ないのである。


「こ、これは」
 ロメ子は目的地にたどり着くやいなや、さながら夢遊病者のような足取りで、ふらふらと手近のDVDケースを手に取った。
「これ、『雨に唄えば』じゃないですか! え、こっちは『チャップリンの独裁者』、『モダン・タイムス』!? えええ、『オズの魔法使い』に『キートンの大学生』まであるなんて……!」
 目に入ったDVDを手に取っては驚いているうちに、ロメ子は両手に二十本以上のケースを抱えてしまっていた。
「TSUT○YA知ってたのに、『クラシック』のコーナーは知らなかったんですか?」
 ちょっとにやつきながら、西田井は声をかけた。
 やはり人が喜んでいる様子を見れば、自分も嬉しくなるものなのである。
 と、突然ロメ子が西田井の方を振り向き、こう言った。
「これ全部借りたいです~……」
「ええええ!?」
 自分を破産させたいのか、と西田井は二、三歩後退する。
「全部好きな映画で決められません~」
 そんな震えるチワワのような眼差しで見つめられても、ダメなものはダメである。
 西田井は決然とした態度を貫くことにして、ハッキリと告げた。
「ダメです。一本に決めてください」
 その瞬間、ロメ子はがっくりと肩を落とし、うなだれてしまった。
 はしゃぎまくっていた先程とは正反対で、まるでお通夜だ。
 西田井はその様子を眺めながら、だんだんと自分が悪い事をしてしまったような気分になるのを感じていた。
 小さくため息をひとつ、もう一度口を開く。
「わかりました、五本までOKにします。それ以上は譲歩できません」
「に、西田井さん……」
 顔を上げるロメ子と、恥ずかしげに目を逸らす西田井。
 まったく、なんでこうお人好しなんだ自分は。
「そこをなんとか十本になりませんか!?」
「なりません!」
 再び言い切った。


「ぬぬー、『雨に唄えば』は残すとして……あ、でも『オズの魔法使い』と被るか……でも両方いいところがあるしー……それにチャップリンとバスター・キートンに順位をつけろってのがそもそも無茶な話だしー。うーむむ」
 そうだ他人の客観的な意見を聞こう、とロメ子は顔を上げた。
「これどちらがいいと思、ってあれ?」
 西田井は居なかった。
 そういえばどの映画を残すか考えていてマトモに聞いていなかったが、「じゃあ僕は○○○の方を見てきます」とかなんとか言われたような。
 まるまるまる。よーく考えてみたが、そこがどうしても思い出せない。
(……まだ店内にいる、よね?)
 だんだん、ロメ子は不安になってきた。
 棚が林立しているせいで、店内は見通しが効かない。
 しかも戸棚の間にはケースを眺める客が挟まり、さらに視界を狭めている。
 うっそうと茂る戸棚の樹海が、地平線の向こうまで続いているような感覚。
 それに考えてみれば、ここからどうやって家に帰るのか、その道もロメ子は知らない。
 今回は携帯電話も持ってきていない。
 もし西田井に先に帰られたりしたら、自分はどうすればいいのだろう。
 警察に行こうにも、(見た目のせいで)自分が通報されかねない。
 さらに万が一、〈傘社〉の人間に見つかったりすれば。
(きょ、強制送還……)
 ロメ子の顔が(可能な範囲で)青ざめていく。
 気がつけば、ロメ子はDVDを急いで棚へ戻し、走り出していた。
 
 
「あれ?」
 西田井が「クラシック」のコーナーへ戻ってくると、ロメ子の姿は無かった。
 乱雑に戻されたDVDのケースが目に停まる。
 ついさっきまでここに居たみたいなのに、どこへ行ったのだろう。
 天井を一度見つめると、店内を探しに走り出した。
 
 
(どこ!? 西田井さん、どこ!?)
 半ばパニックになりながら、戸棚と戸棚の間、人と戸棚の間を縫うようにして、店の中を駆け回る。
 だが、どこにも西田井の姿は無い。
「クラシック」のコーナーに戻ってみても、ここにも居ない。
 店内を三周ほど回り終えたところで、ロメ子は今まで見えていたのに気に留めていなかった、いわゆる盲点に気がついた。
 謎めいたのれんが垂れ下がる、さりげなく設置されたどこかへの入り口。
(間違いなくセクシー系のビデオだ……)
 ゲンナリしながらロメ子は悟った。
 TSUTUY○に一度だけ行ったことがあり、のれんに「十八歳未満入場禁止」と書かれていたのを覚えていたのだ。
 入ったことは無い。無いが、もしかすると、西田井はこの中かも。
 他は全て見回ったわけだし……もう見るところは無いし。
 その場でぐるぐると歩き回って考えた末、ちょっとだけ見て戻ろう、とロメ子は決意した。
 不安と脅迫観念に背中を押されるようにして、のれんをくぐる。
 幸い、中に人は居なかった。
(いやいや、西田井さんも居なかったじゃない。無駄足じゃない)
 セクシーなビデオに囲まれつつ、何をホッとしているのか、と自分を戒めるロメ子。
 そこでふと、目の前にらせん階段がそびえ立っていることに気がついた。
(ええい、苺を食らわば皿まで!)
 こうなればとことんまで行ってやろうじゃないか、と階段を上り始める。
 でもどうせ通行止めなんだろうな、とロメ子は思っていたのだが……。
 広々としたスペースが、目の前に開けた。
 
 
 
 
 
 
「あ、ロメ子さん! こっちこっち!」
 意気消沈した様子で一階フロアをうろうろしていたロメ子を発見し、西田井は安堵の笑みを浮かべた。
 まったく、〈傘社〉に連行されたのかと思った。あまり心配をかけないで欲しい。
 ロメ子が西田井に気付き顔を上げた、が。
「ひ、ヒイ!」
 なぜか怯えている様子である。
 まるで自分が肉食獣か何かみたいじゃないか、と西田井は眉をひそめた。
 構わず走り寄ると、ロメ子が後じさり、壁に背中をぶつけた。
「どこ行ってたんですか? ずっと探してたんですよ」
「あ、あの、あの……」
 ロメ子は何かから自分自身を守るように、両腕で身体をきつく抱きながら、パクパクと口を開けたり閉じたりする。
 まるで自分が怪獣か何かみたいじゃないか、と西田井が再び眉をひそめたところで、ようやく言葉になった。
「に、二階に」
 世界が静止したかと思われた。主に西田井にとって。
 
 お互いに固まったまま、二秒か三秒の時間が過ぎていく。しかし時の流れが感じられるほど、水飴で出来た川のように遅い。
 
「え、え、あの」
 西田井が必死の努力の甲斐あって、ようやく口を開くことが出来た。
「み……見ました?」
 ロメ子が顔を逸らしながら、重苦しい雰囲気のまま答える。
「……エロスの、森を」
「ひぎゃああああああ!!」
 西田井は絶叫した。他のお客さんに遠慮することも忘れて絶叫した。
 二階を見られたのだ。
 あの場所、セクシャルなビデオが五万本(推定)所蔵された、店のワンフロア全てというまれに見る規模での十八歳未満閲覧禁止のオンパレードを。
 つまり、このビデオ屋の誇る十万本のビデオのうち、半分はそちらなのである。
「このビデオ屋さん、よく来るんですよね……西田井さん、見た目じゃわからないけど相当の欲求をため込んでるんですね……」
「やめてー! その犯罪者予備軍みたいな言い方やめてえー!」
 涙混じりの悲しい叫びが、広い店内にこだました。
 お客さんの何人かが、密かに涙をぬぐったと言う。
 
 
 二人は連れだって、店を後にした。
 大きな袋(DVD十本入り)を抱えて、ロメ子はホクホク顔。
 そして西田井は、財布が軽くなった上に心までえぐられたので、しょげたままである。
「西田井さん、元気出して下さい。お若いんですから、正常な欲求ですよ」
「DVDを自分の要求通りせしめておいて、良く言えますね」
「ま、まあまあ。そうだ、ゲームセンター行きましょう! ぱーっと遊びましょうよ!」
 ね、と笑顔を向けられて、西田井は少し笑う事が出来た。
「ええ、そうですね。よし!」
 気合いを入れて、一気に背筋を伸ばす。
「僕の太鼓の腕前を見せてあげますよ!」
「わー、楽しみです」
 ロメ子がぱちぱちぱち、と小さく拍手する。
 遠くから。
「……あの、なんで離れた場所に?」
「え!? あ、急に西田井さんが動いたので、ビックリして」
 西田井は再び肩を落とした。沈痛な面持ちで、まるでお通夜である。
「じょ、冗談ですよ! 冗談! ほら、ゲーセン行きましょう!」
「ええ、行きましょう。ぐす」
 この後太鼓のゲームを二人でプレイしたものの、スコアはなぜか上がらなかった。
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