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□ みなみけ □

トウマの悪夢

※グロテスクな表現が含まれます。








 オレは、南トウマはパジャマで突っ立っていた。
 そしてオレの周りには、ただ真っ黒なだけの空間があった。
「おい、誰なんだよ」
 でも誰か居る。それはわかる。
 それは……そいつは……。
「オレそっくりな顔しやがってよ」
 そのとたん、オレの目の前にオレが居た。つまり、南トウマが。
 でも顔だけでニヤニヤ笑っている。チェシャ猫かお前は?
「全身見せろよ」
『どんな格好かな?』
「知らないよ。どうせ変な格好してるんだろ」
 全身が現れた。
「ちょっと待てよ、その格好は絶対ヘンだ」
 おいおい。それはなんだ、コスプレってやつか?
 上半身がスーツ、下半身がウサギだなんて。
 上から順を追って見ていくと、まず頭に馬鹿でかいシルクハットを被っていて、ウサギの耳がハットを突き破って斜めに飛び出している。
 上半身は黒いスーツとシャツを着ていて、胸には立派な蝶ネクタイ。
 でもって、なぜか下半身が全部、ウサギの着ぐるみになっていた。
 オレはそんな仮装なんかしないんだよ。違和感バリバリだ。
「ていうか混じっちゃってるじゃねえか。アリスだろ? それ上半身が帽子屋で下半身が三月兎になっちゃってるよ」
 だが、そいつはただ立って微笑んでいる。
「おい、なんか言えよ」
『どういう風に?』
 おっ、しゃべった。でも〈どういう風〉ってなんだ? しゃべり方を決めろってか?
「人を食ったようなしゃべり方をするんだろ、どうせ」
『ああ、なるほどなるほど! ボクは人を食ったような話し方をするのだったね、決めてくれてどうもありがとう!』
 その場でくるりと回り、ハットのふちをちょっと持ってお辞儀して見せる。いちいち腹が立つヤツだ。
『さて、まだボクときみの間で、大事な事を決め忘れているよ。ボクの名前と性格と行動の動機と、あと弱点だ』
「面倒くさい」
『じゃ適当でいいよ。どうせ使い捨てだ』
 なんのことやらだけど、とりあえず決めてやる。
「名前は……帽子屋。性格? うーん、幼稚で残酷。おい、行動の動機ってなんだ」
『キャラクターが、何のために行動するか、その理由さ。例えばお金もうけとかエロとか。女湯のぞきに命をかけたりとかね、むししし』
 口に手を当てて、変な笑い方。もう性格が反映されてるらしい。
 オレの顔でそんな笑い方するんじゃない、まったく。
「あー、他の人間をいじめて楽しむこと」
『うんそうだね、そういうのは大好きさ! さてさて、最後だ。弱点。これ行こう』
 こっちに指を立てる。いや、弱点って急に言われても。
「え? えー、えー」
『はい5! 4! 3!』
「ちょ、ちょっと待て、思いついた、〈リンゴしか食べない〉!」
 帽子屋の眉がちょっと上がって、下がった。
『それ弱点かい? まあいいや、じゃ、こっちに来て』
 帽子屋が手を振ると、そこには赤い革張りのソファーと、あと古風なテレビがあった。
 そしてその間には、長い机。あまりに長すぎて、向こう端は地平線の向こうだ。
 二人で並んでソファーに座る。
『ここからが本編だってのに、ずいぶんと時間がかかっちまった。半分には削れたな』
「なんの話?」
『なんでもないよん』
 机の上にはカップがずらっと地平線まで整列していたが、目の前の二つには暖かい紅茶が入っていた。
『お茶でも見ながら、楽しい映像を見ようよ』
 帽子屋がテレビのリモコンを持ち、スイッチを入れた。
 
 
 
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シーン1.ハルカ

 学校が終わって、わたしは家の前に戻ってきた。
 これから学校の荷物を置いて、夕飯の買い物に行かなくては。
 ふう。
 自然とため息が出てしまう。
 冷たいドアノブを握る。
 なんて面倒なのかしら。なんでわたしが夕飯を作るのかしら?
 最近は、なんだか朝からずっと身体が重い。
 ドアノブをひねって、ドアを押し開けて中に入る。
 なにやら居間のほうが騒がしい。
 まただ。
 もう考えなくてもわかる。下の妹二人が、また下らない原因でケンカをしているのだ。
 ふうう。
 まただ。
 自然とため息が出る。
 あの二人も、なぜケンカを止めようとしないのだろう。なぜ成長して、お互いの意見を尊重しようとしないのだろう?
 たぶん、わたしが止めるから。
 わたしが止めるから、ケンカはいつまでも続けていいものだと思っているのだ。
 だったら、わたしはずっとあの子達の面倒を見続けていくの?
 未来永劫、夕飯を作って掃除をして、あの子達を育てていくの?
 急に背筋が寒くなった。
 いや、そんなことは無い。いま考えたことが事実に反していると、きちんとわかっている。だから大丈夫。今日だって、なんとか乗り切っていける。
 でも。
 ああ、わたしの一部が話し続ける。
 あの子達がもし居なかったとしたら。
 ああ、止めて。話を止めて。
 わたしは今より、ずいぶん自由になれるわよね?
 玄関に崩れ落ちる。荒く息をする。
 駄目だ。この声を聞いてはいけない。
 駄目だ。
 駄目だ。
 力を振り絞り、起き上がる。カバンはそのまま置いていく。
 居間のドアを開けると、案の定二人が取っ組み合いになっていた。
「なんでわたしのプリンを勝手に食べるんだよー!」
 これは頭をつかまれているチアキ。
「食べちまったもんはしょうがないだろー!」
 これはほっぺたをつねられているカナ。
 なんて下らないのかしら、わたしはまた思う。
 プリンくらい、また買えばいいじゃない?
 窓を見ると、洗濯物は取り込まれていない。外は小雨だ。
 取り込んでおいて、って言ってあったわよね?
「ねえ、カナ」
「あ、おかえり! チアキがなんかつっかかってくるんだよ、なんとか言ってやってよ!」
「ねえ、チアキ」
「おかえりなさいハルカ姉さま! この馬鹿なカナがわたしのプリンを、また無断で食べやがったんです!」
 そうね、それはもうわかっていることだから、わたしに改めて言わなくてもいいのよ。
 二人が取っ組み合いを続けている。
「ねえ、カナ、チアキ。なにか忘れてない? 大事な用事」
「ごめんちょっといま忙しいから、後にして!」
「すみませんハルカ姉さま! いまこいつを倒すのに忙しいので!」
 そう。そうなんだ。
 わたしは濡れた洗濯物を取り込みに行った。
 自分の部屋で、携帯が鳴っているがわかった。マキからだ。
「もしもし?」
『もしもしハルカー? どしたの、もう現場に着いてるんだけどー?』
「現場?」
『え、ちょっと忘れたの? 買い物するって言ってたじゃん! 欲しい服があるって言ってたのハルカだよ!?』
 ああ、ああ。思い出した。この頃忙しくて、すっかり忘れていた……。
『すぐ来てよー! 寒いし、もう待てないからね!』
 居間で言い合いを続ける二人の声が聞こえてくる。
「ごめん、ちょっとすぐには……」
『ええー!?』
 声は聞こえないが、マキの怒りが冷えた失望に変わったのがわかる。
『わかった。わたしも帰るから、それじゃ』
「あ、あの……」
 電話は切れた。
 わたしの中で、何かが崩れた。
 居間に入る。
 取っ組み合いをまだ続ける二人。
 近づいて、手を伸ばす。
 普段なら頭をつかむところだけど、今回は別。
 あごの下の、柔らかい場所をぎゅうっとつかむ。
 わたしが近くに来たことにも気づかなかった二人が、今度こそ驚いた顔になる。
「ハ、ルカ? ちょ……なに、を」
 カナが目を見開きながら、わたしの手を両手でかきむしる。
「ハルカ……姉さ……ま」
 チアキもよだれを垂らしながら、身体全体で逃れようとする。
 わたしは両手を離さない。
 しばらく頑張っていると、二人は動かなくなった。
 手を離すと、ごとんと鈍くて重い音がして、妹たちの身体は落ちた。
 まばたきもせず、驚いた顔のまま時間が止まっている。
 あっけないものね。
 突然の死……二人はなにを思ったろう?
 携帯を持って、マキに電話をかける。
「もしもし? まだ居る? うん、やっぱりすぐ行けることになったから……」
 
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『あはははは! あーっははは、ぶひゃひゃひゃひゃ!』
 黒い空間に帽子屋の哄笑が響く。
 なんだよこれ。何を見たんだよ、オレたち。
 帽子屋が目の端の涙を拭きながら、オレの肩に手を置く。
『どうだいコレ、最高じゃないか!? 結構面白いだろ、あははははは』
 こいつはなんで笑ってるんだよ? なんでオレにこれを見せたんだよ?
 ていうかそもそも、これは何なんだよ!
 怒りに任せて、肩にかけられた手を振り払った。
 帽子屋はキョトンとした顔になる。
「何なんだよ! これは! ああ!」
『怒鳴らなくても。日々の生活に疲れたハルカが、妹たちを絞殺しちまう映像だけど』
「わかってるんだよ! なんでこれを見せた!」
『笑えると思ったんだけどな。……ダメだった?』
 帽子屋が口をすぼめる。
 顔を殴ってやろうかと思ったが、止めた。こいつは本気で言っているんだろう。
 なにせ性格は〈幼稚で残酷〉、趣味は〈他の人間をいじめて楽しむこと〉だものな。
 オレが設定したんだ。
 いや、そもそも、こいつは何だ?
『まあね、笑うためだけに見せたってわけでもないのだよ、実は』
 急に帽子屋が真面目な口調になった。
 頭から帽子を引っこ抜いて、遠くの帽子かけに投げる。
 やっぱり、そのウサギの耳は頭から生えてたのか。
『いまの映像だけどね、起こりえる可能性を描いたものなんだよ。ジョークってわけじゃないんだ』
 やっぱりパンチをお見舞いしようと思ったけど、帽子屋が真面目な顔なので止める。
『不安になった?』
「いや。あんなのはありえねーよ。なんつーか……狂ってる」
 帽子屋がまたニヤニヤしはじめた。
『そうそう、狂ってる! きみは〈狂ってる〉ってどういうことか知ってる?』
「知ってるよ。お前みたいのさ」
『ボクだって?』
 帽子屋が驚き、自分を指差した。オレがうなづいてやると、ウサギの耳をちょっと引っ張ってみて、蝶ネクタイの位置を直してみて、さらに下半身の着ぐるみの生地を確かめた。難しい顔で考えること数秒、
『確かに!』
 笑顔でオレに握手を求めてきた。もちろんオレは拒否したけど。
『さて、きみは狂ってない、でもボクは狂ってる。その違いはどーこだ?』
 腕と足を組んでふんぞり返る。
「オレはそんなおかしな格好しないさ。耳付けたりとか」
『ほう、なるほど! じゃあ』
 帽子屋がソファーの後ろから、裁縫に使うような大きなハサミを取り出した。
 迷うことなく、自分の耳の片方に当てる。
『これを切っちゃえば、ボクはちょっとだけ〈マトモになる〉ってことだね』
 ハサミを入れていく。
「ちょ、ちょ、やめろって!」
 じょきん。
 オレが止める間もなく、耳は片方になってしまった。
 かなり痛々しい見た目だが、血は出てない。
『んじゃもう片方もいってみよー!』
「やめろ! やめろ!」
 すぽん。
 帽子屋の頭から、カチューシャにくっついたウサギの耳が外れた。
 呆然と見守るオレの横で、カチューシャをどこかに投げ捨てる。
『これで少なくとも、頭は〈マトモ〉だよね?』
 オレと全く同じ顔が笑っている。オレは頭を抱えた。
 
 
 
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シーン2.カナ

 暑い……暑い……。ぶはっ。
 うーん。やべ、床に転がって寝ちまってたみたいだ。
 こりゃ帰ってきたチアキに怒られるぞ。
 むくりと起き上がる。ありゃ、誰も居ないのか?
 薄暗い部屋、ちらっと時計を見ると……。
 げ、もうこんな時間!? 夕飯の買い出し当番、わたしなのに! やばい!
 ダッシュで玄関に向かい、靴を履いているところで、ドアが開いた。
 チアキだった。なぜか買い物袋をどっさり抱えている。
「あっ……」
 どうした、そんなにビックリせんでもいいだろうに。ただの姉ですよ。
「なあチアキ、もしかして、買い物行ってきてくれたの?」
 こくっとうなづく。
「カナ姉さまが、気持ちよさそうにお昼寝してらしたので、わたしが代わりに行って参りました」
「そ、そう……ありがとう」
 固まってしまったわたしの横を通り抜けて、チアキは台所に向かった。
 カナ姉さま? それってもしかして、わたしのこと?
 まさかあ。
 キッチンでは、チアキがいそいそと買ってきた物を冷蔵庫にしまいこんでいた。
「あの、手伝おうか?」
「いえ、カナ姉さまはお気になさらないでください。わたしがやっておきます」
 笑顔で断られて、カナはすごすごと居間に戻った。
 絶対おかしい。あいつ何か変な物でも食ったか?
 ははーん。
 わたしはあごに手を当てた。あいつ、わたしを油断させて、何か企んでやがるな。
 ならばこちらから仕掛けるまでよ!
 台所に再び乗り込み、かき氷器を取り出す。ついでに氷も適量。
「あの、なにをなさっているんですか?」
「いーからいーから。お前にご褒美だよ! こっち向くなよ!」
「は、はい……」
 声にやや不安を感じさせるものの、チアキはそれ以上詮索しようとはしなかった。
 よし、あとはコーラと……お醤油。これで準備完了。くくく。
 居間に戻ってきたチアキが見たのは、テーブルに置かれた二つのかき氷だった。
 二つとも、何かの茶色いシロップがかかっている。
「おーいチアキ! 特別サービスだ、かき氷食べようぜ!」
 チアキはなぜか、その場で立ち尽くしている。ぼーっとしちゃって、どうしたんだろう。
「どうしたんだよ、カナ様のかき氷が食えねえってか?」
 その言葉が引き金になったように、チアキの目が一瞬開いた。
「い、いえ! 食べさせていただきます!」
 素早くテーブルに着く。
 あれ、冗談のつもりだったんだけどな。
 それになんか、震えてないか? いや、気のせいだろう。
「よしじゃあ、いただきまーす!」
 二人で手を合わせて、かき氷を口に運ぶ。
 くくく、とカナは内心ほくそ笑んだ。こちらはコーラ味。
 ということは、そちらは激マズ醤油味だ! しょっぱいかき氷にもだえ苦しむがいい!
 一口、二口、三口。
 だがチアキは笑顔で食べ続けている。
 あ、あれ。間違えた?
 でもこっちは間違いなくコーラ味だしなあ。
 まさか?
「ちょっとチアキ! そっち食べさせて!」
「は、はい!?」
 スプーンでチアキのかき氷の茶色い部分を削り、口に運ぶ。
 醤油味だった。
「ち、チアキ! こんなん食べたらダメだよ! 身体悪くするよ! なに考えてるの!」
 肩をつかんで揺さぶる。
 つかの間チアキの顔から表情が無くなり、そして涙がぽろぽろとこぼれだした。
「だって……カナ姉さまが……食べろって……だから……わたし、食べて……そしたら、食べるなって言われて……う、うううう、うっ、う!」
 混乱して泣きはじめてしまったチアキの身体を、わたしは思わず抱き寄せた。
 チアキはわたしにぴったりくっつこうとはせず、腕はだらりと下げたまま。
 どういうことなんだ? 何が起こってるんだ?
 なんか、頭が痛くなってきた。なんなんだ、次から次へと。
「うわーっ!」
 突然、チアキがわたしの胸の辺りを押し始めた。
 わたしを離したいのだ。一刻も早く、遠くへやりたいのだ。
 なんで? なんで?
 チアキはわたしから離れて、床に崩れて泣き始めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい! 次はうまくやりますから! 次はうまくやりますから! だから、だからもう……う、うううう」
 なんなんだよ? なんなんだよ?
 どうして泣いてるの?
「ただいま! あら、どうしたの?」
 ハルカが帰ってきた。
「あらチアキ、また……ちょっと、寝かしてくるわね」
 ハルカは手慣れた様子で、チアキを自分の部屋に運んでいった。
 なあ、どういうことなんだよ?
 わたしはハルカに疑問の視線を投げかけたが、すぐに止めた。
 たぶんわたし、ハルカに睨まれた。
 頭が痛い。すごく痛い。
 痛い。
 痛い。
 わたしはテーブルに突っ伏して、頭を抱える。
 ハルカが戻ってきて、わたしの頭をそっとなでた。
 三十分ぐらい、経ったと思う。
「カナ、思い出した?」
 テーブルの向かいに座ったハルカが、優しく聞いてくる。
「うん、全部」
 わたしは泣いて、少し吐いて、そして記憶を取り戻した。
 あの日、わたしとチアキは何かの理由でケンカしていて(理由はもう思い出せない)、キッチンで取っ組み合いをしていた。夕飯の支度の途中で、パスタのゆで汁がキッチンに残っていた。
 わたしはそのゆで汁が、まだ水なのだと思っていた。だって、火は消えていたから。
 実際には熱湯だった。
 それをわたしは、チアキに全部かけた。びしょ濡れにしてやるくらいのつもりで。
 チアキは大やけどを負った。命が危ないくらいだった。
 そして心にも怪我をして……わたしに逆らえなくなった。
 わたし自信も罪の意識に耐えきれず、ときたま記憶が戻ってしまう。
「う、うう、うわあああ……」
 机につっぷして泣き出すわたしを、ハルカが後ろからそっと抱いてくれる。
 妹を壊してしまった。妹を壊してしまった。
 もう戻らない。もう戻らない。
 わたしのせいで。わたしのせいで。
 二度と戻らない。
 
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『ブラボー! ブラボー! ナイス壊れっぷりじゃないコレ! あっはははははは!』
 帽子屋はゲタゲタ笑いながら足をバタバタさせ、大げさに拍手してみせる。
「なにがおかしいんだよテメーは!」
 オレはもう握った拳が痛くなっていた。
 こいつは紅茶をすすりながら映像を見て、しょっちゅう吹き出して笑い出すのだ。
 だが、オレの顔をしたこいつを、不思議と殴れない。
「なあ、帽子屋」
『ひー、ひー……ああ、なに?』
「これも、起こりうるのか?」
 帽子屋は涙を拭いて、真面目な顔に戻った。
『うーん、ボクはアマチュアだから。でも、人間の心って結構もろいもんだよ』
 オレの目をひたと見据えて、言う。
『備えておいて損はない。シミュレーションだよ』
「オレは、チアキがあんな風になることは無いと思う」
『そうだね。きみがそう言うなら、ボクもそう思うよ。でも熱湯かけが一回じゃなくて、何回も、何回も……』
「それは話が違うだろ!」
 思わず大きな声が出てしまった。でも、誰も居ない空間だから関係ない。
 こいつ以外。
 そしてこいつは、大して驚くこともなく、視線もそらさなかった。
『だったら、チアキちゃんはこうならないってことだ。良かったね、安心安心!』
 またにやにやと笑い出す。
 オレは黙って、紅茶をすすることにする。
 意外なことに、帽子屋も黙っていた。
「なあ、目的はなんだ」
『もくてき~? それどおいういみ~?』
「馬鹿にしてんのか!」
 カップを投げると、なんなくキャッチされる。
『紅茶を投げるのはあまりマナーが良くない。減点1。代わりをどうぞ』
 いつの間にか、オレの目の前のテーブルに新しい紅茶が用意されていた。
「減点って?」
『目的の話をしようか』
 オレはため息をついた。
 
 
『まず、あの南家の三姉妹はね……個性がはっきりしてる。それは認めるね?』
 ちょっと考えて、うなづく。まあ、別に異論はない。
『その個性を、仮に〈キャラクター性〉と呼びたい。例えばハルカちゃんは優しい、カナちゃんは面白い、チアキちゃんは頭がいい、とか、簡単に言えばそういうことだ』
「おいおい、実在の人物にキャラクター性って」
 帽子屋は笑顔で首を振る。
『人間は壁の染みが救世主の顔に見えるような生き物だよ? そのとき、人間は染み自体を見てはいない。染みのパターンを、自分の知ってるパターンに当てはめて見てるんだ』
「意味がわかんない」
『つまり、人間を見るときも同じなんだよ。人間は人間自体を見てなんてない。その人間を、優しいとか、面白いとか、頭がいいとか、そういう〈キャラクター性〉に当てはめて解釈してる。そうしないと、きっと複雑すぎて人間そのものなんて扱えないんだろう』
 オレはちょっと紅茶をすすった。どうでもいいが、オレの好きなアップルティーだ。
「まあ確かに、オレはチアキとかカナとか、ハルカの全部を知ってるとは言えない」
『ボクのこともね!』
 なぜかふんぞり返る帽子屋。
「知りたくもないよ」
『でもボクを一言で表現すると?』
 何かを期待する目。何を期待しているか、うすうすわかる。
 こいつのキャラクターが、オレの中でわかりつつあるのだ。
「狂ってる」
『正解! あ、でもちょっとタンマ』
 そこでなぜか、帽子屋が下半身のウサギの着ぐるみを脱ぎ始めた。
 オレがぽかんとしている間に着ぐるみは脱ぎ取られ、どこかに捨てられる。
 着ぐるみの下にあったのは、上半身のジャケットとマッチした、黒いスラックスと革靴だった。
『これで、少なくとも見た目は〈マトモ〉になっちゃったね?』
 目の前には、身体に合ったサイズの黒いスーツを着た、南トウマが居る。
「なにが言いたいんだよ」
『おいおい、もう話の核心だよ? 〈キャラクター性〉が崩れたとき、人はひどく驚く。困惑する。怒る。泣きわめく。きみみたいに』
 紅茶をすすることに集中する。泣いてはねーよ。
『南家の三姉妹くらいしっかりした〈キャラクター性〉が崩れたときのショックは相当なものだ。でもね、トウマくん』
 オレは思わず顔を上げた。初めて名前を呼ばれたからだ。
『例えチアキちゃんに何かあって、キャラとか人格が崩壊しちゃったとしても……それは同じチアキちゃんだよね?』
 帽子屋の真剣な瞳なんて、初めて見る。
 いや、出会って少ししか経っていないんだけど。
「もちろん、そうだ。チアキはチアキだ」
『よかった! そう言ってもらえてよかった。例えそんなことがあったとしても、たぶんきみなら乗り越えられるさ』
 大笑いしながら、肩をバシバシと叩く。
 なんだか今回はオレもうれしくなって、笑ってしまう。
『それに、きみだって、〈キャラ崩壊〉の例外じゃない。いつボクみたいになっちゃうか、わからないんだからね』
 オレの笑いが止まった。
 
 
「それはイヤだ」
『なんで? 楽しいよ?』
 帽子屋がソファーの上で、ぼんぼんと跳ねる。
「その……好みだよ。オレの好みから外れてる」
 跳ねるのを止めた。
『そっか。まあ、世間体がどう、とかいう答えよりはいいな。自分は自分。成長の過程で好みが変わって、自然にボクみたいになれれば……』
「ならねーって」
 帽子屋がやれやれ、と大げさに両腕を広げた。
『まあ、どうなるかなんてわからない。大事なのはそのとき、変化した自分を怖がらないことだ。怖がっている人が居たら、慰めてあげなさい。例えばチアキちゃんとか……』
「ならねーって。チアキもカナもハルカも、ああはならねーって」
 帽子屋が黙りこくった。
 急にオレから顔をそらし、しばらく紅茶をすする。
 すすり終わると、なぜか少しため息をついた。なぜか、疲れたように、悲しげに。
『うん、まあ、そうならいいんだけどね。さて次の映像を見ようか!!』
 わっびっくりした。
 帽子屋がこっちにリモコンを振って見せながら、ニヤニヤ笑っている。
「ええーいいよ!」
『まあまあ……あれ? あれ、おい、ちょっと、ちょいなっ』
 リモコンのボタンを押してるのに、反応が無いらしい。
「壊れた?」
 心配している文句だけど、内心ほっとしている。こりゃ願ったり叶ったりだ。
『うん。そーみたい。じゃあちょっと直すねー』
 立ち上がり、テレビに近づく。
「げ、直せるの?」
 お前はそういう類の資格とか持ってるのか?
『かーんたんかんたん。ちょっと歯車が痛んじゃったんだよ』
 言いながら、テレビの裏のフタをぼこっと外す。
 テレビに歯車はねーだろ、と言おうとしたとたん、
『ほらこれだ!』
 なんかネットリと黄色い油で汚れた、頭よりもデカい歯車が出てきた。
『ちゃんとバター塗っといたのにねえ。バターじゃダメだったっけ? まあいいや』
 古い歯車を投げ捨てて、ソファーの裏に置いてあった別の新しい歯車を持ってくる。
 で、それをテレビにはめて、ソファーに戻ってきて座り、リモコンを押した。
『スイッチオーン! ほら映った!』
「ええー!?」
 確かに、テレビには何かの映像が映り始めていた。
『ガッチガチに組んである歯車って、結構欠けやすいんだよ。今回はたまたま、あの歯車だったけど』
 床に転がった、古い歯車を指差す。
『どれが先にやられちゃうかわかったもんじゃない。だからたまには歯車を外したり、外から見て大丈夫か点検する必要がある。歯車のひずみとか、かかってるストレスを見たりして。あ、〈ひずみ〉とか〈ストレス〉ってのはエンジニア用語だから気にしないで』
 言いながら、リモコンをテーブルの角でこつこつ叩く。
 ひょいっとどこからか虫メガネを取り出すと、リモコンをテーブルに置き、その表面に出来た傷やゆがみを観察しはじめた。
『ふーむ。この傷は本製品にとって致命的だな。すぐに部品を交換せにゃ』
 渋い顔でつぶやく。
 わざとらしい。お前がエンジニアってツラかよ。
「つまり、お前はオレたちを……」
『おっと、始まった始まった!』
 虫メガネを放り出すと、ソファーの上で身を乗り出して、手もみをする帽子屋。
 オレも仕方なく、テレビを観ることにした。
 
 
 
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シーン3.チアキ

 トウマが藤岡の前に座っている。
 藤岡があぐらをかいて座り、まるで藤岡を座椅子にするように、あぐらの中にトウマが収まっているのだ。
 それはいつものことだ。前はわたしがたびたび藤岡を座椅子にしていた。
 藤岡は暖かくて大きくて、優しい座椅子だ。話していて、とても安心できる。
 だからわたしが居るときは譲れと言っているのに、近頃トウマは言うことを聞かない。
 サッカーの話題が終わらない? そんなことわたしが知ったことか。
 男同士だから気兼ねなく? いやトウマ、お前は女なんだってことを忘れるな。
 まだ、終わらないのか?
 ほら、藤岡がチラチラ時計を見だしてるじゃないか。
 早くしないと、わたしの座る時間が……。
 そんなことにはお構いなく、トウマは一方的に喋り続ける。
「でな、このチームの決定力のカギってのが、やっぱり……」
「あー、ごめんトウマ。もう時間が無いや。帰らないと」
「えー、もーちょっといいでしょ!? 話し足りないよー」
 藤岡の前で、不満げにゆさゆさと身体を揺らす。
 おいおい、お前ちょっと甘えすぎじゃねーのか。藤岡にも都合ってもんがある。
「それはオレもだけど、また明日くるから、ね?」
「……わかった」
 イライラするわたしの目の前で、藤岡が帰り支度を始めた。
 まただ、また座れなかった。ここのところずっとだ。
 わたしの視線を感じたのか、帰り際に藤岡が近づいてきて、頭をなでてくれた。
「またね、チアキちゃん」
「あ、ああ」
 やはり藤岡は優しいな。いいヤツだ。
「あ、じゃあオレも帰る!」
 トウマが突然立ち上がり、藤岡に近づいていく。
 おいおいおい、お前一体どういうつもりだ。今日は藤岡に座りに来たのか。
 トウマが去り際にこちらを見た。目が合う。
 おいお前、いま笑ったか?
 確認する間もなく、トウマは部屋を出て行った。
 
 
 次の日。
 わたしが急いで学校から帰ってくると、もう藤岡が待っていてくれた。
 顔が自然とほころんでしまう。
 藤岡が座ったので、そこに吸い寄せられるように近づく。
 だが、思いも寄らぬ一言に見舞われた。
「あー、ごめんチアキちゃん。先約が」
 ちょいちょい、とわたしの後ろを指差すと、そこにはトウマが居た。
 勝ち誇った笑みのトウマが。
 ずいっとわたしの横を通って前に出ると、藤岡のあぐらの中に座る。
「じゃ、昨日の続きね!」
 そこでまた、流れるようにサッカーうんちく。わたしはもう耳が痛い。
 だが、藤岡はそれを楽しそうに聞き、また的確な返答を返し、二人で話題を盛り上げていく。二人だけの話題を。
「あの二人、最近仲いいよねー」
 ぱりっ、とせんべいをかじる音と共に、カナの声が聞こえた。
 驚いた。わたしはカナが居ることにも気づいていなかった。
「このままじゃお前のVIP席、トウマに取られちゃうんじゃねーの?」
 せんべいを噛みながら、もぐもぐと無感情に喋り続ける。
 取られる?
 わたしの思考は一瞬フリーズし、また再開した。
 確かに、ここのところずっと、わたしは藤岡に座れていない。
 いや、だが、藤岡はわたしの事を忘れたり、していない、はずだ。
 いかん、うまくまとまらない。
「ごめん、ちょっとトイレ!」
「ああ」
 気づくと、トウマがトイレに行くため、藤岡から離れたところだった。
 気づくと、わたしはその隙間を埋めようと動いていた。
 つまり、藤岡の前の、定位置に座った。
「あれ、ちょっと、チアキちゃん」
 若干慌てた藤岡の声が聞こえる。久しぶりにわたしが座ったのだ、照れているのかも。
「いまはトウマの番だから、ね、チアキちゃん」
 なだめるような声だった。
 わたしの中で何かがピリピリする。
 トウマの番?
 このところずっと、あいつの番だったじゃないか。
 わたしの番は一体いつ来る? いつわたしは藤岡に座れるようになるんだ?
 もしかして、わたしの番なんてものは、もう来ないんじゃないのか?
 ずっとずっと、藤岡はトウマに予約され続けるんじゃないのか?
 そんなのはイヤだ。絶対に、イヤだ。
(なら、殺しちまえよ)
「うわっ?」
 突然、わたしの耳に声が届いた。な、なんだ? 誰だ!?
「どうしたのチアキちゃん? ねえ、聞こえてる?」
 藤岡の心配そうな声に、我に返る。
 いまのは何だ? いや、単なる空耳だろう。
「チアキ、そこオレの席だから」
 振り向くと、トイレから戻ってきたトウマが、腕を組んで立っていた。
(こいつを殺しちまえ)
 また声が聞こえた。
 
 
 夜ベッドで横になっている間も、その声は聞こえ続けた。
 しかしどうやら、他の人には聞こえていないらしい。
 どういうことだ? 誰の声なんだ?
(オレはお前の内なる欲望ってやつさ)
 違う。わたしはトウマを殺したくなんてない。
(いいや、邪魔なんだろ? 邪魔でしょうがないはずだ)
 だからって、殺さなくてもいいじゃないか。話し合えば、わかりあえるさ。
(ダメだね、殺せばシンプルで確実に、藤岡を取り戻せる)
 いや、もっといい方法がある。あるはずだ。
(思いつくか?)
 いや思いつかないけど、まだ思いつかないけど、でもちょっと待て。
(明日だ。明日やろう)
 わたしの身体が硬直する。これは提案ではない。命令だ。
「い、イヤだ」
 はっきりと声に出し、否定する。
(認めない。明日トウマを殺す。決定だ)
「お前に、わたしに対して命令する権利はない!」
「おーい……うるさいぞー……」
 寝ぼけたカナの声が聞こえた。
 わたしのベッドとカナのベッドを区切るパーティション越しに聞こえてしまったということは、結構大きい声で叫んでしまったらしい。
「ご、ごめん」
「気をつけろよー……」
 むにゃむにゃとカナは眠りに戻った。
 わたしは眠れそうにない。のどが乾いた。
 ベッドから出て、ちょっとジュースでも飲むことにしよう。
(机を見ろ。カッターがあるじゃないか)
 わたしは声を無視して、部屋から出ることにする。
(カッターを取れ!)
 また身体が硬直した。逆らえない。くそっ、動け動け!
(オレが動かすから、お前は従えばいい。楽にしろ)
 わたしの身体が再び動き始める。でもわたしの意思で動いてはいない。
 操られている。電波かなにかで操られて、わたしは机に向かう。
 なんだか身体も頭もふわふわとして、現実ではないみたいだ。
(そうとも。朝には全てが元通りさ。だからカッターを取れ)
 わたしは机からカッターをとって、ちきちきと刃を伸ばす。
 ベッドに戻る。ベッドの上で、枕をまたいで座る。
(予行演習だ。トウマだと思って、思い切りバラバラにしてやれ)
 枕の上の端を片手で押さえ、もう片方の手でカッターを枕に思い切り突き刺した。
 刺さった刃を全身の力で縦に引くと、布の切れた線から中の綿が飛び出した。
 別の場所にもう一度突き刺し、刃を引く。さっきよりも綿が大きく飛び出る。
 もう一度突き刺し、引く。もう一度、もう一度。
 わたしは夢中になっていた。
(上出来だ。ずいぶん楽しそうだったな)
 気づくと、目の前に枕は無くなっていた。
 これは枕のバラバラ死体だ。布と綿の、ごちゃごちゃしたカタマリ。
 わたしは枕を殺したのだ。
(その調子で、頑張れよ)
 言葉と共に、身体のコントロールが戻った。
 わたしは布団を被ると、声を押し殺して、泣いた。
 
 
 朝まで眠れなかったが、学校に行かないわけにはいかなかった。
 声が脅すのだ。命令に従わない場合、わたし自身を刺し殺すと。
 それに、相手はわたしの身体を操れる。どんな手段を用いてかは知らないが。
 当たり前だが枕はバラバラのままだったので、ビニール袋につめて、学校までのどこかでバッグから出して捨てることにした。
 フラフラとおぼつかない足取りで、学校を目指す。
 気分が悪い。疲れている。帰りたい。すぐに帰って寝たい。
 もう眠ることしか考えられない。
 すべてはトウマを殺すため。そのミッションをクリアすれば、眠ることが出来る。
 なんとか教室に着く。
(カッターは持ってきているな)
 もちろん。すぐに取り出せるようポケットに入っている。
(では、早速始めよう)
 わたしは立ち上がり、トウマの居るクラスを目指して歩きはじめた。
『あ、トウマくんトウマくん』
 
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 帽子屋に肩をつつかれていた。
「なんだよ? まだ途中だろ」
 オレが殺されるかどうかの瀬戸際だってのに。
『実はきみ、いま寝てるんだよね』
 困ったような笑顔を浮かべる帽子屋。
 いや、それはもう気づいてるけど。
『で、もう授業が始まりそうなんだ、実は』
「え、学校来て寝ちゃってるのか、いま?」
『うん、だから起きた起きた!』
 肩を掴まれて、ゆさゆさと帽子屋に身体をゆすぶられる。
 ゆすぶられる間にも場面は進み、テレビ画面ではオレが学校の机に突っ伏して、気持ちよさそうに眠っていた。
 そしてその後ろに、チアキが近づき、ポケットに手を……。
 
 
 
-------------------------------------------------------------------------------


「ぶわっ!」
 オレは跳ね起きた。
 学校の机に突っ伏して寝ていたようだ。
 時計を確認すると……よし、セーフ。
 ちゃんと授業前に起きたのは我ながら偉かったな。昨日アニキと格ゲーやってて、つい白熱しちまったから眠くて眠くて。
「おい」
「おおうっ!?」
 突然背後から声がして、オレは凍り付いてしまった。
 チアキの声だ。
「おい振り向け、バカ野郎」
 命令に従い、振り向く。
 なんだか非常に眠そうなチアキが立っていた。どんよりと曇る瞳が怖い。
「な、なんでしょう」
 どもってしまった。どっかで見たような気がするぞ、この場面。デジャブ?
「……まあいい。放課後話があるから、教室まで来い、バカ野郎」
 チアキはそう言い放つと、振り向くこともなく、さっさと立ち去った。
 なんだよ、あのただならぬ雰囲気。すごい不機嫌じゃないか。
 ちょっと殺されるかと思った。
 殺される?
 さっきまで見ていた夢の詳細が蘇っていく。カッター。バラバラの枕。オレへの殺意。殺意。殺意。
 心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。
 なあ、いまなんで、オレの後ろに立ってたんだ?
 なあ、なんでポケットに手を突っ込んでたんだ?
 まさかカッターなんて持ってないよな、チアキ?
 
 
 放課後逃げるように帰ろうとすると、チアキに廊下で捕まった。
「おい、なんで逃げる」
 相変わらず不機嫌だ。というか、目の焦点が定まってない。
「い、いや! 逃げてなんてないよ。ないない」
 ぶんぶんと手を振って否定すると、チアキはぼんやりと納得してくれたようだった。
「じゃあ、こっちに来てくれ。二人だけで、大事な用事がある」
 二人だけ?
 心臓が不安に締め付けられる。背筋を何か冷たいものが走り抜ける。
 それだけは、ダメだ。
 たぶん。
 待てよ、とオレは気づいた。あれは夢だ。帽子屋もテレビもオレを殺そうとするチアキも全部オレの見た夢だ。起きたときの状況が似てたけど、あんなの偶然だ。
 そんなくだらない理由で友達を疑うなんて、サイテーだな。
「ああ、わかった。どこに行けばいい?」
「ふむ、じゃあこっちの教室に。人が居なくてちょうどいい」
 オレの手が汗ばむ。大丈夫、あれはただの悪夢だ。
 
 
 誰も居ない夕方の教室は静かで、チアキがドアを閉め切る音だけがよく響く。
 これで教室は完全に密封されたわけだ。
 オレが悲鳴を上げようが何しようが、外には漏れないだろう。
 いや、そんな事態にはならないんだから、なにも心配することはない。
 でもなんでドアを閉めたんだろう?
「よし、では」
 チアキがバッグを開ける。なにやら青い物を取り出した。
 机の上で広げると、それは青い服だった。
「これ、なんだ? アリスの衣装か?」
 青いワンピースの上に白いエプロンを重ねた衣装だった。
 エプロンドレスってやつだ。〈メイド衣装〉の黒い部分が青くなったと思えばいい。
「ほう、察しがいいな。これを見ただけでわかるとは思わなかった」
 話しながらも机の脇に下げていた袋に手を突っ込み、中から白いニーソックスと、黒いエナメルの靴を取り出す。
 夢のせいでわかった、とは言えなかったので、適当に誤魔化すことにする。
「小さい頃から良く観てたからな。で、これをどうするんだ」
「着て欲しい」
 はっ?
「次の発表会、我がクラスの演劇は〈不思議の国のアリス〉なんだ」
 そうだろうな、その衣装を見る限り。
「だが今朝、わたしは不運な知らせに見舞われた」
 ふう、と疲れの混じるため息をつく。
「アリスの衣装が完成したまさに今朝、主役の子が怪我をして入院してしまってな。だがこの衣装はもう作ってしまって一着しか無いし、直す時間もない。代役を探してみた結果、この衣装を着れて、なおかつ発表会にほぼ参加してないのはお前しか居なかったんだ」
 あまりに予想外な展開に、オレはほっとするやら、驚くやらで忙しかった。
 そういえば、そんな行事もあったな。オレは何の役かも忘れてた。
「でも、オレはそんなの着れないよ」
 そんな女の子女の子した服なんて、恥ずかしいにも程がある。
「なに?」
 チアキがずい、とこちらに顔を寄せる。やべ、相当怒っているみたい。
「わたしが徹夜で完成させた衣装を着れないと?」
 え? これを?
「これ、お前が作ったの? すごいいい出来じゃん」
 チアキは驚いた顔になり、急にぷいっと明後日の方を向くと、吐き捨てるように言った。
「おだてても何も出ないぞバカ野郎」
 オレは自然に笑っていた。
 なんだ、やっぱり勘違いだった。チアキが眠そうなのも当然だったんだ。
 そりゃ、慣れない徹夜なんてすればな……。
 オレは胸をどん、と叩き、チアキの努力に報いることにする。
「よし、そういうことなら。オレで良ければ、着させてもらうよ」
 
 
 で、着てみた結果。
「おおトウマ、それ意外に合わないこともないぞ」
 オレは顔どころか全身から炎が吹き出しそうだった。
 なんだよこの体中で可愛さを発信してる服は。オレの趣味の正反対じゃないか。
「うん、スカートの丈も丁度いいし、袖も大丈夫。靴まで合ってる。これは奇跡だな」
 確かに、この衣装はオレの身体を採寸して作られたとしか思えないくらい、オレの身体にフィットしていた。
「すごくカワイイぞ、トウマ」
 やめろ、真顔で言うな! 茶化されるよりも恥ずかしさが倍になる!
 うひー、落ち着かねえっ!
「あ、トウマ座れ」
 何かに気づいたチアキが、近くの椅子を引っ張りながら言う。
「本番まで時間がない。さっそく練習するぞ」
 え? もう?
 オレが何か言おうとしている間にも、チアキはてきぱきと動き続け、オレの椅子の隣にもう一つの椅子を並べる。
 仕方なく、指示に従って椅子に座ることにする。
 もうこの衣装も着ちゃったし、ついでといえばついでだし。
「あれ、ていうか台本は? チアキ」
 セリフなんてわからないぞ、オレ。
「ああそうだった、ほいこれ。この……ここだ」
 隣に座ったチアキに台本を渡され、練習するシーンを指でとんとん、と指される。
「よし、わたしも用意をする。それを読んで待ってろ。ある程度覚えてくれ」
 オレが答える前に、チアキは教室から出て行った。
 いきなりで無茶なフリだとは思ったが、チアキもかなり慌てている様子だ。
 ため息をひとつ、この状況を受け入れることにする。
 セリフを覚えようと、台本を改めて眺めてみる。
 こう書いてあった。
【シーン十三:帽子屋との再会】
 後ろでドアが開き、閉まった音がした。
「待たせたな、始めよう」
 オレの後ろからチアキの声がした。
 チアキは上半身がスーツ、下半身がウサギの着ぐるみだった。
 そして、ウサギの耳が飛び出たシルクハットを被っていた。
 オレは震え出す拳を、もう一方の手で押さえつけた。
 偶然だ。ただの偶然だ。
 
 
 チアキはどっかとオレの隣に座り、さっそくセリフを喋り始めた。
『どうだい? もう夢の世界には慣れた?』
 なんだかチアキらしくもない、誰かに似た口調だ。
 もちろん演技だからなんだけど、なぜか落ち着かない。
 えーと、確かオレのセリフは……。
『うんでも、ここは怖いところね。なんだかみんな、普通じゃないみたい』
『うん、そうかもね。でも〈普通〉ってどういうことか知ってる?』
 なんだかこの会話、もう知ってるような気がする。
 でも、ただのセリフだ。ただ似てるだけだ。
 その証拠に、チアキはほぼ棒読みに近い。
『知ってるわ。わたしみたいな人のこと』
 オレは胸に手を置いて応える。自然に感情が入っちまうな。
『きみだって? うーん、それはどういうことかな?』
 チアキも棒読み加減が抜けてきた。よりセリフが自然になっていく。
『あなたの格好は変よ。わたしみたいな人を〈普通〉と言うの』
 突然チアキがこちらを向いた。
 チアキの顔に、なぜかじわじわと笑みが広がっていく。
 それはチアキらしくもない、ひねくれた邪悪な笑み。
 オレは声を出しそうになるが、寸前で止める。
『きみが〈普通〉? はは、普通、普通ね! その格好はずいぶん奇抜だと思うけど? だってここ、学校だよ? 学校でエプロンドレスか、はは、はは、あっはははははは!』
 チアキが腹を抱えて笑い出す。
 あの笑いだ。帽子屋のヒステリックな笑いだ。
 オレはしばらく呆然としていたけど、ようやく何が起きてるのか理解できた。
 夢で見た映像とオレが起きたときの状況が全く同じで、しかも夢に出てきた人物と全く同じ服装をチアキがして、全く同じ笑い方で笑っている。
 こんな偶然の連続なんてあり得ない。だったら、答えは一つだ。
 夢から覚めてなんて、なかったんだ!
「学校だって? どうせこれも夢なんだろ、関係ないじゃないか!」
 もうセリフがどうだったかなんて覚えてないし、気にもしない。
 チアキが一瞬だけ笑いを止め、真顔になった。
 でもすぐに耐えきれなくなり、盛大に吹き出す。
『ぷ、ぷははは、あーははは! いいや、いいや違う、これは現実だ! このたび帽子屋は見事、現実デビューを飾ったというわけなんだよ!』
 腕を振って、周りを指し示すチアキ。
 オレは身体中が震え出していた。
 そんな。だったらまだ夢の方がいい。
 これはまずい。かなりまずい。
 動こうとするが、腕をつかまれて制止された。
『だから夢と違ってこうするだけで、きみは逃げられない。それに、ナイフとかで刺されたりしたら、きみはとっても痛いだろうし、もしかすると死んじゃうんだよ』
 チアキの目に宿るのは、まぎれもない狂気。
 どういうことなんだ、こいつは帽子屋じゃないか!
「くそ、どうやって現実に出てきたんだ、帽子屋!」
 オレはもがくが、チアキはしっかりと腕をつかんで逃がさない。
『むししし、カギは〈悪夢〉と〈狂気〉。〈悪夢〉をこの子に繰り返し見せるのさ、きみに見せたみたいのをね。そうなると、その精神は〈狂気〉に染まって、壊れちゃう。そこに、ボクみたいのが入り込む隙が出来る』
 心底愉快そうに笑いながら、身体の横をまさぐる。
 出てきたのはナイフ。大きなナイフ。
 血でべったりと濡れている。
「ひっ!?」
 オレは情けない声を出すことしか出来ない。
『この身体の使い方を覚えるのに、二人もかかったよ。むしししし』
 ああ、ああ。オレは怯えていた。泣いていた。
 たぶんチアキは、姉妹を殺したんだ。
 チアキが打ち明け話をするように、こちらに顔を近づけた。
『この子はもう〈狂ってる〉。でもね、他の子もこれが結構、〈狂ってる〉んだよ?』
 突然教室のドアが開いた。
 入ってきたのは、内田、吉野、それにマコト。
 みんな瞳が曇っている。意思が宿っていない。
 いや、その微笑みを見る限り、オレには理解できない意思があるのだろう。
 そして、全員がチアキと同じナイフを持っている。
 チアキが、いや帽子屋がオレにささやく声が聞こえる。
『悪いけど、〈赤の女王〉の命令でね、きみを殺さなくちゃなんだ。きみはどうも悪夢に対して耐性があるみたいで、なかなか壊れてくれないんだもの』
 帽子屋がナイフを持ちながら頭をかく。
「赤の女王、って誰だ」
『夢の世界の絶対君主さ。いや、絶対君主【だった】ってなるのかな?』
 そこで内田が、吉野が、マコトがにやりと笑った。
『だってもうすぐ、こっちの現実も支配することになるんだからねえ』
 帽子屋の持つナイフの先が、ゆっくりとこちらを向いた。
 内田たちも、こちらに向けてナイフを構える。
「い、いやだ、いやだっ」
 オレはもう泣くことしか出来ない。どうすることもできない。
『それじゃ、おやすみ!』
 ナイフが一斉に、オレに突き立てられた。
 
 
 痛みは無かった。
 突き立てられたナイフはすぐに引き抜かれ、それがおもちゃの、刃の先を押すと刃が縮まるナイフだったことがわかった。
 突然手をつかまれ、オレは身体を震わせる。
 目の前に帽子屋……じゃないチアキの顔があった。
「すごい、すごいよトウマ、名演技だよ! セリフもアドリブも完璧で文句なし、わたしもなんだか途中から夢中になっちゃってたよ!」
 つかんだ手をぶんぶん振る。なんだか心底感動しているみたいだ。
 内田もなぜか泣きそうになりながら声をかけてきた。
「ホントにトウマくん刺しちゃったかと思ったくらい……」
「うんうんわたしも! すごいトウマくん怯えてて、本気みたいだった!」
 吉野が首をぶんぶん振って、内田に賛成する。
「トウマお前、どこで演技習ったんだ!? 将来女優決定だな!」
 マコトに至っては驚きっぱなしだ。
 そして全員から注がれる尊敬のまなざし。
 なるほど、そういうことか。身体の力がほとんど抜けて、背もたれにもたれた。
 全部、台本通りだったのか。
 オレはみんなに気づかれないように、そっとため息をついた。
 そういえばチアキが持ってた血まみれのナイフも、よく考えればおもちゃっぽい。
 オレが何か言う前に、チアキが台本を取り上げ、みんなに声をかけた。
「アリスが王子様のキスで生き返るシーンは、もう遅いので明日にしよう。ごほん」
 急に咳払いをすると、手を後ろで組み、姿勢を正す。
 それに習い、他の三人もびしっと姿勢を正した。
 チアキの口からおごそかに重々しく、言葉が流れ出す。
「我々は南トウマという逸材を今日、手に入れることが出来た。しかし、これは偶然ではない、神からの贈り物である! この南トウマの実力が完全に発揮できれば、もはや諦めかけていた発表会での優勝だって夢ではない! 諸君、道は開けた! 全力を尽くそう、以上である!」
 右手をオデコに当て、敬礼。
 他の三人もそれに習い、敬礼。
 なんだか感動的なシーンみたいだったので、オレは何も言えなかった。
 
-------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
『おっかえりー! 【シーン4.トウマ】なかなかよかったよー!』
 オレは気づいたらまたソファーに座っていて、横には帽子屋が居た。
『紅茶おかわりどーお? ノド乾いたでしょー、だいぶ泣いてたもんねえー?』
 相変わらずにやにや笑いの帽子屋。
 でも、帽子屋はもうスーツではなかった。オレと同じパジャマを着ている。
 もはや、オレ自身にしか見えない。
『やっぱり夢オチでした、っと。バレバレだと思ってたのにマジなんだトウマくんたら』
 ぷぷぷ、と口を押さえて笑う帽子屋。
「うっせえよ。こっちは必死なんだぞ」
 文句はいいつつ、紅茶はすする。ノドが乾いたのは本当だ。
 ちょっとの間、ソファーの辺りは静かになった。
『ま、単なる夢だから気にしなさんな。これと同じだよ、これと』
 珍しく真面目に、帽子屋がオレを励ます。オレが相当グッタリしているからだろう。
『あれが現実だったらトウマくんはまーちょっとヤバい人だけどね。〈夢の世界が現実を侵略してる〉って一瞬でも本気で信じてたんだからね』
 オレは答える気にもなれなかった。なるほど、オレも〈狂って〉たってわけか。
 まとめると結局、ずっと夢の中に居たわけだ。
 そして、こいつの相手をしていたのか。
「なあ、聞きたいことがあるんだけど」
『〈赤の女王〉なんて居ないよ』
「知ってるよ。そうじゃなくて……」
 じっと帽子屋の顔を見つめる。相手も目をそらさずに受け止める。
「あんた誰?」
 またちょっとの間、ソファーの辺りが静かになった。
 帽子屋はひざを抱え、ソファーの上でゆらゆら揺れた。
 重大な秘密を抱えてるけど言うまいかどうしようか、という感じだ。
 やがて短い息を吐くと、ゆらゆらをやめて元通り座った。
『ボクなんて居ないんだよ、トウマくん』
「なんだって?」
 またからかってるのかと思ったが、どうも横顔が本気に見える。
『これは夢なんだよ? だったら決まってるじゃないか。つまり』
 こっちを向く。どこまでも真剣で、そして寂しげな瞳があった。
『これまでの対話【ダイアローグ】はすべて、長い長い一人言【モノローグ】だった、というわけなんだよ、トウマくん』
 言い終えた瞬間、帽子屋の姿が揺らめいたように思えた。
 まるで陽炎をムリヤリ凍らせていたのが、いま溶け始めているかのように。
 帽子屋は自分が消えそうなことなど気にせず、懐中時計を取り出して眺める。
『ふむ、そろそろ次のお客様が来るな。では、今回のお茶会はお開きだ』
 テーブルがぶるぶると震えだした。
 ぐぐ、ぐぐ、と端っこが伸びて、丁度二人分余裕が出来た。
 その余裕の部分に、帽子屋がティーカップを二つ並べて置く。
 そしてソファーとテレビをそれぞれ引っ張って、テーブルの端っこに揃えた。
『これでよし、と』
 帽子屋はもう半透明で、消えかけている。
「なあ、あと一つだけ質問がある」
『そう、じゃ早くしてね? 見ての通り消えかけだ』
 大げさに腕を横に振って、笑って見せる。
「あんたは何のために、こんなことをしたんだ?」
 帽子屋はわざとらしく顔をしかめながら、驚いた。
『わかってなかったのかい? 単なるボクの趣味さ』
 ソファーの裏からリンゴを取り出す。
 リンゴははっきりと見えるが、帽子屋はもう煙みたいに見える。
 リンゴを一口。
 噛みながら、オレに語りかける。
『そうだ、一言だけ言っておかなくちゃ』
 もう一口、かじり取る。
『点検はかかさないようにね。あんたがた歯車のさ』
 さらに一口。
『あんたがた危なっかしくて……』
 リンゴが床に落ちた。歯形を残したまま。
 帽子屋は居なくなっていた。
 そこで、オレは今度こそ、目を覚ました。
 
-------------------------------------------------------------------------------
 
 
 
 
 
 
 わたしは、南チアキはパジャマで立ち尽くしていた。
 そしてわたしの周りには、なんだかただ真っ黒なだけの空間がある。
「おい、誰なんだ」
 でも誰か居る。それはわかる。
 それは……そいつは……。
「わたしにそっくりな顔しやがって、バカ野郎」
 そのとたん、わたしの目の前にわたしが居た。
 
 つまり、南チアキが。
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Date:2014/04/27
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Thema:二次創作:小説
Janre:小説・文学

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