明日から書く。

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□ みなみけ □

保坂の記憶喪失

 マキは病室に駆け込むなり、言った。
「保坂先輩! 大丈夫ですか!」
 おっと、口を押さえる。声が思ったより大きくなってしまった。
 市民病院の病室というのは、あまり大声を出すべき場所ではない。
「おお、マキか」
 ベッドに上半身を起こした姿勢で座り、こちらに手を振っているのは、当の保坂である。
 頭に巻いた包帯と、振っていない方の腕を固定したギプスが痛々しい。
 まったく、この先輩が車にひかれて入院とは。異様な元気のみが取り柄の人間なのに、これではいいとこナシではないか。
 
 
 マキは他の患者さんにちょっと謝りながら、保坂のベッド横に置いてある椅子に座る。
「もー、心配しましたよお」
「ははは、すまないな。申し訳ない限りだ」
 こちらに苦笑いを向ける保坂は、思ったより元気そうだ。
「一体なんだって下校中に車にひかれたりするんです?」
 保坂の顔はなぜかそこで、まるで痛みに耐えるように曇った。
 しばらくの沈黙。
 マキはまさか! と思った。もしかして、わたしはいま、聞いちゃいけないようなことを聞いてしまったのでは? ハルカに思いを伝えられなかったことを後悔して、保坂先輩は自ら車の方へよたよたと歩いて……!?
「あの、保坂先輩、無理に答えなくてもいいですから……」
「ちょっと、思い出せない。なにか重大かつ幸せな考え事をしていたのは覚えている」
 渋面のまま答える保坂。
 マキはがっくりと脱力した。また妄想が原因かよ。
 ああそうだ、妄想で思い出した。言っておかなくてはならないことがある。
 あまりビックリさせても身体に毒だろうし。
「保坂先輩、実は今日、特別ゲストが来るんです!」
 笑顔でバンザイのマキを見て、怪訝な表情の保坂。
「ゲスト? 誰だ?」
「むふふ、保坂先輩がいま一番会いたがっている人です」
「ふむ……?」
 あごに手をやって、考えるポーズを取る保坂。
 またまたわかってるくせに、とほくそ笑むマキ。
 そのとき病室の入り口から声がした。
「あの、保坂先輩が入院してるって聞いたんですけど……」
 マキは思った、計画通り。
 南ハルカが、定刻通り病室に到着したのである。
 ついに念願のご対面……これは見物だわい。くくく。


 ハルカはマキの横に着席するなり、言った。
「あの、お怪我は大丈夫なんですか? 車にひかれたって……」
「え、ええ。大丈夫……です」
 突然の出来事に戸惑ったのか、敬語で答えてしまう保坂。
 マキは笑いを抑えるのに必死だった。
 こんな緊張してる保坂先輩は初めて見た。というか敬語で話してるのを初めて見た。
「マキから聞いて、驚いたんですよ。思ったより大丈夫そうで、安心しました」
「ええ、二週間もあれば、完治するとのことですので」
「そうなんですかー。早く治るといいですね」
「早く治らないと、部活の後輩に抜かれてしまいますからね」
 和やかに談笑する二人。
 もっと「きもちわるい」言動があるかと警戒していたが、予想外に普通な会話だ。
 普段妄想している場面しか見ていなかっただけで、案外普通に話せる人だったわけだ。
 しかし保坂先輩にとってはそれこそ妄想の中でしか無いような念願のシチュエーションだろうし、わたしがここに居るのもちょっと邪魔かもしれない。
 というわけで、マキはそっと席を立った。
「ちょっとトイレに行ってきます」
「わかった」
「行ってらっしゃい」
 マキが席を離れても会話は続いていたが、病室から出るか出ないかくらいのところで、保坂のこんな言葉が聞こえてきた。
「ところで、失礼ですが……お名前はなんとおっしゃるのですか?」
 マキは気づくと保坂のベッド脇に戻っていた。
 
 
 マキは震えていた。この事態の深刻さを身体が理解しているのだ。
 思わず保坂の肩をつかみ、問い詰める。
「保坂先輩、南ハルカですよ、南ハルカ! 覚えてないんですか!?」
 保坂はまたもあごに手をやって、考えた。
 やがて、重々しく口を開く。
「ああ。申し訳ないが、覚えていない」
 マキは椅子にぺたんと座り込んだ。そんな、よりによってこの人が、南ハルカを忘れるなんて。
 ハルカが苦笑いしながら、保坂にフォローを入れた。
「覚えておられなくても、それは仕方ないと思います。だって、会ったのは一回切りですし、バレー部にも入っていませんので」
 その言葉に、保坂は何かを思い出したようだった。
「ああ、そうか。バレー部の即戦力として期待されている、あの南か」
「えっ? そんな、即戦力だなんて……」
 居心地悪そうに、照れ笑いでもじもじと身体を揺らすハルカ。
「部長の速水も、南には即レギュラーを条件に入部してもらいたいと言っていたぞ」
「ええー? 困ります、ちょっと家庭の事情もありますし……」
 思いがけず始まった部活への勧誘を眺めながら、マキは青ざめていた。
 やっぱり保坂先輩は、ハルカの事を、完全に忘れている。
 速水先輩がハルカの事を保坂先輩に紹介する直前(実際に目視で確認する直前)まで、どういったわけか記憶が戻ってしまっているのだ。
 十中八九、事故が原因だろう。頭打って記憶喪失なんて、ベタにもほどがある。
 とかなんとか考えている間にも、二人の話題はハルカの私生活に及んでいた。
「ほう、夕飯を毎回作っているのか! それは大変だろう」
「いえいえ、もう慣れましたから。妹たちも手伝ってくれますし」
「なるほど、実に良い妹さんたちだ。きっと南に似て可愛らしいのだろうな」
「か、可愛らしいだなんて! もう、やめてくださいよー」
 やだもー、と手を振るハルカと、笑顔で謝る保坂。
 マキは思った。
 あれ、なんか面白くない。
 ハルカがここに来てから十五分ほど経っているが、保坂先輩は一度も「きもちわるい」言動どころか、ちょっとしたミスも犯していないのだ。
 いや、「きもちわるく」なって欲しいわけではないのだ。そうではなく、これでは保坂先輩じゃない、別の人が話しているみたいな……。
「マキ、どうした」
 保坂の声に、マキは顔を上げた。
「さっきから黙っているが、具合が悪いのか?」
 ギプスを巻いた怪我人に具合を心配されるとは、なんたる皮肉だろう。
「……やっぱり、トイレに行ってきます」
 マキは席を立ち、病室を後にした。
 
 
 しばらくトイレで時間をつぶし、病室に戻ってくると、まだ保坂とハルカは談笑を続けているところだった。
 ベッド脇の椅子に座り直す。
 まるで別の世界に来てしまったようだ、とマキは思った。
 もしもの世界だ。保坂先輩が南ハルカに一目惚れをしなかった世界。
 妄想などしない世界。奇矯な言動をしない世界。
 ハルカのために突っ走った努力などしない世界。
 強烈な愛情を知らない世界。
 片思いの幸せを知らない世界。
 ああ、一目惚れがなければ、保坂先輩とはこんなにマトモな人間だったのか。こんなに普通に話せる人物だったのか。
 全然知らなかった。
 マキが考えている間に、ハルカが何かに気づき、病室の時計をちらりと見やった。
 保坂もそれに気づき、時計を見る。
「む、もうこんな時間じゃないか。夕飯の支度があるのではなかったか」
「あ、そうですね……じゃあすみません、そろそろ……」
 ハルカが詫びながら椅子から腰を上げる。
「いや、引き留めてすまなかった。話が楽しくて、ついな」
 あくまでも真顔で謝る保坂に、ハルカから笑みが漏れる。
「いえいえ、わたしこそ楽しかったです。それでは、失礼します」
「ああ、また」
 病室を後にするハルカを、軽く手を振って見送る。
 突然、保坂がマキに厳しい顔を向けた。
「マキ、注意しておきたいことがある」
「は、はい?」
「俺の事をほとんど知らない人を、見舞いに呼んじゃ駄目じゃないか。相手の迷惑になるだろう。南も戸惑っていたぞ」
 マキはうつむいて、言葉に詰まってしまう。
 違う、違うんです。本来なら、これは保坂先輩への最高の贈り物だったはずなんです。
 しかし、それを説明したところで、「この保坂先輩」は信じなどしないだろう。
「……すみません」
 しぼるように声を出して、謝る。
 その様子を勘違いしたのか、保坂は先ほどと打って変わって優しい声色になる。
「だが、見舞客を呼んでくれたことには感謝している。ありがとう、マキ」
 マキが顔を上げると、そこには保坂の優しい微笑みがあった。
 ハルカに向けられたものではない。正真正銘、自分だけのための笑み。
 マキはなんと返したものか、わからなくなってしまった。
「あの、保坂先輩が入院してるって聞いたんですけど……」
 そのとき、病室の入り口から声がした。
 アツコだった。
 
 
 アツコと保坂の談笑する様子を見つめながら、マキは気づいたことがあった。
 保坂がやたらと真剣であり、そして楽しそうなのである。
 いや、違う。正確に言うならば、きちんと目の前に居る人間に対して話をしている、とでも言えばいいのか。
 つまり、人間としてごく当たり前の行為をごくごく当たり前に行っているだけなのだが、今までが今までなのでギャップが激しい。
 まるで、目の前に居るアツコに対して、ハルカ並みの好意を持っているようにさえ……。
 はっ!
 何気ない学校の話や部活の話やテレビの話や天気の話をしながら、アツコの顔が心持ち紅潮しているような。
 まずい。
 マキは半ば強引に話を打ち切り、アツコの手を引いて病室を後にした。
 
 
「ねえ、アツコさ。保坂先輩に関して、何か気づいた事とかない?」
 病室から少し離れた廊下で、マキはアツコにつとめて何気なく質問した。
 なぜか答えがない。
「アツコ?」
「え、はい?」
 どうやらぼーっとしていて、聞いていなかったらしい。
「だからね、今日の保坂先輩、ちょっと変じゃない?」
「変?」
「そう。だって、そもそも普段ならあんなに会話続かないでしょ?」
「そっか、そういえば、こんなにちゃんとお話したの、初めてかも……」
 なぜか天井に目を移し、そこにある染みの辺りをうっとりと眺める。
 やばい。
 マキの恐れていることが現実になってしまった。
 この可哀想なアツコは、完全に勘違いをしてしまっている。
 今までアツコの話など全く聞かなかった保坂先輩が、急に彼女の話を親身に興味深げに、そして楽しげに聞き始めたのだ(後輩に対して普通の接し方になっただけなのだが)。
 しかも、今まで耳が腐りそうな程聞いてきた「南ハルカ」のワードがただの一回も出てこない。
 つまり、アツコの脳内で現在組み立て中の仮説はこうだ。
 保坂先輩はハルカに振られてしまい、傷心のあまり交通事故にあってしまった。しかし、先輩の身を案じて見舞いに来たアツコと話すことで、そうだ俺の近くにはこんな素晴らしい女性が居たじゃないかと気づいた……。
 うるんだ瞳で天井の染みを見つめ続けるアツコ。
 まあ無理もない、とマキは頭を抱え、ため息をつく。
 なんといっても、保坂先輩は……言ってしまえば、相当カッコいい先輩だ。
 顔はハンサムで背も高く運動能力も高く勉強もそこそこ出来て部活のエース、さらには心優しい性格で面倒見が良くて器が大きいときたものだ。
 本来ならば、「バレーボール部の憧れの先輩」のポジションに居るべき存在だろう。
 だが奇癖や奇妙な行動の数々ゆえに、「近寄らなければ無害な生き物」と呼ばれるまでに落ちぶれてしまっていたのだ。
 だがマズいことに、非常にマズいことに、事故によってハルカへの片思いという記憶が抜け落ちてしまったために妄想が抑制され、さらには奇癖もほとんど見られなくなってしまった。
 ということは、あの病室に居た「保坂先輩」は保坂先輩にあらず……全てのリミッターを解放し、本来の実力を取り戻した「真(ネオ)保坂」なのだ。
 このネオ保坂の手にかかれば、純真な女子バレー部員の心をもてあそび、道を誤らせたあげくゴミみたいにポイッと路上へ捨てるくらい朝飯前。
 まさにモテ界の帝王、爆誕! なのである。気をつけなければ。
「ねえ、爆誕ってなに?」
 おっと、アツコの乙女タイムが終わったようだ。
「いや、なんでも。おほん! そろそろ時間も遅いから、帰らないかね?」
 なぜ紳士風なんだろう、と思いながら、アツコは壁にかけてある時計を確認する。
「え、だってまだ面会終わりまで一時間ある……」
「あの時計は早いの! ほら、帰るよ支度して!」
「ええ~?」
 いつも通りマキに押し切られる形で病室に戻り、手早くカバンを取って廊下に戻る。
 帰り際に振り返ると、保坂に向けるアツコの笑顔が夕日に輝き、この上なく幸せな光景に見えた。
 ネタばらしは明日にしよう、とマキはため息をつく。
 こりゃ、ばらす自分もしんどいわ。

 
 
 次の日の昼休み。
 机を寄せているのは、いつも通り、マキ、アツコ、そしてハルカである。
 大体いつもと変わらない内容の弁当に、いつもと変わらない話題、それに笑顔。
 だがアツコは何かに気づいた。マキの表情がいつもより、微妙に陰りを帯びている。
 よく見ると笑顔もどこかぎこちないし、心持ち世間話にも上の空だ。
 なにかあったのかな?
 アツコが小首をかしげていると、ハルカがトイレに立った。
 この際だからと、アツコは思い切って聞いてみることにした。
「ねえ、マキ。何かあったの? お腹が痛いとか……」
「よくぞ聞いてくれました」
 重々しく、そして食い気味にマキが答える。
 セリフそのものは軽妙なのに、マキはもう笑顔の仮面を脱いでいた。
 アツコを見つめるその目には、普段の楽天的な光が無い。
 怯えるアツコに対して、マキが続ける。
「いい? 一回しか言わないから。小声で言うから聞き取って。あと声を出さないで」
 こくこくと急いでアツコがうなづくと、マキがアツコの耳に手と口を持っていった。
「保坂先輩は頭を打ったせいで、南ハルカへの恋を完全に忘れています」
 顔を離す。
 アツコはしばしぽかーんとしていたが、急に素早く口に手を当てた。
「ぷふっ! ぷ、くくくくく!」
「あ、ちょっと! 信じてないなー!」
 両腕を振り回して怒るマキを、笑いの発作に耐えつつなだめるアツコ。
 しばらく経って落ち着くと、目の端の涙を拭きながら反論する。
「もー、それ何の冗談? 頭打って記憶喪失って……しかもハルカを忘れるなんて」
 マキはそれには答えず、じっとアツコの目を見る。
 その真剣なまなざしに、アツコも少しずつ事態を理解しはじめ、そして……。
「んぷっ! ごほ、ごほっ、ごほ」
 別の笑いのツボに入った上、気管支にも何か入ってしまった。
 ハルカが戻ってきて、その光景を眺めて微笑む。
「あら、楽しそう。何かあったの?」
「もおー! なんで笑うのよおー!」
「ごほっ、ごっほ、ごほっ!」
 
 
 ようやく放課後になって、マキはアツコに事態を飲み込ませることが出来た。
 夕焼けの廊下に立つ二人。哀れみにうるむ瞳を赤く染めながら、アツコがつぶやく。
「そう……保坂先輩……本当にハルカの事忘れちゃったんだ……」
「そのリアクション、昼休みの段階で出来たよね? よね?」
 マキがアツコに詰め寄るが、急に両肩をつかまれたので驚いて止まった。
「保坂先輩、どうなの? やっぱり悲しいのかな? お見舞いの時は気づかなかったけど」
 そうだね、アツコはお見舞いの時浮かれて笑ってたものね、とマキは目を伏せる。
「悲しくはないと思うよ。だって忘れたんなら、最初から無いものと同じじゃない」
 両肩の手がゆっくりと離れた。アツコのつぶやきが聞こえる。
「そう、なのかな……」
 言葉は続かなかった。
 突然マキが冗談めかした声を作って、アツコの腰を軽く叩く。
「なんならさ、アツコが狙っちゃえば? いまなら行けるって!」
 びくっとアツコの顔が上がり、マキと目が合った。
 しかし、すぐにその眉根が寄り、切なさにうつむいてしまう。
 言葉は返ってこない。
 そっか、とマキは頭を掻く。そうなれば選択肢は一つだ。
「ねえ、アツコ」
 再び、マキとアツコは目を合わせた。
「保坂先輩を元に戻せるかもしれないとしたら、協力してくれる?」
 
 
 再びマキとアツコは病室の前に戻ってきていた。
「よしアツコ! ここでトランスフォーム(変形)よ!」
「う、うん!」
 アツコは急いで自分の髪をゴムやピンでまとめ、盛り上がらないように形を平たく押さえた。そしてさらにヘアーネットを被って形を整え……。
 通りすがりの看護師さんにあいさつされたので、あいさつを返した。
 しかるのち、ヘアーネットの上に後頭部からウィッグを被る。
 色は薄茶のロングヘア。
 手ぐしで整えると……そう、南ハルカにうりふたつなのだ!
「いや、ほとんど似てないと思うけど……」
 うさんくさげな表情で手をひらひらさせるアツコ。
 むう、ここまで付き合っておいて面倒な。
「いーのよ! 相手は頭打ってるのよ!? 後輩の認識だってずいぶんとテキトーになってるに違いないわ!」
 ぐっ、と拳を握る。おいおい、とアツコの顔が苦い物になる。
 とにもかくにも、二人は病室に入った。
「すみませーん」
 マキの後ろについて、おずおずとドアをくぐるアツコ。
 変装しながらお見舞いなど、人生最初で最後だろう。最後であって欲しい。
 保坂のベッドからおなじみの声が聞こえてくる。
「おお、マキか! それと……えー」
 怪訝な表情でアツコを見つめる。
 そそがれる好奇と不審の視線の中、アツコは顔をそらしたい、いやむしろ病室から出て行きたい欲求をこらえ、そこに立ち続ける。
 しばらく試練の時を過ごした後。
 保坂がおもむろに口を開いた。
「南ハルカか。よく来てくれた!」
 固く手を握り合うアツコと保坂。
 マジで? とマキは開きっぱなしになっていた口を閉じた。
 
 
 しまった。うまくいってしまった。
 事前のシミュレーションでは
『なんでそんな格好を!』
 と保坂先輩がツッコミを入れたところで、
『実は南ハルカが来られなかったので、代役としてアツコが自ら志願して(以下略)』
『ふざけるな! そんなのは全然南ハルカではない! 南ハルカは……もっと……素敵な……ぐうっ、頭が!』
『大丈夫ですか!』
『むう、俺は……いままで何をしていたのだ? いま行くぞ! 南ハルカーッ!』
 と感動的な病院脱出劇に入る予定だったのに……。
 そのために台本(マキのみ)と目薬(マキのみ)まで用意してたのに!
 目の前ではアツコと保坂が、若干ぎこちないながらも和やかに、料理の美味しい作り方情報で盛り上がっていた。
 頭を抱えるマキ。うっひゃーどうしよう。信じるとは予想外すぎる。
 誰か助けて、ザ・ノープラン!
 と、ちらと自分のカバンが目に入る。ちろっとタオルの端っこが覗いていた。
 これだ! とマキの目が光る。
「ほ、保坂先輩!」
 保坂が日本のジャガイモを濃厚でホクホクに仕上げる方法のレクチャーを中断し、マキの方を向く。
「あ、汗が! オデコの汗がすごいですよ!」
「ん? そうか?」
「ストーップ!」
 オデコに手をやる保坂を、マキが止めた。
「アツ……じゃなかったハルカ! ちょっとこれ、これ!」
 タオルをアツコに差し出す。
「これで。拭いて。差し上げて」
 一言一言にゆっくりと重みをこめて、間違いなく意味が伝わるように、アツコにタオルを手渡した。もうこうなったら、普段の妄想を逆手に取るしか無いわ!
 アツコはぽかんとしていたが、本来の使命を思い出し、真剣な面持ちでうなづく。
 ぐるりと身体ごと、保坂の方を向いた。異様な雰囲気に、保坂が軽くビクリとする。
 アツコは保坂の頭部めがけて、じりじり、じりじりと距離を詰めていく。
 保坂は気圧されて一言も発することが出来ない。
 アツコが保坂の右側、定位置に着いた。
「いまよ、アツ……じゃなかったハルカ! 汗を拭き取るのよ!」
「うん!」
 出し抜けにアツコの右腕(タオル付属)が飛び出し、保坂のオデコにぶち当たった。
 ゴギイン!
「あいった!」
 思わずオデコを押さえる保坂。
「ちょ、ちょっと強すぎよ!」
「ご、ごめんなさいごめんなさい」
 ガチガチに緊張していたため、力の調整がうまくいかなかったようだ。
 
 
 入念にイメージトレーニングとリハーサル(マキ相手)を繰り返し、深呼吸を過呼吸になるまで行ったあと、再度、アツコは保坂頭部に出現した汗を拭き取る作戦を再開した。
 今度は保坂は寝た姿勢だ。たぶんこっちの方が安全な気がする。
 アツコが移動し再度、保坂の右側定位置を確保する。
(いまだ! 鉄人! 汗を拭き取れ!)
 マキが念じるのと同時に、やや緊張気味のアツコがぐぐぐ、と腕を動かし……。
 ぽんぽん、と保坂のオデコの汗を拭いた。
 優しく、優しく。
 緊張に強ばっていた保坂の顔も、やや落ち着いてくる。
 タオルがオデコから離れた。
「次は左ほほの汗よ! 鉄人!」
「う、うん!」
 鉄人ではなくアツコは緊張のためか間違いを受け流し、そのまま左ほほの汗を拭くために腕を伸ばす。
「違うッ!」
 マキの叫びに気づいて振り向くと、そこには腕を組んで燃える瞳のマキ……いや、マキコーチが居た。
「え、なにが?」
 たじろぐアツコを呼び寄せ、耳元でコショコショとささやく。
 アツコの顔が赤くなっていった。
 しかしマキとアツコの間で、ややすったもんだがあった末。
 アツコは決意を秘めた燃える瞳で、うんと力強くうなづいた。
 それを見て、保坂は顔が青くなっていくのを覚えた。
「よいしょっ、と」
 アツコは右脚を保坂の左側に乗せ、続いて迷い無く左足を保坂の右側に乗せた。
 つまり、保坂をまたいだ。
 保坂は絶句した。
「やっぱり下から、見上げながら拭かないと意味が無いですよね!」
 朗らかなマキの声が、逆光でうすぐらいハルカ(アツコ)の向こうから聞こえる。
 保坂も寝ているので、もうほぼのしかかられている格好だ。
 アツコは両ひざで下半身の体重を支え、左手を付いて上半身の体重を支えている。右手はタオルを持っているためだ。
 保坂にしてみれば、いつ左手が外れて身体が落ちてくるか、かなり怖い。
 いやまて、病室で何をしているんだ、自分は。
 後輩相手に。
 眼前にはハルカ(アツコ)の顔。暗くてよく見えないが、片腕のみでバランスをとっているためにぷるぷると震える上半身、ときおり顔にかかる暖かい吐息、こちらを見上げる潤んだ瞳。ほほに当たるタオル。
 そして、身体の上で上下する身体。
「ちょっと待てええええ!」
 アツコは床に転げ落ちた。
 
 
 マキとアツコはベッドの脇に正座させられていた。
 床であるにもかかわらず正座させられていた。
 二人をベッドの上から保坂が叱りつけている。
「まったく、何を考えているんだ! 特にマキ! まったく、ここは病室であって、あんな淫らな行為をするような場所ではない!」
「淫ら!?」
 アツコがショックを受け、涙目でうつむいた。
「み、淫らじゃないですよ全然! ただの汗拭きですよ!」
 バンザイで抗議するマキ。
「それを言ったらあれだって……もういい、具体的な事例は控えるが、とにかく駄目だ! 大体ここで汗を拭く必要性が感じられん!」
 マキがうつむき、口をすぼめながら言った。
「まあ、無いんですけど」
「無いの!?」
 アツコが更にショックを受け、さらにうつむいた。
 ふうう、と保坂が大きくため息をつく。
 しばらくの間、病室は静かになった。
「まあ詳しい事情はわからんが……俺のことを気遣っての行動だということはわかる」
 優しくなった声色に、二人が顔を上げる。
 保坂は笑顔ではないが、そこにはもはや怒りの色はなかった。
「たびたびありがとうな、マキ」
 マキはまたもや、言葉に詰まってしまった。
 変だ。なんだか胸が詰まる。
「それに、アツコも頑張ってくれたな」
 アツコもすぐには答えることが出来ず、しばらくぽかーんとしていた。
 
 
 ブルーに沈んでいるような、かと思えば桃色に華やいでいるかのような微妙な雰囲気をまといつつ、アツコは病院の廊下を歩いて帰っていった。
 マキはなんとなく残った。
 なんとなく、保坂の横の椅子に座っている。
 お見舞いにフルーツバスケットを持ってきていた。なんとなくリンゴを剥いている。
「リンゴ好きでしたっけ、保坂先輩」
「ふむ、好きではある。だがもう二つ目となると、食べきれるか自信はないぞ」
 マキがくすっと微笑み、保坂が怪訝な顔になる。
「なんで笑っている」
「いえ」
 どうだろう、〈先輩の看病に来た仲の良い後輩〉に見えないかな。
「お前も帰ったらどうだ、もう遅い」
「そう、ですね」
 マキは手を止めて、リンゴを両手で抱えた。
 ごっこ遊びは、終わり。
「保坂先輩に、南ハルカの話をしたいんです。お時間、よろしいでしょうか」
 リンゴに映る自分の顔は、なんだか泣きそうで、しかも歪んでいて、おかしかった。
「……いいだろう」
 保坂の声に、顔を上げる。優しい微笑みがあった。
「面会終了まで三十分はある。話すだけ話して、帰るがいい」
「ありがとうございます」
 いい人だな。やっぱり。
「ハルカは……南ハルカはとっても優しくて、可愛くて……」
 マキは話し続けた。ハルカがいかに料理が上手で、姉妹三人の家庭を頑張って切り盛りしているか、それでいて友人ともなるべく遊ぶようにしていて、勉強もおそろかにせず、しかも体育でも抜群の成績を示し……。
 いかに魅力的な女性であるかについて。
 思い出せる限りのエピソードを交えたつもりなのに、それほどに時間もかからず、話し終えてしまった。
 病室はまた静かになり、マキも黙った。わたしが言えることは、ただこれだけしか無い。
 保坂はベッドに背を預け、深く考える表情のまま、言った。
「なるほど、確かに魅力的な女性だな」
 マキの表情が曇る。保坂の冷静な口調が心に痛い。
 当たり前だけれど、自分の説明で他人が恋に落ちるなんてことは起きえない。
 やはり、わたしは無力だった。失った恋心を取り戻すなんて出来るわけがなかった。
 出来る限りの事をしてしまった今……わたしはどうすればいいのだろう?
 マキは顔を上げ、保坂を見る。
 この、まだ恋を知らない保坂先輩に対して、どう接すればいいのだろう。
 どう接したいのだろう?
 わたしは……この先輩をどう思っている?
 この変態で一途でまっすぐで、どこまでもバカ正直な男を。
「俺が南ハルカに恋をしているのも、いわば当然というところか」
「えっ」
 マキの口から、思わず変な声が漏れてしまった。
 保坂先輩がこっちを向いた。笑ってる。どういうこと?
「アツコに思い切り殴られたおかげで、ちょっとだけ思い出したのだ。ぼんやりとだが……だがおそらく、もう少しで完全に思い出すと思う」
「そんな、そんなのベタすぎますよ!」
 気づけばマキはリンゴを置いていた。両手を特に理由も無く振る。
 保坂は、そんなマキの様子に困惑したようだった。
「もともと、事故によって一過性の健忘が起きているかもしれないと説明は受けていた。普通すぐに治るのだそうだ……今回は少し時間がかかったが。しかし、なぜマキ、お前は」
「泣いてません」
「そうか」
 それきり、保坂はいつもの妄想モードに突入してしまう。
 いつも通り、目の前のマキを無視して。
「ふむ、治ったらすぐに南ハルカの元に向かい、完治報告をせねば……ついでに手作り弁当を振る舞って……ふふ、完璧なわけだ……」
 一人でふふふと笑い出す保坂。
 マキは素早くバッグを取ると、病室を後にしようと立ち上がる。
「待て、マキ!」
 思いがけず、呼び止められた。
「心から、礼を言う。俺に生きがいを、大切な人を取り戻してくれたのだからな」
 例えそれが、決して実らないかもしれない恋だとしても?
 マキが振り返って見た保坂の笑顔は、何かの確信に満ちていた。
 自分が確実に、幸福への道を歩んでいるという確信に。
 そうだった、そうやってこの人は、きっと本当に幸福になってしまうのだ。
 だからマキは思い切り口角を引き上げて、笑顔を作り、こう言ってやった。
「きもちわるい!」
 そして走って、病室を後にした。
 
 
 最近では、保坂とハルカが話す機会が増えているようだ。
 廊下でシャツを全開にするクセは治っていないが、まあ問題は無いだろう。
 問題はむしろ、保坂の話ベタにあるらしい。
 マキはここでいつも笑う……病室ではあんなに饒舌だったのに!
 そして心のどこかで、二人がうまくいくように願うのだ。
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Date:2014/04/27
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Thema:二次創作:小説
Janre:小説・文学

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