明日から書く。

□ キルミーベイベー □

ふたりであってほしひとつ

「お茶いる? ソーニャちゃん」
 のり弁当を食べ終わって、やすなが言った。
「いや、わたしはいい」
 わたしは焼きそばパンの袋を丸めながら返事をする。
 校舎の屋上は暖かさと光にあふれていた。
 ここでこうやって過ごすのも何回目だろう。昼休み終わりまでは、まだ少し余裕がある。
 遠くからの風が髪をなぶり、かすかに湿った木々の香りを運んでくる。
 深呼吸してから、隣のやすなを見た。
「そういえば、お前と初めて遊んだときもこんな天気だったな」
「え、そだっけ?」
 水筒を開けながらすっとぼけているので、ヒントを与えてやる。
「公園の奥の林で遊んだじゃないか。まあ、わたしは真剣だったけど」
 相手はちょっと考えてから、ぽん、と手を打った。
「ああ、そうだったね!」
 わたしは携帯を取りだして、そこにくっついていた星型のストラップを外した。
「懐かしいな、これもお前からもらったんだ……」






「今日からお世話になります、ソーニャと申します。よろしくお願いします」
 わたしが頭を下げると、クラスの誰からともなく感嘆の声がもれる。
 教師が両手を挙げて声を制すと、教室の奥の方を指差す。
「では、あの窓際から二番目の席に行ってください」
「わかりました」
 指定された席に向かって歩き、座った。
 すぐに最初の授業が始まる。
 教室中から自分に悟られないよう、ちらちらと視線が飛んでくる。
 うっとうしい。
 なんで組織はこの学校に、わたしを配置したりしたんだ。
 もちろん、一般市民を装うため――仕事の拠点を作るため――知っている。しかしどう頑張っても、自分は学校で浮いてしまう。もっと別の方法は無かったのか?
 授業が終わると、まちかねたとばかりにクラスメートたちが集まってきた。
「ねえ、ソーニャちゃんって日本語どのくらいしゃべれるの?」
「どこの国の出身?」
「英語しゃべれる?」
「ロシア語のあいさつってどんなの?」
「どこに住んでるの?」
 予定通りの薄っぺらい質問ばかり。そのひとつひとつに、練習通り慎重に対応していく。
 相手に余計な情報を与えないように。ハッキリとは言わないまでも迷惑だと思っている、と相手に思わせるように。
 三日後。
 もはや誰もわたしに話しかけてこない。
 これでいい。
 これで、この人たちを無用な危険に巻き込む心配は無くなった。
 静かに授業を受けながら、ふと窓の外を見る。
 青い空に、綿菓子のような白い雲が流れていく。教師の声と黒板にチョークが走る音、かすかな生徒の寝息。
 窓際の席が空いていて、穏やかな日差しが机を暖めている。
「では、今日はここまで」
 教師の声をきっかけにして蘇る、教室の喧噪。
 授業が終わっていた。だいぶ気を抜いていたみたいだ。わたしらしくもない。
 ノートを閉じながら、ふと思う。
 平和だ。
 まさか、わたしにこんな瞬間が訪れるとは思ってもみなかった。少し嬉しくなる。平穏で何事もない時間が、これからもずっと続けばいいな。
「折部やすな! ふっ……かーつ!!」
 突然、教室のドアが吹き飛ぶように開いた。
 その瞬間、わたしのささやかな願いは打ち壊されたのであった。
 
 
 アホなかけ声と共にドアを開けたのは、ショートカットの小柄な女子だった。
 席を立ち、生徒たちが笑顔で出迎える。
 男子も女子もたくさん集まっている。さぞ皆に好かれる人気者なのだろう。
「おー、やすな久しぶりじゃん!」
「久しぶりー!」
 元気に片手を上げて、折部が応じる。
「もう大丈夫なの?」
「うん、もう全然平気」
 今度はVサイン。なんだか忙しいヤツだな。
 さて、わたしは次の授業の準備でもするか。
「なんで遅れてきたんだ? もう二時間目になるぞ」
「いやー、ちょっと寝坊しちゃいましてー」
 教科書よし、ノートよし。確か電卓は鞄のどこかに……って、これはチョコレートだ。
 チョコレートを戻す。
「やすな。子供と競争して河原の土手を猛ダッシュで降りて、転んで川に突っ込んで風邪引いたって本当?」
 はっ?
 思わず声が出そうになった。危ない。
「ち、違うよー」
 すぐに折部が否定する。
 良かった、それはそうだろう。そんなバカな事をする高校生はいない。
「あれはチーズ転がし祭りに出るための練習してたんだよ。でもチーズ無かったから自分だけ走ってたんだけど」
 バカだー!
 わたしは頭を抱えてしまった。
「あはは、さすがやすなだね」
「やってくれるよなー」
 ていうか、お前らも違うだろ。止めろ止めろ。危ないだろ?
「えへへー」
 折部も「えへへ」とか言ってないで。
 と、折部と目が合ってしまった。
「わっ」
 驚かれた。人垣をかき分け、わたしの所へ小走りで寄ってくる。
 なんだろう。イヤーな予感がするな。
 わたしの席の真ん前に陣取ると、口を開く。
「か、」
 か?
「可愛いー!」
 きらきらと輝く水晶のような目で、折部は叫んだ。
「だ、誰だれ? この人だれ?」
 ばらばらと席に戻る生徒の誰かに向けて、折部が聞く。
「転校してきたソーニャさんだよ」
「へええー」
 凝視されるわたし。
 まあなんと好奇心むき出しの顔だろう。顕微鏡で観察されている気分だ。
「そうだ、ごあいさつしなきゃ。ぶ、ぶ、ブエノスディアス!」
 なぜスペイン語だよ。
「こんにちは」
「わあ! 日本語ペラペラだねー!」
 一言しか喋ってないのに、よくわかるな。


 昼休み。
「ねえねえソーミャちゃん! お昼一緒に食べよう!」
 またか。
 目の前の弁当箱を持って笑顔全開の女子に、わたしはさっそく嫌気が差していた。
 休み時間に入るたび、この調子でわたしに迫ってくるのだ。
 しかもよりによって隣の席とは、運が無い。
「ソーニャだ。せっかくだが、遠慮する。一人で食べるよ」
「ええー、そんな事言わないでさー」
「すまないな。それじゃ」
 廊下に出て、足音を消して走る。
 少し離れて柱の陰に隠れたところで、教室から折部が出てきた。
 しばらくキョロキョロとわたしを探していたが、元の教室へ引っ込む。
 巻いたか。
 まあしばらくこれを続ければ、折部も諦めるだろう。
 さて、昼食はどこで食べたものかな。


 下校時間。
「ねえねえソーニャちゃん! 一緒に帰ろう!」
 しまった、捕まった。
 折部は昼休みとまるで変わらない笑顔。お前には学習能力が無いのか?
「悪い。今日はちょっと用事があるから」
「ええー? おいしいお好み焼き屋さんがあるんだよー」
 努めて折部の目を見ずに、はっきりと告げる。
「またの機会に。じゃ」
「あ、待ってよお」
 声には応えず、廊下を逃走する。
 やれやれ、思ったよりしつこい相手のようだ。
 
 
「ソーニャちゃん、体育のときペア組もうよ」
「いい」
「ソーニャちゃん、お昼一緒に食べよう」
「いや、いい」
「ソーニャちゃん、ソーニャちゃんってどこの国の出身なの?」
「言わない」
「ソーニャちゃん、一緒に帰ろう!」
「断る」
「ソーニャちゃん、ソーニャちゃんってば」
「しつこい」
「ソーニャちゃーん、ソーニャちゃんソーニャちゃん」
「うっとおしい」
「ソーニャちゃんってばー、ねえソーニャちゃん、ソーニャちゃんソーニャちゃんソーニャちゃんソーニャちゃんソーニャちゃんソーニャちゃーん」


 一週間後。
「いい加減にしろ!」
「わ、しゃべった」
 しまった。廊下で無視を決め込んでいたわたしは、とうとうたまりかねて大声を出してしまった。
 当然、廊下に居た生徒の視線が集まる。
 決まりの悪い思いをしながら、折部に指を立てる。
 もうこうなったら、言いたいように言ってやる。こいつのおかげで、だいぶ予定が狂っているのだ。
「なんでわたしにつきまとうんだ! 飯なら他のヤツと食え!」
「だってー、わたしはソーニャちゃんと食べたいから」
「なんでだよ。『今日の水瓶座は八位。ロシア人と一緒にお弁当を食べると良い事があるでしょう』って朝の占いで言ってたのか?」
 言葉に皮肉の刃を忍ばせたつもりだったが、このバカには通じなかった。
「違うよ。仲良くなりたいの」
 真顔で言われて、ちょっと意味がわからなくなる。
「誰と」
「そりゃソーニャちゃんとだよ! 決まってるじゃん」
 わたしと? 仲良くなりたい?
 どんなメリットがあるっていうんだ?
「それは、あー、好奇心ってやつか」
「うーん。うまく言えないけど」
 そこでまたこのバカは、花が開くみたいに笑顔になった。
「ソーニャちゃんって、とっても可愛いから」
 わたしは眉根を寄せて、真剣に目の前の相手を観察してみる。
 言葉の裏にある真意を探るためだ。だが、うまくいかない。
「あ、そうだ!」
 突然、折部が何かを取りだした。
「これあげるよ」
 目の前で揺れているのは、携帯用のストラップだった。金具の下で、星型に削られた石が揺れている。石には水瓶座のマーク。
「はあ? なんで」
「えへへ、おそろいだよ」
 折部が携帯を取り出す。確かに、同じストラップが付いていた。
 さっぱりわからない。物で懐柔するつもりなのか。
「とにかく、わたしは遠慮しておく。それじゃな」
「あー、ソーニャちゃーん!」
 いつも通り逃げ去るわたしだったが、胸の内はいつも通りでは無かった。
 あの女子、何か変だ。


「ね、ね! 一緒に遊ぼうよう」
「いいって言ってるだろ」
 後ろからの脳天気な声を適当にあしらいながら、早足で住宅街を歩く。
 油断した。
 校門を出るまでこいつに会わないと思ったら、まさか先に出て待ち伏せされていたとは。
 バカはバカなりに学習しているということか。
「種目はなんでもいいよ! 鬼ごっこでも高鬼でも、いろ鬼でもいいし」
「全部鬼ごっこのバリエーションじゃねーか」
 それにしても、こいつはなんでわたしにしつこくつきまとう?
 理由が無い。目的が推測出来ない。
「じゃあさ、砂場でドでかい大阪城作ろうよ。そんで完成したら二人で踏みつぶすの」
「お前は大阪にどんな恨みがあるんだ」
 わたしと仲良くするメリット……なんだ?
 こいつは友達が居なくて、寂しいとか?
「じゃあじゃあ、爆竹買ってビンに詰めるのは? ぜんぜん音しないよ」
「爆竹の長所を潰すな。どう面白いんだそれは」
 いや、クラスの生徒と仲が悪いわけじゃなさそうだ。むしろこれだけ社交的な性格なら、友達の一人や二人居るだろう。
「えー、じゃあ何して遊びたいのさ」
 バカがむくれだした。
「だから遊びたくないって言ってるんだよ。聞こえてないのか」
「むー」
 よし、ようやく不機嫌になったぞ。
 このまま自然に興味をなくしてくれれば……。
 はた、と気づいた。
「ぶ! ちょっと急に止まらないでよソーニャちゃん!」
 こいつが一般の学生だという前提に立っているから、答えが分からないんじゃないか?
 もし、もしも。
 わたしの同業者だとしたら。
「ソーニャちゃん? どしたの?」
 折部の真意をくみ取れなかったのも、高度な訓練の結果と考えれば納得がいく。
「あの、ソーニャちゃん。顔が怖いよ?」
 そして、同業者が身分を隠してわたしにつきまとう。
 ――理由はひとつしかない。
 わたしはナイフを取り出し、折部の眼前をなぎ払った。
「うわお! なな、なになに?」
 折部は混乱している……いや、混乱しているフリか。なんという高度な技術だろう。
 あやうく心を許す所だった。
「貴様、わたしを狙う刺客か!」
 油断なく、相手に凶器を突きつけながら問う。観察も怠らない。
 武器はどこだ? 次の行動は? 相手がなぜかリラックスしきった態勢で止まっていて、予測が出来ない。
 と思っていたら、予想外の動きがあった。
 ぱああっ……とまるで日が差したように、表情が明るくなったのだ。
「いや待てお前、その反応はおかしいだろ!?」
 思わず指摘していた。
「ふ、ふ、ふ。バレてしまったか」
 だが、すぐに折部の笑顔が歪む。
「そう! わたしこそお前の命を狙う刺客ッ!! お前の命を頂くぞ!」
 人差し指を突きつけられる。
 やはりそうだったか。
 正体を明かしても態勢はスキだらけだ。それが逆に、不気味さと威圧感を生んでいる。
 しかし、ここで闘うのはまずい。一般人を巻き込むわけにはいかない。
「場所を変えたいんだが。そこの林でどうだ」
 たまたま近くにあった、公園の奥の林を指差す。
「くくく、いいだろう」
 刺客は不敵に笑った。
 
 
 わたしと刺客は林に入り、対峙した。
「ソーニャちゃ……いやソーニャよ! 見事わたしを打ち倒してみせい!」
 なぜか腕組みする刺客。
 あの態勢にはどんな理由があるんだ? 少なくとも、わたしの持っている知識では判断出来ない。
 指の股にはさんだ投げナイフが、ぴくぴくと振動している。
 ダメだダメだ。相手の思う壺ではないか。
 判断出来ない情報は、無理に判断しないことだ。他に注意すべき事がある。
 いつまで待っても仕掛けてこない。
 ならばこちらから攻めて、情報を引き出すまで。
「言われなくとも、てあっ!」
 三本のナイフが放物線を描いて刺客へ飛翔する。
 そのうちの一本は首元の致命的な点を目指している。まあ、これはかわせるだろう。
 だが残りの二本のうち少なくとも一本は、最初のナイフをかわした状態で突き刺さる。
 ダメージは避けられない。
「うおっと!」
「なっ……?」
 わたしは息を呑んだ。
 刺客が上半身を後ろにそらし、楽々と全てのナイフを回避したのだ。
 そのまま、無様に地面へ腰を落とす刺客。
「危なかったー。あいたた」
 信じがたい事に、わたしのナイフは全て地面に転がっている。
 なんだ、あの態勢は?
 なぜ、避けた後に倒れた?
 立ち上がる刺客を、わたしは呆然と見守る。
 まるでナイフの軌道をあらかじめ知っていたかのような……バカな。
「今度はこちらの番だ、これでもくらえっ」
 来る!
 雑念を振り払い、感覚を集中させる。近接戦闘用のナイフを構える。
「じゃきーん!」
 へんてこな効果音を付けながら刺客が取り出したものを見て、わたしは自らのうかつさを思い知る事になった。
 拳銃だ!
 予想していなかった。対抗できる武器を用意していない。
 逃げたい。だが本能に従って動きだそうとする足を、辛うじてその場に留める。
 頭部を狙われている。動いた瞬間に死ぬ。逃げられない。攻撃も出来ない。
 死ぬ? わたしは死ぬのか。それ以外に道は無いのか。あまりに早すぎるではないか。決着というには、あっけなさすぎるではないか。
 しかし呼吸を意識して続けながら、わたしはしぶしぶ了解した。
 負けたのだ。
 刺客の指がトリガーを引く瞬間、出来るのはただ見守る事のみ。
 せめて外れてくれることを祈る……それでも勝てるとは思えないが。
 ぺちっ。
 ひたいの痛みに顔をしかめる。
 地面に何かが落ちた。見ると、それは小さなプラスチック製のボールだった。
 
 
「へーい! 当たった当たったー! ひゃっほーう」
 わたしがそのボールをつまんで拾う間、刺客は飛び跳ねて喜んでいた。
 振り回す拳銃から、からからと軽い音がする。
 オモチャだ。
 そして、これはその弾。
 どこまで。
 どこまで愚弄するつもりだ!
 人差し指と親指の間で、プラスチック弾が破裂した。
「うわっ」
 刺客が踊りを止めた。
「おい、なんのつもりだ」
 渾身の力でにらみつけると、
「ひ、ひい!?」
 刺客は青い顔で後退する。
「まあいい……ここで死ね!」
 ナイフをしっかりと構え、刺客目がけて走り出す。
「うわわわ!」
 今度こそ刺客は迎え撃つかと思ったのだが、背中を向けて逃げ出した。
 やはり、こちらをコケにする態度は崩さないようだ。
 ばさばさと草むらを踏みつけながら、無様な姿勢で走り続ける。
 しかも遅い。すぐに追いつく事が出来た。
 ナイフの切っ先を前に向け、押し込む態勢を作る。
 その背中に突き立ててやる……!
 と、その瞬間。
 わたしは重力を失った。
 気がつけば、視点が一メートルも下がっている。
「クソッ、なんで落とし穴があるんだ!」
 地面を押して出ようとする。が、腰から下が穴に密着してしまって外れない。
「あー、それわたしだ」
 呑気な声がはるか上から降ってきた。
「なんだって?」
「昨日掘っておいたんだった。忘れてたよ」
 刺客の何も考えていないような面に、底知れぬ悪意が見える。
 結局、わたしは最初から最後まで遊ばれていただけだった。
 泣くこともできやしない。
「殺せ」
 地面に吐き捨てるように言う。
「ほえ?」
 ほえ? じゃない。お前はわたしの決意を折りたいのか。
「わたしの完敗だ。敵をみくびり、ろくな装備も無いまま勝負をしかけ、あげく古典的なトラップにはまって身動きもできない。自分の未熟さがつくづくイヤになった」
「で、でも殺せって言われても」
 敵は逡巡している。
 いつまでわたしをいたぶるつもりなのだろう。時間稼ぎはもはや苦痛でしかない。
「慈悲は無用だ! 殺せ!」
「ええーと、じゃあ」
 ゆっくりと、刺客の拳銃がわたしのひたいに添えられた。
 ようやく解放される。恥辱からも、この仕事からも……。
 ぺちっ。
 ひたいの痛みに顔をしかめる。
 目の前に何かが落ちた。見ると、それは小さなプラスチック製のボールだった。


 ああそうだ、あれはオモチャだった!
「はい、死んだー。死んだよソーニャちゃん」
 勝ち誇る刺客。
「貴様なんのつもりだッ!」
 わたしが吼えると、刺客は意味の分からない事を言い出した。
「だだだだって、武器はそれしか持ってないし」
 なんだって?
「ちょっと待て。じゃあ、お前はどうやって殺しを」
「あ! じゃあソーニャちゃんのナイフ借りるね」
 人の話を聞く事もなく、地面に落ちた投げナイフを取りに行く。
「これなら……いっつ!?」
 ナイフが地面に落ちた。
 さっきから、何をやってるんだ?
「き、切れたー! 指が切れたあー!」
 なんと、刺客が泣き始めた。
「いや、当たり前だろ。ナイフなんだから」
 頭がごちゃごちゃして、まとまらない。
 これも演技? いや、意図が分からないし、なんの意味も……。
「もー! ソーニャちゃん! 学校にナイフなんて持ってきちゃダメでしょ!」
 なんだかひどく当たり前の事を言われた。
「え、ごめん」
 とりあえず謝る。
 だが、刺客の怒りは引かないようだ。
「しかもわたしに投げたりして、もし当たったら……んん?」
 怒りの表情から一転、何かに気づいて渋い顔になる。
 そして渋い顔から一転、顔面から血の気が引き始めた。
「あああのさ、ソーニャちゃん。間違ってたら言って欲しいんだけど」
 一拍置いて、刺客は言った。
「ソーニャちゃん、わたしの事……怪我させようとした?」
「いや」
 ほーっ、と刺客が勢いよく息をつく。
「んもー、てっきりわたし……」
「殺そうとした」
 またも、刺客の血色が悪くなった。忙しい顔だな。
「殺し屋なんだから当たり前だろう。お前はいったい何を言ってるんだ」
 刺客の全身が、がくがくとけいれんし始めた。
 なんだかおかしいぞ。
「う、うわわー!!」
 わたしに背中を見せて、刺客が逃げ去った。
 その姿を見送った後、わたしはようやく理解した。
 あいつは刺客じゃなかった。
 ただの学生だ。そりゃあ武器も持ってないし、スキだらけだろうな。
 なるほどな。
「超やべえええええ!!」
 頭を抱えて絶叫してしまう。
 一般人を殺しかけたのみならず、自分が殺し屋だとうっかりバラしてしまった。
 まずいまずいぞ。組織にお灸をすえられるとかそういうレベルの問題じゃない。
 とにかく、刺客……じゃない折部に話をしなければ。
 落とし穴から出ようと、わたしは地面を再び押し始めた。
 

 夜通し町中を捜索したにもかかわらず、折部は見当たらなかった。
 疲れと眠気で鉛のごとく重い身体をムリヤリ動かして、朝の通学路を行く。遅刻寸前だが走る気力も無い。
「おはよー」
 同じクラスの生徒が後ろから声をかけてきた。
「ああ、おはよう」
 手を振って、あいさつを返す。生徒は小走りで追い越していった。
 とりあえず学校に行けば、折部の住所くらいは聞けるだろう。
 自分の身の危険を考えれば、もう家にも居ないかもしれないが。
「おはよー、やすな」
 だがとにかく、捜索の出発点くらいにはなるはずだ。
「おはよう」
 最悪の場合、警察に協力を仰ぐ事になるかもしれない。
「なんだか元気ないねー、やすならしくない」
 組織の手は、出来るなら借りたくないな。なんとか穏便に……。
「いや別にー、あはは」
 って、居たー!!
 すぐ目の前で、折部が力の無い笑顔を生徒に見せている。
 おい待て、ここでなにやってるんだお前は! 昨日ここの生徒に殺されかけたんだぞ!? 翌日のんきに通学って、お前はバカなのか!?
「昨日よく眠れなくてー」
「そうなんだ」
 ああいやいや、バカでありがとう! 本当に助かったよ! 捜索しなくて済んだよ!
 生徒が離れて折部が一人になった。今だ。後ろから声をかける。
「おはよう、折部」
「あ、おはよー……」
 振り向いた瞬間、表情が凍り付いた。
「あのさ、昨日の事なんだけど」
「うわあああ!」
「え、ちょ」
 折部は吹っ飛ぶように逃げ去り、校門に吸い込まれていった。
 いちおう学校には行くのか……。
 わたしもとりあえず、同じ教室に向かう事にした。
 
 
 折部は隣の席に、礼儀正しく座っていた。だいぶ緊張している様子だ。
 授業中、わたしへの警戒の視線が刺さる。というか教科書でガードしても攻撃は防げないと思うぞ。
 ようやく授業が終わったので、さっそく折部の方を向く。
「なあ折部」
「わー!」
 折部は素早く立ち上がり、教室を横断して廊下をどこかへ駆けていった。
「おい待て!」
 わたしも廊下に出るが、一歩遅かった。
 一体どこに行ったんだ?
 だが休み時間が終わると折部が戻ってきて、元の席にちょこんと座った。
 相変わらず、こちらには目もくれない。
 学校に来ない、という発想は無かったんだろうな。
 まだチャンスはある。
 
 
「なあ折部」
「ぎゃー!」
「ちょっと話したい事が」
「いやー!」
「昨日の事なんだが」
「おわー!」
「あれはちょっとした勘違いで」
「うぎゃー!」
「お前を殺そうとしたわけでは」
「ひゃー!」
「これからは気をつけるから」
「うわわー!」
「なあ折部、ちょっと待てって折部、おい折部! おい! 待て! 折部えええ!」


 放課後になって廊下をだいぶ長いこと追跡したものの、自分の体力が不足している事もあって、結局取り逃がしてしまった。
 くそ、どこに行った? もう帰っちまったか?
「ねえねえ、やすなどうしたの?」
「なんかすごいソーニャさんを怖がってるみたい……」
「え、ソーニャさんが何かしたの?」
「わからないけど、ただ事じゃないよねー」
 クラスメートがひそひそ話しているのが聞こえてくる。
 な、なんか。
 普通に凹む……!


 あの雰囲気では折部の住所を聞き出すのは無理そうだったので、再び町内を探し回る事になった。
 小一時間ほど走り、夕暮れ時。気がつけば、例の公園にわたしは立っていた。
 足がピンで留めたみたいに、動かなくなっていた。
 何もかもオレンジ色の中で、折部がひとりベンチに座っている。
 らしくない思い詰めた顔をしていて、声をかけづらい。
 しかし、やらなければならない。意を決して口を開く。
「おい、折部」
「ひ、ひい!?」
 わたしに気づいた瞬間、折部が跳ねるように立ち上がり、奥の林に駆け込んでいった。
「待ってくれ折部!」
 あの込み入った林では、また見失ってしまう。
 どこだ、どこへ行った!
 木の群れに取り囲まれながら、キョロキョロしていると。
 すぐに折部が見つかった。
 なぜか下半身が地面に埋まっている。
 お前、自分のトラップに引っかかるなよ。


「折部」
「ひいいい!?」
 トラップから抜けようと、じたばたし始める。
「大丈夫だ、ほら何もしない。な?」
 両手を広げて武器を持っていない事をアピールしつつ、ゆっくり近づく。
「う、う、う、う」
 折部がじたばたを止め、
「うえええ、うええええ」
 泣き始めた。大粒の涙がぽろぽろとほほを伝って落ちる。
 わたしは歩みを止めた。
 なんだか心臓の辺りが冷たくなって、痛い。
「お、おい。なんで泣いてるんだよ」
「ううー、ううー。ごめんなしゃいー、ごめんなしゃいー。ころ、殺しゃないでー。ひぐ、殺しゃないでー」
 すまない。
 こんなに怯えさせるつもりは無かったんだって、どうやったら伝わるのだろう。
「殺さないって。ほら、もう泣き止め。もし誰か来たら……」
「うわああ! うええええ」
 音量が二段階も大きくなる。手に負えない。
「ああ、もう! 泣き止まないと殺……」
「うわああ!!」
 しまった。いつの間にか出していたナイフを捨てる。
 脅して黙らせる事はあっても、こういう場合はどうすればいいのかわからない。
「なあ、頼むよ。泣き止んでくれ」
 少し待つと、若干落ち着きが見えてきた。
「う、ぐす。ころ、殺さない?」
「ああもちろん。ほら、ナイフも捨てただろ?」
 もう一度両手を広げて見せる。
「ぴぎゃー!」
 甲高い声が耳をつんざいた。
「おおい! なんで泣く!」
「顔が怖いよお、怒ってるよお!」
 いや、これは普通の顔なんだが。
 しかしぶん殴りたいのをぐっと我慢して、今は笑顔を見せる。
「ほら、ほら。笑ってるよー。怒ってないよー」
 スマイル、スマイル。これが殺し屋の仕事か?
「もっと怖いよおお」
 どうすりゃいいんだよ!
 そのとき、鞄にチョコレートが入っていた事を思い出した。
「じゃあ、これをやろう」
 紙をむいて、泣き続ける折部に差し出す。
 右に左に振って見せると、その存在にようやく気づいたようだ。
「ほーらほら。食べたくないかー?」
 チョコレートに合わせて、右に左に顔を振る折部。
 こく、とうなずく。
「よし。じゃあ、食べたら泣き止むんだぞ。約束だ」
 またうなずいたので、チョコを渡してやる。
 すぐに食べ始めた。
「どうだ、うまいか?」
「ふまい」
 すっかり泣き止んだようだ。バカでよかった。
 まさか犬用のチョコレートが役立つとは。


「よし、と。これでいい」
 すりむいた折部のひざに、ばんそうこうを貼る。
 もう空は暗くなって、公園のベンチもすっかり冷えている。
「悪かったな。怪我をさせて」
 折部の隣に腰かけると、なぜか目が合った。
「ありがとう」
 今では、折部はわたしに微笑んでくれる。
 どう対応していいのかわからないので、目線を逸らす。
「ソーニャちゃんは、優しい殺し屋さんなんだね」
「え? いや、そんなことは、その」
 もぐもぐと、言葉が口の中で消えてしまう。
「と、とにかく。殺し屋っていうのは内緒だからな。マジだぞ」
「大丈夫だよー、誰にも言わないよ」
 その確信に満ちた笑顔を見て、わたしは安心した。
 こいつはバカだけど、約束は守りそうだ。
「たとえわたしがバラしても、みんなソーニャちゃんの事『そっか、痛い人なんだな』って思うくらいだよー。安心し、痛あ!」
 わたしのチョップが、折部の脳天に落ちた。
「なんで殴るのさあ!」
「むかついたから」
「ううう、ひどい……あ、そうだ」
 頭をさする折部だが、すぐに何かをポケットから取りだした。
「これ」
 星型のストラップだ。確か、折部が「おそろい」とか言ってたヤツだな。
「要らないよ」
「そんなこと言わないでさ、仲直り記念にさ。ソーニャちゃん似合うって」
 短く息を吐く。こいつはたぶん引き下がらないぞ。
「お前、本当はそれ間違えて二個買っちゃって、余っただけなんじゃないのか」
「うっ。ソンナコトナイヨー」
 思い切り動揺される。
 まったく、こいつに隠し事なんて高度な作業は出来そうにないな。
「……なあ折部。それをもらったら、わたしは何かお返ししなきゃならないのか?」
「え? うーん、そうだな」
 天を仰ぎながら、数秒間考える。
「わたしのこと、『やすな』って呼んで」
「なんで」
「だって、もう友達でしょ! わたしたち」
 またこの笑顔だ。
「友達、ね」
 どうもピンと来ない。
 だがまあ、とりあえず返事はしておこう。
「やっぱ要らない」
「なんでさあ!」
 星空で流れ星が尾を引いた、気がした。






「あはは、そんな事もあったねえ」
 やすなが水筒のふたにお茶を注ぎながら言った。
「お前は本気で泣きすぎだよ。焦ったのなんの」
 わたしはストラップの金具を持って、くるくる回す。
「だってソーニャちゃん、すっごい怖かったんだもん。まあ今でも凶悪だけどー」
「なんだと!?」
「ひ! 殴らないで!」
 握り拳を開き、代わりにストラップをしっかり握った。
「まあ、あの時は悪かったな」
「ソーニャちゃん……いいよ別に、昔の事だし」
「いや、本当にすまなかった。やすなもそりゃ泣くよな。こんな風に」
 わたしの拳銃が、やすなのひたいに密着する。
「殺されそうになれば。あれ、今回は泣かないのか?」
 やすなはそのまま動く事も出来ず、かたかた震えだしている。
「ちょ、ちょっと、ツッコミきついよ。まだそこまでされるような事してないよ?」
「いいやしてるさ。水筒のふたを地面に置きな」
 ゆっくりと、ふたを足下に置く。
「なに? 今日はお茶飲んじゃダメってルール……?」
「飲むんなら止めないぞ」
 ストラップを飛ばし、置かれたふたの中に着水させた。
 すぐに煙が上がり、ぷくぷくと泡が立ち始める。
 金具が溶け始めている。
「でもわたしの目にかけるのは勘弁してくれ」
 やすなの震えが止まった。
 別人のように、いや、別人の落ち着きでわたしを見る。
「なんでわかった? これが凶器だと」
「いつも水筒なんて持ってきてないんだよ」
「しかし、わたしがニセモノだと気づいたのはなぜだ? 変装は完璧だったはずだ」
「ふん」
 銃口を強く押しつける。
「やすなとの出会いは、もっと面白い話なんだよ」
 拳銃を素早く持ち替え、偽やすなの頭をグリップで一撃した。
 力を失い、倒れ伏すニセモノ。
「それにあいつは、話を合わせて思い出したフリなんて絶対にしない」
 携帯であぎりに電話する。
『やすなさんは保護してますよー』
「良かった。刺客は始末した」
『こ、殺してないよね!?』
 焦った声のやすなに交代した。まったく、もし呑気に学校に来てれば自分が殺されてたかもしれないのに。
「大丈夫だ、気絶してるだけだ。後で組織に回収してもらう」
『安心したよー。ねえねえ、でもなんでニセモノってわかったの? やっぱり友情パワーってやつう? ねえねえ』
 早速うっとうしさが戻ってきた。
 ちょっと考えて、手短に説明する事に決める。
「刺客の偽やすなは頭が良すぎた。それが敗因だ」
『え、どういう意味!?』
「そのままだよ」
『ひどいー!』
 いつも通りのやり取りをしながら、わたしは拳銃をそっと、あいつには絶対に見つからない場所へ戻した。
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Date:2014/04/27
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Thema:二次創作:小説
Janre:小説・文学

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