明日から書く。

□ ルパン三世 □

【ルパン七世 #3】それゆけ! 少女探偵団

 空にはふたをするように、重く雨雲がのしかかっていた。
 断続的にまばゆい閃光がきらめき、轟音が鳴り響いて大地を揺らす。
「はっはっはっはっはっ……!」
 雷雨に混じって振ってくる、男の高笑い。
「いったいどこを見ているのかな? 諸君」
 刑事たちは打ちつける雨に目を細めながらも、顔を仰向けて声の主を探る。
「ここだ」
 近くに落ちた雷が、ビルの上に立つ人影を鮮明に照らし出した。
「怪人二百面相!!」
 びりびり震える空気の中、刑事たちは我知らずに叫んでいた。
「やあ、また会ったね」
 二百面相は右手を親しげに振る。
「お前は袋のネズミだぞ、観念しろ!」
 刑事の一人が二百面相に指を突き立てて叫ぶ。
 だが相手は薄笑いを浮かべるばかりだ。
 ……おや。
 見間違いだろうか。
 二百面相が宙に浮いた。まるでもともと重力には詳しくないとでも言うように。
 目を疑う刑事たち。
 その間にも二百面相はするすると、地面からはるか高みへ昇る。
 また雷が一撃し、辺り一面を銀色に変えた。
「あっ」
 誰からともなく、声を出していた。
 黒雲に、雲よりもなお黒い穴が開いている。それは正確に二百面相の真上にあり、二百面相が浮かべば同じだけ上昇する。
「気球!?」
 黒い気球であった。
 空を飛べない刑事たちを置き去りにして、二百面相は暗雲と地面の間を軽やかに滑っていった。
「さようなら諸君。あっはっはっは……わーっはっはっはっ……」


『お客さん、着きましたよ』
 少女は現実に引き戻された。
 顔を上げると、ゆっくりピントが合っていく。
 誰も居ないバスの車内が見える。
『着きましたよー』
 またも運転手の声。車内の表示板には、「トーキョーポリス東高校」とあった。
 電気が走ったように背筋を伸ばす少女。
「お、降ります!」
 カバンを持って席を立った拍子に、ひざに乗せていた文庫本を落っことした。しおりが外れてしまう。
 しゃがんでしおりを元通り差し込もうと本をぱらぱらめくってみるも、別に差さなくて良いことに気付く。
 本としおりをカバンに突っ込む。
「降ります、おります」
 勢いよく出口のステップを踏んで、バスの外へ飛び出した。
 バスは彼女が数歩踏み出すのを確認した後、車道を走り去っていく。
 大きく息をつく少女。危なかったあ。
 突然、誰かに右肩を叩かれた。
「わあ!?」
 びっくりして振り向くと、そこには小柄な少女が居た。
「おっす、スミレちゃん」
 小柄な少女はいたずらっぽく、八重歯を見せて笑った。



第3話 【それゆけ! 少女探偵団】



 バス停からは住宅地の一部を刈り込むようにして通学路が延び、高校の校舎がすぐ近くに見えた。
 二人で校門に向けて歩く。
「奈々ちゃんと通学路で会うなんて珍しいね?」
 スミレが小柄な少女に言った。
「いやー、実は徹夜しちゃって。いつもより早く出ちゃったんだ」
 大きなあくびをする奈々。
「そうなんだー」
 ふんわりカールしたブラウンの髪を揺らして、スミレは柔らかく微笑む。
「そうそう。たまには遅刻しないのもいいもんだねえ」
 対して奈々はベリーショートの髪をなでつけてカチューシャで留め直すと、むひひ、と笑った。
 ちなみにスミレは奈々より頭ひとつ背が高い。ただしスミレの身長は平均である。
「あ、あの本読んだ? 『怪盗二百面相』」
 奈々がスミレに聞く。
「うん、今すごくいいところなんだー。さっき夢に出てきたよ」
「へえー……んあ?」
 奈々が間抜けな声を上げて立ち止まり、両目の上に手でひさしを作った。
「なんだあれ」
 仕草が古風だなあ、と思いながらスミレもそれに従う。
「んー?」
 すぐ目の前の校門に、人影があった。
 朝の校門なのだから当然そこに大量の人影はあるのだが、この人影は学校に吸い込まれていく人の流れの中で、ぴたりと静止していた。
 しかも校門のど真ん中で仁王立ちである。
 ただ者ではない。
 ひさしを下ろしながら奈々が言う。
「こっち見てない?」
 確かに、強い眼光で見つめられていた。射貫くようなまなざしであった。
 また奈々がつぶやく。
「あ、動いた」
「奈々ちゃん……あの人」
「やばい、こっち来る」
 奈々が戦慄しながら一歩退き、
「ヤバイやばい来た! 走って来た! 走って来た!」
 叫びながら校門と逆へ駆け出した。
「え、奈々ちゃん? どこ行くの!?」
 困惑しながら従うスミレ。
「スううミいいレえええ!!」
 謎の人物は猛スピードで誘導ミサイルのように追撃して来る。
 学生を蹴散らす勢いで通学路を逆走する三人。
 首への強烈な打撃に、スミレの視界がぶれた。
 二、三歩よろめいてから立ち止まり、振り返る。
「おはよう!」
 気の強そうな吊り目の女子が、元気よく片手を挙げていた。
「おはよう」
 スミレは右手で痛む首を押さえつつ、左手であいさつする。
 奈々は驚いて声も出ない様子だ。


「なんだか元気無いわね。朝ご飯はちゃんと食べたの?」
 本気で心配そうな顔をする吊り目に、スミレは言葉もない。
「あのー」
 奈々がスミレの隣で手を挙げた。
「どなたですか?」
「あなたこそ誰なの!?」
 即座に返されてびっくりする奈々。
 吊り目が胸のあたりに指をつきつけようと、じりじり近寄っていく。
「うちのスミレと、あなたはどういうご関係なのかしら?」
 奈々も相手の動きに合わせて、じりじりと後ろに下がる。
「えっと、あたしは」
「もしや、スミレを探偵部から引き抜こうという魂胆なのかしら?」
「え? いやその」
「なぜ逃げたのかしら。逃げるなんて怪しいわ」
「いやそれは」
「大事な部員は渡さないからね」
「ええーと、あの」
 吊り目は奈々の話を全く聞いていないが、どうやら彼女の中で新参者の正体は確定したらしい。ぐいぐい前へ進む。
 もう少しでバス停に戻ってしまう、とそのとき。
 ばっちーん!
 なぜか吊り目の頭が、パンチングボールのように前へ跳ねた。
「痛ったあ!?」
 頭を抱えた吊り目が、コンクリートの歩道へしゃがみこむ。
 その後ろには背の高い女子が立っていた。
「いきなり道端でラリアート決めてんじゃねーよ」
 金髪のショートヘアを手の平で押さえて、ため息をひとつ。
「ごめんね、この馬鹿が。それじゃ」
 吊り目のえり首を掴んで、ずるずると校門へ引きずっていく。
 取り残された二人は、呆然と立ち尽くしていた。
 だが始業のチャイムが鳴ったので、とにかく学校へ向けて駆け出した。


 教室の入り口で、奈々は両腕を左右に広げて言った。
「あ、セエーフ」
「奈々ちゃん入れないー」
「ごめんごめん」
 教室のドアが開いた。手でも開けられるが、待っていると自動で開くのだ。
 スミレは自分の席に座って、ほっと息をついた。奈々も隣で同じ事をしている。
 とそこで、なにやら教室がいつもより騒がしい事に気付いた。
 しかも全員が同じ話題について話しているときの、あのなんだか異様な連帯感が教室を包み込んでいる。
 なにかあったらしい。
 ちょうど誰とも話していなかったようなので、前の席の男子に聞いてみる事にした。
 男子は漫画本を閉じてから振り向き、言った。
「ああ、なんか学校に脅迫状が届いたらしいぜ」
「脅迫状!?」
 予想外の単語に声がスミレの声が大きくなってしまい、一瞬だけ教室が静まり返る。
 だがスミレがちらっとクラスメートの方を見るころには、全員が元通りの話題に戻ったようだった。
「違うって、予告状だよ」
 前の席のさらに隣の席の男子が即座に訂正した。話したくてしょうがないらしい。
「校長先生のところに今朝、予告状が届いたらしいよ」
 スミレが首をかしげる。
「誰から来たの?」
「えーと、なんだっけ。る……るー」
 おでこに人差し指をくっつけて、男子が悩み始めてしまった。
 最初に聞いた方の男子が口を開く。
「ルパン五世だろ」
「ルパン七世!」
 突然そこに奈々が割って入った。怪訝な顔になるスミレ(と男子二人)。
 なぜか奈々は名前を間違えた方の男子をにらみつけている。
「奈々ちゃん?」
 おっかなびっくり、スミレが声をかけた。
「え。あ」
 我に返ったらしい奈々が、口許を押さえる。
「どうぞどうぞ、先を続けてください」
 右の手の平を差し出した。
 三人はお互いの顔を見てから、どこまで話したのかを確認し始めた。


「はい。それではここからが重要です」
 教師が持つペンの先が、黒板を軽くつつく。
 歴史年表の一部が赤い枠でハイライトされる。
「『高度情報化社会』。新しい機械が登場し、人々の生活を一変させました」
 その背後では、声を潜めたつもりの生徒がうわさ話の続きをしていた。
――ねえ、ルパンは何を盗むって?
 教師は黒板をもう一度つつく。
 年表全体が左へスライドした。
――校長の猫だってさ。
――猫? なんで猫なんか?
 黒板の右側ではなにか四角い機械の写真が、くるくると回り始める。
 本体は白くて、ガラスの画面が付いている。近くにはコードでつながった別の機械。
――さあ。でも校長はかなりあわててるらしいよ。
「この機械が何か、わかる人は居ますか?」
 教師が振り向いたので、話していた生徒は口をつぐんだ。
 誰も手を挙げない。
 教師がメガネの位置を直し、名簿に目をやる。
「ふむ。では……藤さん」
「へっ!?」
 スミレが驚いた拍子に、持っていた教科書を机に叩きつけてしまった。派手な音が鳴る。
「わたしの話を聞いていましたか?」
 にっこり笑う。この男性教諭は若くてハンサムなので、女子生徒によるファンクラブがあるとか無いとか。
「は、い」
 ゆっくりうなずくスミレ。
 ルパンのうわさの方を優先して聞いていました、とは言えない。
「ではこの機械はなんでしょう」
「え? えー……と」
 身を乗り出して穴の開くほど眺めてみる。
(なんだろう。四角くて画面があるし、ブラウン管っていうのかも)
 小さく片手を挙げた。
「テレビ、ですか?」
「違います」
 首を振る教師。
 なんとなく恥をかかされた感じがして、スミレはうつむいた。
「ではあと一回だけチャンスをあげましょう」
(ええー!?)
 仰天して顔を上げる。目の前にはやはり、にこやかな教師の顔。
――ドSだ!
――先生今日も絶好調だな……。
――あれでもまだ二回の変身を残してるらしいぜ。
――え? あれテレビじゃないの?
 いつの間にかルパンのうわさも止んで、注目がスミレに集まっている。
 仕方なく、スミレがもう一度頭をフル回転させ始めた。
「ええーと。えー」
「くー。すぴー」
 が、突然の寝息で中断された。
 隣で奈々が寝ていた。教科書が頭の下で潰されて枕になっている。
「……こいつはあたしのポケットには大きすぎらあー……むひひ」
 ほくそ笑む。これ以上無いほど安らかな寝顔であった。
(あわわわわ)
 スミレが奈々と教師を交互に見比べた後、奈々を起こしにかかる。
「起きて。起きて奈々ちゃん」
 何度目かの呼びかけと揺さぶりで、ようやくうっすらと目を開ける。
「んー? あり、スミレひゃん? お宝は……?」
「お宝は盗めましたか、有瀬奈々さん?」
 がばっ、と奈々が起きた。
 まだ状況がつかめない様子で、教室を包む笑い声にうろたえる。
「よく眠れたようですね」
 教師がにっこりと笑った。
 ようやく覚醒した奈々が片手を頭の後ろに当て、苦笑いで言った。
「あはは、寝てたなんてまさかあ。いや相変わらずステキな笑顔ですねー。もーまぶしいくらい。あははは」
 そうだね、目が笑っていればもっと良くなるのにね、とスミレは心の中で付け足す。
「ではこの問題はわかりますね?」
「もも、もうもちろんですよ三船先生……ねえ?」
 動揺しているおかげで、なぜか最後に聞き返してしまったらしい。
 ばつが悪そうにうなだれるスミレには、もはや出来る事は何もなかった。


 お昼休み。
 窓の外には澄み切った青空。雲間で小さい何かが陽光を反射し、きらきら光る。
 沖合の宇宙港から飛び立ち、はるか何千光年の彼方へ向かって行く宇宙機だ。
「うう。あたし三船先生に嫌われちゃったかもしれないデス」
 奈々はもう本日何度目かわからない台詞を吐き、頭をがくっと落として見せた。そぼろ弁当に顔が付きかける。
「だっ、大丈夫だよー。きっとそんなに怒ってなかったと思うよ?」
 向かいの机でおにぎりを食べていたスミレが、優しく声をかける。
「ありがとう……そうだといいんだけど」
 奈々は力なく笑い、弁当をちびちび食べ始めた。
 スミレがお茶のペットボトルを開けながら言う。
「あ、そうだ。なんでルパンは猫を盗むのかな?」
 はしを動かしながら考えてみる奈々。
「うーん。さあねえ」
 そぼろを一口。
「お高い猫なのかも」
「でも校長先生の猫って、こんなんだよ」
 ポケットから懐中時計を取り出すスミレ。机に置く。
 時計のボタンを押すと、時計盤の上にふわりと拳くらいの大きさの猫が出現した。机に影を落とし、支えもなく空中に浮かんでいる。
 可愛らしい黒猫だ。小さな四角い宝石が埋め込まれた首輪をしている。首輪に宝石とは珍しいが、それも校長の愛情の表れか。
 窓から差し込む日光を、宝石がきらりと反射した。
「ほら、全然高い種類の猫じゃないの」
「……そうみたいだね」
 携帯端末のボタンを押してホログラムを消し、スミレが言った。
「だからね、わたし思うんだ」
 食事をしながら奈々がうなずく。
「きっと首輪の方に、何か秘密があるんじゃないかって」
 奈々の手が止まった。
 スミレをじっと見る。
「奈々ちゃん? どうしたの?」
 我に返った奈々が、はしを持っていない方の手を振る。
「あ、いや。まあ、この事件は警察に任せましょう。素人が出て行ってもしょうがないよ。時間を損するだけ」
「そっか、そうだね」
 端末をポケットに戻すスミレ。
「そうそう。損そん」
 食事を再開しようとする奈々。
 だが何かがすぐ横で動いた気がしたので、そちらを見た。
 子供のように背の低い女子が立っていた。
 頭頂部で猫のような耳が揺れた。


 スミレが驚いて席から立ち上がる。奈々も目をまん丸にしている。
 猫耳女子は背中で腕を組み、表情の無い顔と声で淡々と言った。
「緊急事態です。直ちに出頭を求めます」
 そういえば教室が騒がしい、とスミレは気付いた。
 このアクト人の出現だけが原因では無いようだ。
 奈々の視線がドアに向いているのに気付き、そちらを見る。
 探偵部員が立っていた。
 朝の通学路で会った吊り目の女子と、そして吊り目を殴り飛ばした金髪の女子だ。
(なんだろう?)
 とスミレが考えている間に、教室へずかずかと二人が乗り込んできた。
 風のように素早く、スミレは両側からはさまれてしまう。正面には猫耳が立った。
 微動だに出来なかったスミレは、自分を囲む三つの顔をおろおろと見る事しか出来ない。
 ついでに言うと、教室中の生徒からの好奇の視線が痛い。
 吊り目がいったん奈々をにらんでから、両手を腰に置いて口を開いた。
「スミレ、大変なの。すぐ来てちょうだい」
 続いて金髪が、面倒そうに頭をかきながら言う。
「なんか先生に呼び出されたんだよ。ウチら全員が」
 最後に猫耳が、背筋を伸ばしたまま無表情に発言した。
「おそらく探偵部に関する用件と推察されます」
 ぴこ、とまた猫の耳が動く。
 ちなみにこの耳は本物である。頭の横に耳は無く、ふさふさの毛で覆われている。
「えっと、えー」
 突然の出来事がまだ理解しきれないスミレは三人の顔を見ていたが、吊り目に力強く腕をつかまれた。
「ちょっとこの子を借りるわね」
 奈々の返事も待たず、スミレは引きずられるように教室の外へ連れ出される。
「わ、わ。ちょっと、まだお弁当があ~」
「そんなの後よ、あと!」
 廊下へ出る寸前に奈々を見ると、なぜか両手を合わせて拝まれた。


 職員室に向けて、廊下をずんずん進んでいく四人組。
「ふふふ」
 突然吊り目が笑い出したので、隣を歩く金髪が不安げな顔でそちらを見た。
「どうした。お薬を飲み忘れたか?」
「飲んでないわよ!」
 突き飛ばされた金髪は反対方向へ歩く生徒にぶつかりかけ、謝り、そして素早く隊列へ復帰した。だいぶ慣れている様子だ。
「で、なんで笑ったんだ」
「よくぞ聞いてくれました」
 歩きながら腕を組む吊り目。
「これはね」
 せき払い。
「探偵部への依頼よ!」
 吼える吊り目。
 反対方向へ歩く生徒が立ちすくんでしまい、金髪が謝ってから素早く隊列へ復帰した。無駄の無い動きだ。
 戸惑った顔で耳をいじってみる金髪。
「いら……なんだって?」
 人差し指をふりふり、吊り目が自慢げな推測を披露する。
「い・ら・い。これは何かの事件を探偵部に解決して欲しいという、依頼に違いないわ!」
「ええー!?」
 飛び上がらんばかりのスミレ。
「そうだったのですか」
 猫耳までもが、少なからず驚いた様子だ。
「いやいや、ちょっと待てお前ら」
 しかし金髪だけは冷静に受け流している。
 含み笑いを続ける吊り目に、不信もあらわな視線を投げかける。
「それはお前の予測……ていうか願望だろ?」
「着いたわ!」
 突然吊り目が立ち止まり、スミレが背中に顔をぶつけてしまった。
 どうやら職員室に着いたようだ。
 腰に手を当て、満面の笑みをたたえた吊り目が宣言する。
「さあ、我が部の実力を思うさま見せつけてやるわよ!」


「おや。早かったですね」
 顧問の教師が、机からにこやかに顔を上げた。
 彼は三船幸司(みふね こうじ)。歴史の授業を教えていたメガネの先生である。
 さっそく吊り目が進み出て、三船に話しかける。
「探偵部一同、参上いたしました」
 なぜか背筋を伸ばし、両腕はきっちり身体の横にくっついている。
 その様子を見て、スミレが金髪に耳打ちする。
「どうしちゃったの?」
「さあ。たぶん緊張してるんだろ」
「では、点呼を取ります」
 三船が突然宣言し、机に載っていたホロパネル(ホログラムのタッチパネル)を自分の胸元に引き寄せた。
「部長。立華茜(たちばな あかね)さん」
「はい」
 しゃちほこばったまま、吊り目がうなずく。
「副部長。銀杏優李(いちょう ゆり)さん」
「はーい」
 金髪がだるそうに頭をかく。
「藤純麗(ふじ すみれ)さん」
「はいっ」
 スミレが小さく手を挙げる。
「テイル=ミント=ニップさん」
「はい」
 猫耳が腰の後ろで両手を組んだ姿勢のまま返答する。
 部長のアカネを見つめる三船。
「以上、『探偵部』は部員四名ですね?」
 力強くアカネがうなずく。
「そうです」
「わかりました」
 三船はホロパネルを消した。
 もはや矢も楯もたまらないとばかりに、三船に詰め寄るアカネ。
「先生、我が部にお話があると聞いて来たのですが」
「ええ」
 さらにアカネが三船との距離を縮めた。
 内緒話でもするように、重々しく口を開く。
「もしや、あー」
 職員室の中で誰かが聞いていないか、ちらっと見てチェックする。
「その、依頼とか……」
 三船が目をぱちくりさせて、戸惑った様子を見せた。
「依頼?」
 弾かれたようにアカネが元の位置に戻った。
「いえ! いえいえ、いいんです気にしないでください。違いますよね。ええ」
 顔の前で両手を振りながらまくしたてる。
 ユリが顔を赤らめるアカネに並び、その肩を叩いて言った。
「良く頑張ったな。お前が言い出した手前、引っ込めないもんな」
 こく、と小さくうなずくアカネ。
 落ちてきたメガネを中指で直してから、三船先生がおごそかに切り出す。
「今回は部活動についてお話があります」
 すぐにアカネがくいついた。
「我が部が何か問題を起こしたとでも!?」
 三船に飛びかかろうとするのを、ユリが胴体を両腕で引っ張って押さえる。
「いえ」
 首を横に振る三船。アカネは飛びかかろうとするのを止めた。
 少し間があり、三船が再び口を開く。
「部は五人居ないと存続できません」
 アカネが崩れ落ちた。


「なぜ、なぜこうなってしまったのかしら」
 職員室から出るなり、アカネは廊下にへたりこんで動かなくなってしまっていた。
「まだ、たった一年しか活動していないのに……」
 他の三人は互いに顔を見合わせるばかりで、どうしたら良いのか分からない様子だ。
 だがスミレがアカネの前にかがんで、顔を同じ高さに合わせた。
「アカネちゃん」
 何度目かの呼びかけで、アカネが顔を上げる。
「まだ廃部とは決まってないよ。誰か勧誘して、入ってもらえばいいんだよ」
 目を伏せ、アカネは首を振った。
「どうせ誰も入ってくれないわ」
「そんなことないよ。やってみなきゃ。一週間待ってくれるって言ってたじゃない」
「部長」
 今度はテイルの声がした。
 スミレの横に座る。
「申し訳ありません」
 深々と頭を下げた。耳も尻尾もしおれている。
「部活動の規定を把握していなかった、わたくしのミスです」
 アカネは手を伸ばし、猫の耳の間をなでる。
「いいえ。一人抜けた時点で気付くべきだったのよ。わたしのミス」
「で? どうすんだ」
 壁に背を預けて立っているユリが、腕を組んだまま言った。
 はるか上方のユリを見上げるアカネ。
 ユリは軽くため息をついて、さもなんでもない事のように言う。
「忘れるなよ、探偵部はお前が作ったんだぞ」
 髪をかき上げて、くしゃくしゃにした。
「そりゃ、最近は放課後集まって駄弁るだけになってるけどさ。だからお前がもう続けたくないって言うんなら、それでもいいけど」
 急にユリがすとんと腰を落として、アカネと顔を合わせた。
「さ、どうすんの? 部長」
 スミレとテイルも、アカネに呼びかける。
「部長」
「部長!」
 自らを囲むように座る三人の目を、アカネは順番に見ていった。
 やがて大きくうなずき、勢いをつけて立ち上がった。
 スカートのほこりをぱぱっと払う。
「そうよね。あきらめてられないわ」
 腰を上げた部員たちの前で、力強く両腕を組む。
「これより、探偵部存続作戦を開始します!」


 翌朝。
 校門の前。
 ユリは早くも励ました事を後悔していた。
「たんていぶでーす!! よろしくおねがいしまーす!」
 隣ではアカネが満面の笑みで叫びながら、生徒にチラシを渡している。
(耳が痛え)
 ユリはそちら側の耳がだんだん遠くなってきていた。
 アカネから若干遠回りしながら、登校中の生徒が怪訝な目を向けてくる。
「よ、よろしくおねがいしますー」
 ユリのさらに隣のスミレも、おそるおそるチラシを手渡す。
「ほらユリ! テイル! 声が出てないわよ! おねがいしまーす!!」
「おんしゃーす」
 ものすごくダルそうにチラシを持ち上げるユリ。しかし誰ももらってくれない。
「おねがいいたします」
 スミレの向こうでは、相変わらず仏頂面なテイル。
 だがこちらは小動物的な愛らしさもあってか、
「きゃー可愛い!」
「がんばってねー」
 などと女子生徒に人気で、チラシがどんどんなくなっていく。
「むむ。負けてられないわ。おねがいしまーっす!!」
 アカネが対抗心をむき出しにして、声を一段と大きくする。
 耳を押さえながら、もう片方の手でチラシを読んでみるユリ。

『探偵部にお任せください!
 どんな事件もイチコロ、直ちに解決いたします!
 サービス期間中につき依頼料は“いっさいいただきません!”
 
 困った事のある方は、探偵部部室へGO!
 お友達にも教えてあげてね!』

 チラシを持つ腕をぶらりと垂らして、アカネに声をかける。
「なあ、これ意味あるの?」
 チラシ配りの手を休めずに答えるアカネ。
「おねがいしまーす……あるわよ。こうやって事件を募集すれば……おねがいしまーす。募集すれば、後はわたしたちが華麗にそれを解決するだけだわ。おねがいしまーす」
「その最後の段階が一番難しそうだけどな。おんしゃーす。で、解決したらどうなるんだ」
 アカネの手が一瞬だけ止まった。
「そしたら誰か入部するわ」
「えらい大ざっぱな計画だなオイ」
「あ、あのー」
 スミレがアカネのもとへやってきて、ちょいちょい、と腕をつついた。
「どうしたの? おねがいしまーす」
 答えが返ってこないので、そちらを向く。
 生徒指導の教師が鬼のような形相で見返してきた。
 アカネはチラシを配る手を再び止めてしばし考え、脱兎のごとく逃げ出した。


 同日、午後一時。
 警視庁。
 捜査一課の奥の席に、男が一人座っていた。
 机に両足を乗せている。底がすり減ってまだらになった革靴の底が、忙しく出入りする刑事たちをうらやましそうに見つめる。
 椅子の背もたれに体重を預けた男は、ぐぐーっと伸びをした。
 机の空調スイッチを入れ、スーツの内ポケットからタバコを取り出す。
「銭形警部」
 突然、近くで呼びかけられた。
「わわっ、と」
 銭形は指の間から空中に飛び出したタバコを、なんとか落ちる前に拾った。中年の大男らしからぬ軽妙な動きだ。
 声のした方を見ると、若い女性の刑事が立っていた。
 メガネにパンツスーツ、短く機能的な髪型。いかにもエリートらしい風格である。
「休憩中ですか?」
 腰に手を当てて言う。
「なんだ君か。おどかさんでくれ」
 安心したようにタバコをくわえる銭形。
 が、刑事にタバコを取り上げられてしまう。
「ああ、こら。返さんか」
 手を伸ばすも、相手の呆れ顔に気がついて引っ込める。
「ここを休憩所にしないで頂けますか。我々の士気に影響します」
「わ、わしだってちゃんと働いとるわ!」
「うそ。このところずっと机に座ってるじゃないですか」
 メガネの奥の冷たい眼差しが銭形を刺す。
「好きで座っとるわけじゃない、見ろ!」
 銭形は机からどすんと脚を下ろし、天板にコイン状の装置を置いた。
 コインの真ん中には穴が開いており、宝石のようなものがはまっている。
 怪訝な顔になる刑事。
「ホロチップ? なんで机に表示させないんです?」
「壊れちまったんだよ。ケチって新しいのを買ってくれんのだ……まあいい」
 銭形がホロチップを指で叩くと、たくさんの四角いホロシート(ホログラムのシート)が空中に現れ、整列した。机の上に輝く壁を作る。
「これ……監視カメラですか」
 整列した中継映像のひとつをつまんで見る刑事。
「そうだ」
 うんざりした様子でうなずく銭形。
「都立『トーキョーポリス東高等学校』のな。ほら、例の予告状を覚えとるだろ。猫を盗むってヤツ」
 刑事は目をぱちくりさせる。
「あれはてっきり、イタズラだと思ってましたけど」
「わしも最初はそうだと思った」
 腕を組み、監視映像に向き直る。
「だが不思議と気になってしまってな。なんというか……ヤツらしい」
 刑事はしばらく考えている様子だったが、また監視映像を手に取る。
「それで、警部が自ら監視を?」
 大きいため息が銭形の口から漏れた。
「そうだ。こんな馬鹿馬鹿しい予告に人員は当てられないとさ」
 ほおづえをつく。
「……そうですか」
 刑事がホロシートを元の位置に戻す。
「それじゃ、頑張ってください」
 振り向きもせずに、刑事は去っていった。
 銭形は刑事の背中に恨めしそうな視線を送っていたが、ホロシートの監視に戻る。
 そのうちの一枚に動きがあった。
 なにやら女子高生の四人組が、太鼓やら、のぼりやら、チャルメラやらを持って学校の廊下を行進しているらしい。
 のぼりには『探偵部』の文字。
「なにやっとんだ。こいつら」
 銭形は思わずつぶやいていた。


 一週間後。
 教室には爽やかな朝の光が差し込んでいる。
「だんれもこにぇー……」
 机につっぷしたまま、ユリがうなった。
 近くの席でアカネも同じ姿勢になっている。
 寝たままの姿勢でじっとしていると、どんどん気力が無くなっていく。
「知名度は上がったと思うのに、なぜかしら」
 アカネが聞くと、ユリは即答した。
「そうだな、問題は知名度『しか』上がらなかった事かな」
「なるほどね」
 ざわざわと騒がしい始業前の教室において、この二人の周囲だけ空気がよどんでいるように思える。
 しばらくして、アカネがぼそりと言った。
「とうとう潰れてしまうのね。探偵部」
 ユリはすぐに答えなかった。少し考えてから口を開く。
「まあ、頑張った方だろ。ウチらにしては」
「そうね」
 アカネは机に向けて、大きくため息を吐いた。
 もう寝よう。やれる事はもはや何も無い。
「大変たいへん! 聞いてきいて!」
 だがスミレが大騒ぎしながら入ってきた。
 無視して眠りの世界へ潜ろうとするアカネ。
「大変だよアカネちゃん!」
「ううう、なによお」
 だが、肩をがくがく揺さぶられたのでうまくいかなかった。
「三船先生に呼ばれちゃった。わたしたち」
 スミレは青い顔で、自分の端末を指差す。
 一拍置いてから、アカネは身体を起こした。
「ついに来たわね……」
 ふらふらとユリも寄ってくる。
「思ったより早かったな。死刑宣告」
 顔を見合わせて覚悟を決めた三人は、ぞろぞろと教室を出て行った。


 テイルを加えた探偵部員の四人は、死人の足取りで職員室へ向かっていた。
 ゆっくりゆっくり。なるべくゆっくり歩く。
 だが着実に職員室への、運命の究極的帰結への距離は縮まっていく。
 いいえ違うわ、とアカネは思い直した。
 だって探偵部が終わっても、わたしたちは友達だもの。
 ついにドアの前にたどり着き、アカネは沈痛な面持ちで口を開いた。
「失礼しま」
「逃げたあー!?」
 だが突然廊下に叫び声が響いたので、びっくりして口を閉じてしまう。
「もう明日なんですぞ!」
 男性のガラガラ声。
 どうやら声は校長室の中から聞こえてくるようだ。
 にもかかわらずドア一枚隔てた廊下でハッキリ聞き取れるということは、相当な大声ということになる。
 話の相手が何か言っているらしい。ひそひそとささやくような声が聞こえる。
 アカネたちは耳をそばだてて、自然に校長室の方へ歩みを進める。
「言い訳など聞きたくありません! だから早く我々に警護させろと、あれほど言ったじゃありませんか!」
 が、大声に押しとどめられる。
 またひそひそ声に交代した。
 今が好機と歩を進める。
 ようやく校長室にたどり着き、壁に耳を当てるアカネたち探偵部一味。
「相手はルパンですよ、認識が甘すぎます!」
 全員が壁から耳を離した。
 もう話の相手の耳は潰れてしまっているのではないかと、アカネは若干心配になる。
「ええい、もう結構!!」
 爆発するようにドアが開き、一人の男が出てきた。
 がっしりした体格の大男だ。重厚な茶色のトレンチコートに身を包んでいる。
 ドアから出るなり、室内に向けて指を突き立てた。
「とにかく! これから明日までの間、我々で捜索に当たります。異存は無いでしょうな」
「ええ」
 力無い老人の声で返事があった。
「では失礼します」
 不機嫌そうに茶色のハットを頭に押し当てて、廊下をのしのし去って行く大男。
 考え事で頭が一杯なのか、壁にくっついている探偵部には全く気付かなかったようだ。
 後ろ姿を見送りながら、アカネは引っかかるものを感じていた。
 あの男にどこかで見覚えがあるような。
「……こ、怖かったねー」
 隣でスミレの声がして、アカネは現実に引き戻された。
「すんごい大声だよな」
 耳を押さえているユリ。
「校長とお話していたようですね。議題は分かりませんでしたが」
 猫耳を動かすテイル。
 ぴくぴくと動く猫耳を見ているうちに、アカネの中で何かがつながり始めた。
「猫だわ」
「なにが?」
 もうお前の突拍子も無い発言には慣れたぞ、とでも言いたげなユリの顔。
「だから、猫よ。猫が逃げたのよ」
 つながった何かを伝えたいのだが、口の中でうまくまとまってくれない。
 ぽかーんとした顔の探偵部員たち。
 もどかしい思いで、去って行くトレンチコートの大男を指差す。
「あれは銭形警部よ。太陽系刑事警察機構所属の、ルパン七世選任捜査官」
 今度は校長室を指す。
「ルパンの狙ってる猫が、逃げちゃったのよ!」
 目をぱちくりさせるユリ。
「ああ、そうか。大変だな、警察の人も」
 スミレもうなずいて言う。
「そうだねー。頑張って欲しいね」
 テイルも同様。
「我々には何も出来ませんが、せめて心の中で応援しましょう」
「ちがーう!!」
 いきなりアカネが叫んだので、スミレがびっくりして転んでしまった。
 他の二人も呆気にとられている。
「これはチャンスだわ」
 ぐっ、と胸の前で力強く拳を握る。
 手招きして、自分の前にユリ・スミレ・テイルの頭を集める。
「こしょこしょこしょ」
 アカネが何かをささやいた。
 探偵部員たちの顔に、じわじわと驚きが広がっていった。


 校長室の中で、テイルはびっくり仰天していた。
 もちろん顔には出ていなかったが。
「偶然聞いてしまったんです、さっきそこの廊下でね……猫が逃げてしまったとか」
 ニヒルな笑いを浮かべて、アカネが言った。
 対面には校長先生が座っている。他の探偵部員は、アカネの後ろに整列していた。
 校長の顔にわずかに表れた狼狽を捉え、アカネは言葉を継ぐ。
「はっきり申し上げて、学校の怠慢ですわね。だってルパンから予告があったのに、みすみす逃がしてしまうだなんて」
 すっかり髪の無くなった頭頂部をなでながら、校長が問う。
「君は何が言いたいんだね」
 アカネは一呼吸置いて、しっかり校長と目を合わせた。
「これがマスコミに知れたら。いったいどうなりますかしらね」
 もはや隠し通せないほど困惑した顔になる校長。
「誰だお前」
 とユリが言いかけたが、スミレにひじでつつかれて黙った。
「き、君は。わたしを脅そうと言うのか」
 その通りだとテイルは思ったが、沈黙を守る。
「いやだわ、脅すだなんて滅相もない」
 わざとらしくほほに手を当てるアカネ。
「取引き、ですわ」
 まるでギャング映画から持ってきたような台詞だ。
「なんだか知らないが、悪ふざけが過ぎる。もう帰りたまえ」
 立ち上がる校長。だが、
「捕まえて差し上げます」
 そっけなく放たれた言葉に動きを止める。
「なに?」
「猫を捕まえる、と申し上げたのですわ」
 悪ふざけか本気かはかりかねる、といった校長のまなざしを、アカネはしっかりと受け止めた。
「実はね、ここにうってつけの人材が居るのです」
 アカネは言いながら数歩下がった。テイルの横に並ぶ。
 テイルはいよいよ大事な局面に入ったので、いっそう背筋を伸ばした。
「先生。彼女の頭に何が見えます?」
 アカネにうながされ、校長がテイルの顔を注視する。
 テイルは居心地が悪くなって、思わず耳と尻尾がぴくぴく動いてしまった。
 その途端、校長の目が驚きに開かれる。
 期待を込めた眼差しでアカネを見た。
 ここぞとばかりの自信に満ちた笑みで、アカネは言う。
「彼女の嗅覚を持ってすれば、迷子の猫を探すなんて朝飯前。ウガンダ・トラがカレーを飲むより早く見つけて差し上げますわ」
「なぜウガンダ・トラ」
 とユリが言いかけたが、スミレにひじでつつかれて黙った。
「ほ、本当かね?」
 校長がテイルに聞く。
 あらかじめ打ち合わせした通り、テイルはしっかりとうなずいた。
 すっかり心をつかまれた様子の校長は、部員の顔をひとりずつ確認していく。
 突如現われた、救世主かもしれない生徒たちの顔を。
 校長の視線がアカネに戻った。
 アカネはそのチャンスを逃さず、静かに告げた。
「もし我々で猫を捕まえたら……校長先生は代わりに何をくださいます?」


「いえーい! 交渉成立う!」
 校長室を出たとたん、アカネはテイルと勢いよく手の平を合わせた。
「お前は鬼か?」
 やれやれ、とユリが首を振る。
「失礼ね。目的のためには手段を選ばない、と言ってちょうだい」
「同じだよ」
 ふんぞりかえるアカネと、頭を押さえるユリ。
 そんな中、スミレが両目を無邪気に輝かせて言う。
「すごいねテイルちゃん、臭いで探せるなんて!」
 テイルは首を振った。
「いいえ」
 顔面蒼白になるスミレ。
「ええー!?」
 だがアカネとユリは涼しい顔である。
「あら、知らなかったの?」
「本当なわけないだろう。地球人だって臭いで猿は探せないしな」
 ぱたぱたと手旗信号のように、スミレが腕を振る。
「でででも、それじゃどうやって……」
「これを使います」
 テイルは制服のポケットから何かを取り出した。
 手に入る大きさの、銀色の箱だ。
「それなに?」
「アクト製の万能スキャナーです。おそらく地球の警察のものより高性能でしょう」
「へえー。じゃあこれで探せるの?」
 得意顔のアカネが割り込んでくる。
「たぶんね。それに、実は猫の居そうな場所の目星は付いてるの」
「そうなの!?」
 これまた聞かされていない事実を知って、スミレが驚く。
「そう。警察が街中探してる間に、わたしたちはそこを重点的に効率的に探す……そして猫ちゃんゲット! よ」
 頭をかきかき、ユリが言う。
「うまくいけばな」
 アカネが天を仰いで、どこかを指差した。
「うまくいくわ。これで探偵部は安泰よ!!」


「と、いうわけなんです。先生」
 スミレが今までの経緯を三船先生に話し終えた。
「はは。大胆というか命知らずというか。相変わらずですね、あなた方は」
 思わず苦笑いになる三船。
 ずい、とそちらに身を乗り出すアカネ。
「この事件を解決して、探偵部は必ず存続させます。見ていてください」
 三船の笑顔に暖かいものが混じり込む。
「そうですか。頑張ってください」
「はい!」
 元気よく返事をしたアカネが、くるりと背を向けた。
「行くわよ!」
 部員を従えて、さっそうと三船の机を後にする。
 三船は彼女らを見送ってから机の方を向き、事務仕事を始めた。
 ペンを動かしながらつぶやく。
「実は簡単な方法があったのですが……余計なお世話でしたね」
 どたどた、と部員全員が走って戻ってきた。
 三船をまん丸な目で見つめる。
 仕事を続ける三船の腕を、アカネがつかんだ。
「あの。今なんて?」
「なんです?」
 ペンを止めて、アカネを不思議そうに見る三船。
「簡単な方法、とかおっしゃいませんでしたか?」
 ほほを引きつらせるアカネに対して、三船がさらりと告げる。
「ああ、それですか。単に探偵部を『部』から『同好会』に降格させればいいと思ったのです。我が校の生徒会規約には『同好会』に関する人数の規定は無いので」
 凍り付く部員たち。
「もちろん部費は出なくなりますが、活動内容からして問題ないでしょう。今日はその件でお呼びしたのですが」
 崩れ落ちるアカネ。
「ああー……その手があったかー……」
 そんなアカネの肩に、三船が優しく手を置いた。
「しかし、あなた方の決意には感服しました。校長に盾突いてまで『部』であり続けたいとは。わたしは少々、探偵部を甘く見過ぎていたようです」
 アカネと部員たちは、返す言葉も見つからない。
「退路を断つ、とはまさにこの事ですね」
 嫌な予感がしつつ、スミレがそろそろと口を開いた。
「あの……もし失敗したら探偵部はどうなるんでしょう?」
 にっこり笑う三船。
「即時解散でしょうね」


 放課後。
 部室として借りている空き教室に、探偵部の姿があった。
「と、いうわけで!」
 アカネが叫びながら背後の黒板を平手で叩いた。
「『第一回 猫探し作戦会議』を始めますッ!」
 黒板にも、その通りの議題が大きな文字で書き付けてある。
「いえー」
 ぱちぱちと拍手をするユリ、スミレ、そしてテイル。
 三人は黒板に向かい合った机に座っている。
「では、改めて事件の内容を確認するわ!」
 黒板にペンを走らせるアカネ。

 ・七日前。ルパン七世から「猫を盗む」という内容の予告状が、校長先生に届いた。
 ・昨日。校長先生が校内で猫を逃がしてしまった。
 ・後で獣医に連れて行くため校長室に連れてきていたのだが、虫を追いかけて部屋
  から出て行ってしまった。ドアは開いていた。
 ・先生自身も探したが、見つからない。

 ・猫の名前は「オリオン」。
 ・猫を逃がしたとなれば大問題になる。出来れば明日までに、秘密裏に捕まえたい。

 ・もし解決出来れば、探偵部存続を前向きに検討   ←重要
 
 ・もし解決出来なければ、探偵部は即廃部      ←超重要

「とにかくそういう事だから、みんなわかったわね?」
 うんうん、とうなずく部員たち。
 皆の同意が得られた事を確認したアカネが、黒板の内容をいったん消去する。
 新たに何かを書き付け始めた。
 ペンを叩き置くと、大声で書いた内容を読み上げる。
「『第一回探偵部チキチキ! 夜の学校に潜入して黒猫を無事に救出しよう』ー!」
「ええー!?」
 全員からのブーイングをものともせず一人で拍手をし、淡々と企画の説明を始める。
「猫は夜行性の生き物です。しかも校内に居る可能性が高いなら、夜の学校を探すのは当然です。わたしたちで見事オリオンちゃんをゲット! しましょう」
 部長には何を言っても無駄だと悟って、部員たちが肩を落とす。
 反対にアカネは右腕を持ち上げ、人差し指をどこか前の方へ向けて立てた。
「今日の夜九時、校門前に集合よ!」


 空には大きな満月がかかっていた。
 月光は柔らかく人に癒やしを与えるが、しかし頼りなくもある。
 校門の前に集合した四人の探偵部員たちにとって、それはなんとももどかしかった。
 照明の全て消えた校舎は死んだ動物を思わせる巨大さで、それでいて愚かな獲物を静かに待ち構えているようにも思えた。
「全員居るわね」
 部長が声を落として部員たちに呼びかける。もちろん深夜の住宅街であるための配慮だが、なんだか怪談話を始めるような雰囲気だ。
 おごそかにうなずくユリ、スミレ、そしてテイル。
「では、レッツゴー」
 アカネはささやくような声で言うと、校門を抜けて校舎へ向かっていった。
 しぶしぶ従う部員たち。
 ふと疑問を覚えたユリがアカネに追いついて、聞く。
「なあ、いきなり校舎から行くのか? 外はいいのか?」
「ええ。一番オリオンが居そうなのが校舎なのよ。あの猫は校長室から逃げ出して、学校を縄張りにしてるわ。ということは、校長室を中心に行動している可能性が高い」
「はー……」
 いつになく理路整然とした推理を見せるアカネの顔に、ユリがなぜか手を伸ばした。
 ほほをつねる。
「ひたたた!?」
 驚いたアカネが、その手を振り払う。
「なにするのよ!」
「いや、誰かが変装してんのかと思って。なんか頭良さそうだったから」
「ちょっと。なんでそうなるのよ。わたしはもともと頭がい・い・の」
 鼻を天に向け、自信の才能を誇るアカネ。
「良かった、やっぱり変装じゃないな」
 胸をなで下ろすユリ。
「……あんたね、後でお話があるからね」
 とにもかくにも、四人は本館校舎に入った。


 本館校舎。一階。
 昇降口を抜けて、探偵部は廊下の端に立っていた。
 窓ガラスからは弱々しい都市の灯りしか入ってこないため、昼間のイメージを思い出せないほど暗い。さらに静かすぎて、自分の呼吸が気になるほどだ。
「それじゃ、この先の校長室に向かうわよ」
 アカネが言って、懐中電灯をバッグから取り出した。
「ううー、怖いよー。アカネちゃん」
 後ろでは、スミレが早くも両腕で自分の身体を抱いている。
「まったく怖がりねえ。大丈夫よ、この電灯で明るくなるわ」
 電灯を点けて、廊下の先を照らしてみる。
 だが到底見通すことは出来ない。闇は追い払われるどころか存在感を増し、光の届かない場所がくっきりと浮かび上がる。
 立ち尽くすアカネに、ユリが声をかけた。
「おい」
「ひゃっ!?」
 懐中電灯の光があらぬ方向を照らす。
「な、なにかしら」
 ユリを振り返ったアカネは平静を保っているように見えるが、声がちょっと震えている。
 その様子を見て、ユリの口許にいやらしい笑みが一瞬浮かんだ。
「なにお前、怖いの?」
「こっ怖くなんかないわよ馬鹿言ってんじゃないわよ」
 ぶるぶると震える懐中電灯の明かり。
「へえー。それにしてはずいぶんと……」
 かちゃーん!
 廊下に何かの落ちた音が響いた。
「ひっ」
 身体全体を硬直させるユリ。
 あわてて両手で口をふさいだ。
「申し訳ありません、スキャナーを落としました」
 テイルが床に転がっていた銀色の箱を拾う。
 今度はアカネがにたー、と笑う。
「あらユリさん、今の可愛らしい悲鳴はあなたではございませんこと?」
「ち、ちげーし。あたしじゃねーし」
「すぐ横から聞こえたんだけどー? ねえねえ、ねえったらねえねえ」
 ばつが悪そうにほほを染めるユリと、心底嬉しそうに彼女の腕をつっつくアカネ。
 なんだか楽しそうなところ申し訳ないなあ、と思いながらスミレが口を開いた。
「あの、もうそろそろ探し始めた方がいいんじゃないかなー」
 それもそうだと思ったので、四人は連れ立って闇の支配する廊下を進み始めた。


 同時刻。新トーキョーポリス駅前。
 デートに出かける若者や酔っ払ったビジネスマンやクラブの呼び込みやその他の人々で混雑する中で、背筋を伸ばして立つ銭形警部の姿があった。
 拳を口の前に当て、ごほんとせき払いする。
「それではこれより、猫(オリオン)の捜索を開始する。各自最大限に努力し、迅速なる発見を……」
「警部」
 若い女性エリート刑事(一週間前に銭形と話していた)が手を挙げた。
「なんだ? まだわしが話しとるだろ」
「なぜわたしは、ここに駆り出されているのでしょうか」
 不満を隠そうともしない刑事の周りには、仲間は誰も居ない。
 銭形と刑事の二人だけである。
「いくらなんでも、わし一人だけじゃトーキョーポリス中は探せんのでな。捜査一課の課長に応援を頼んだ結果だ」
 刑事はますます不満の色を濃くし、言葉を一言ずつくっきりはっきり区切って言った。
「なぜ、わたし、だけが、派遣された、ので、しょうか」
 がっくりと頭を落とす銭形。
「わしだってな、もっと人数が欲しかったよ。でも無理だと言われたんじゃしょうがないじゃないか。一人で探し続けるよりはマシだ」
「いえそうではなく、なぜわたしが?」
 顔を上げた銭形はちょっと考えてみて、軽く肩をすくめた。
「さあな。一番ヒマそうだったんじゃないか」
「なっ」
 激高する刑事。
「そんなことありません! 絶対におかしいですもっとヒマな人は居るはずです!」
 銭形は新トーキョーポリス駅を指差して言った。
「よおし、わしは駅の東口側を探してみる。君は西口側だ」
「聞いてください!」
「頼んだぞー」
 だが銭形は既に走って行ってしまったので、刑事はとぼとぼと西口側へ向かった。


 本館校舎。一階。
 四人の持つ懐中電灯の光が、廊下をぱらぱらと照らしていた。
 一団はゆっくりと着実に歩を進める。
 誰も口をきく者は居ない。校舎を横断するといってもたかが数十メートルなのに、おそらく一分間は歩かなければならないだろう。
 アカネは学校の壁がささやいているのを聞いた気がした。実際には、自分たちの足音が反響しているだけなのだが。
「そーいやさあ」
 沈黙に耐えかねたか、ぶっきらぼうにユリが口を開く。
「東高の七不思議、って知ってるか?」

 ・真夜中に数えると、階段が十三段になっている

 ・理科室の人体模型が夜中に動き出す

 ・美術室の石膏像が、夜の廊下を歩き回る

 ・誰も居ない音楽室で、ピアノが勝手に曲を演奏している

 ・廊下で足だけが歩いている

 ・トイレに「花子さん」という名前の女の子が出る

 ・保健室にゾンビナースが出る

「……って、いうのなんだけど」
 全員が黙り込んだ。
「おい、なんか言ってくれよ」
 ユリにうながされ、アカネが低血圧な寝起きの顔で口を開く。
「そういうのよくないとおもう」
「な!? なんだよ?」
 驚くユリの背中に、誰かがしがみついた。
「うううう、怖いよおおお」
 もちろんスミレである。
「ほらー、怖がってるじゃない。ていうかさっきから既に怖がってたじゃない。そういう人を追い詰めるのってどうなのかしら? 人として正しい生き方なのかしら?」
 怯えるスミレが、歩きにくいほどにユリの服を引っ張る。
 歩幅を小さくしながら、ユリは部員全員の視線から目をそむけた。
「いやその……あたしは静かすぎて怖いかなーと……思って」
 再び静かになってしまう廊下。
「まったく非科学的ですね」
 突然、テイルが涼やかに言い放った。
「そのような『霊的』体験の話は枚挙に暇がありませんが、どれも心理学的見地から説明出来るものばかりです。恐怖が錯覚を引き起こし、さらなる恐怖を生む」
 スミレをしっかりと見すえ、続ける。
「ですから落ち着いていれば問題ありません。心を強く持ってください、スミレさん」
 しばらく歩いた後、スミレの手がユリの背中から離れた。
 涙を拭いてから、今度はテイルの手を握る。
「ありがとう。ちょっと怖くなくなったよ」
「どういたしまして」
 アカネとユリは顔を見合わせて、微笑んだ。


「うーん、机の下には居ないわね」
 校長室の床にほっぺたをくっつけながら、アカネが言った。
 立ち上がり、服に付いたほこりを払う。
「そっちはどう?」
「いや、見つからないな」
 ユリは懸垂の要領でロッカーにぶら下がっていたが、あきらめて着地した。
「こっちもダメですー」
 トロフィーの飾られた棚に手を突いて、壁とのすき間をのぞき込みながらスミレが言う。
「しかし、この周辺に居た事は間違いないようです」
 テイルが言った。油断なく周囲に金属製の板を向けている。板は表面のあちこちが明るく点滅し、まるでクリスマスツリーのように賑やかだ。
「長くてもここを抜け出してから一時間でしょう」
 スキャナーのふたを閉めた。金属の板は銀色の箱になり、灯りも消えておとなしくなる。
「ふむ。まあこれは予想の範囲内ね」
 腰とあごに手を当てて思案するアカネ。
「よし、みんなちゅうもーく!」
 ぱんぱん、と両手を打ち合わせた。
「しー! しー!」
 とたんに全員が駆け寄ってくる。
「静かにしろよ、誰かに見つかるだろ」
「退学になっちゃうよー」
「近隣の住民に通報される恐れがあります」
「ごめーん」
 アカネが口を両手で覆う。
 三人の顔色をうかがいながら、今度は慎重に口を開いた。
「こうなったら、学校中を探すしかないわ」


 ドアを静かに閉めた後、アカネが懐中電灯で廊下を照らす。
「じゃ、一階の部屋を全部見ていきましょう」
「めんどくせえー……」
 隣で、魂の抜けそうなため息を吐くユリ。
「文句言わないの。ここで帰るわけにもいかないでしょう」
「だってさあ、これから学校にある全部の部屋を、ひと部屋ごとに中に入って隅々まで探すって事だろ? いったい何時間かかるんだよ」
 ちょっと待っても反論が無かったので、アカネの顔を良く見てみた。
 暗い場所でも、その顔から血の気が失せていくのがわかる。
 ああ何も考えてなかったんだな、とユリは頭痛を覚えた。
「大丈夫です」
 テイルがスキャナーのふたを開けた。先端を床に向ける。
「廊下にオリオンの痕跡が残っています。校長室を抜け出してからどこに向かったのか、おおまかに知る事ができます」
「おおー」
 アカネとユリがほぼ同時に感嘆の息を漏らした。
「すごいねテイルちゃん、えらい!」
 笑顔のスミレがテイルの頭をなで回す。
「あ、ありがとうございます」
 目を伏せながら言う。珍しく、テイルは照れているように見えた。
「よーっし、じゃあ探すわよ!」
 廊下を昇降口に向けて歩き出すアカネ。
「部長、こちらです」
「ああそう」
 だがテイルが階段に向けて歩き出したので、ばつが悪そうにそちらに従った。
 ユリは一団の最後尾に付きながら、なんとか(元々少ない)気力を奮い起こすために顔を両手で軽く叩く。最初に考えていたより、はるかに効率的に探せるかもしれない。
 こと、と背後で何かのぶつかる音がした。
 振り返る。
 暗い廊下の真ん中に、石膏像が立っていた。
 白い表面がわずかな光を反射し、整った顔に深い陰影を生む。
 ユリは背筋が緊張し、一瞬で結露しそうなほど凍えるのを覚えた。
「お、おい」
 すぐ前を歩くスミレの腕をつかむ。
「どうしたの?」
「あれ……を」
 指差した先には、ただ廊下と闇と空間が広がるばかりだった。
「なに? ユリ」
「どうしましたか?」
 もう二人の部員も戻ってきた。
「いや、その」
 目を開いたりすがめたりして、廊下を良く見る。
 石膏像は無かった。そう、あるはずないのだ。あるはずない物が無いのは当然だ。
「なんでもない。ほら行こう」
 当惑気味の部員たちの背中を押すようにして、階段へと進んでいく。
 その間も、ユリは石膏像のイメージが網膜から離れなかった。
 見つめられていたのだ。何も映さないはずの、両目をかたどった部分に。


 なんだか不安げなユリを気にしながら、探偵部は階段にたどり着いた。
「こちらです」
 スキャナーを持ちながら、迷い無く二階へ上っていくテイル。
 その後ろを懐中電灯を持ったアカネ、スミレとユリがくっついていく。
「ユリちゃん、大丈夫?」
 スミレの問いかけに、はっ、とユリが顔を上げる。何かを考えていたようだ。
「ああ、大丈夫だいじょうぶ。ちょっとその……猫が居たような気がしたんだけどな」
「そうなんだ」
 やっぱり様子がおかしい、とスミレは思った。
 自分で七不思議を持ち出したりしていたけれど、実は一番怖かったのかもしれない。
「安心してユリちゃん。幽霊なんて居ないよ」
「ば、ばか。あたしは別にそういうんじゃない」
 ここで、二人は階段の踊り場にさしかかった。
「なーにユリ、怖いのお?」
 先に上っているアカネが、わざわざ立ち止まってはやし立ててきた。
「うっせえ! 早く上れよ!」
「うぷぷ。確か階段にも七不思議があったわよねー」
「この……ぶっ飛ばす!」
 ユリはスミレを追い越し、階段を一段飛ばしで上って行く。
「おほほほ、捕まえてごらんなさーい」
 高笑いしながら逃げるアカネ。テイルも一緒に走る。
 踊り場に取り残されたスミレには見えない遠くの方で、
「ぐぇふ」
 アカネの悲鳴が聞こえた。
 まああれはユリが殴ったのだろう、とスミレは肩を落とす。
 さて階段を上って追いつこう。
「あっ」
 何かが脳裏に蘇ってしまった。
 階段の七不思議――真夜中に数えると、十三段になっている。
 スミレは頭を抱えた。なんで思い出してしまったのか。
(怖くないもん。こんなの、たかが階段だもん)
 心の中で言ってみるも、目の前のすべすべした段々が悪意を持って待ち構えているような気持ちになってくる。
「スミレー? どうしたの?」
 一人足りない事に気づいたらしく、アカネの声が上階の廊下に響く。
 早く行かないと、心配されてしまう。
「いまいくー!」
 スミレは決心した。
 むしろ階段を数えてしまおう。
 結果は十二段に決まっている。そうなれば、七不思議のひとつが明確に否定される事になる。自分で確かめてしまえば、もう他の七不思議だって怖くなくなるに違いない。
 最初の段に右足を乗せる。
「いち」
 次の段に左足。
「に」
 数えながら上っていく。
「さん」
「よん」
「ご」
「ろ……」
「どうした? スミレ」
 顔を上げると、心配そうなユリと目が合った。
「あ、ユリちゃん」
「怪我でもした?」
「なにか問題がありましたか?」
 アカネが走って廊下を戻ってきた。テイルも一緒だ。
「ううん、なんでもないよ」
 階段を一気に上ってしまい、最後に右足をフロアに乗せる。
「じゃ、しゅっぱーつ」
 努めて明るくスミレが言うと、部員たちはとりあえず二階の廊下を進み始めた。
 なんだか違和感を感じたものの、スミレはそれを無視する事に決めた。


「この部屋に一度入っているようです」
 理科室の前で立ち止まったテイルが言った。
「よおし、この部屋を探すわよ。オリオンがまた戻ってきてる可能性もあるわ」
 誰からも賛同が得られなかったので、寂しくなったアカネは部員を振り返った。
「いいわよね?」
 心なしか顔色の悪いユリとスミレ。
 ちょっとお互いの顔を見てから、
「ああ、もちろん」
「行こう行こう」
 なんだか空元気気味に首を縦に振る。
 眉をひそめながらも、アカネは理科室のドアを開けた。
「おっじゃましまーす」
 思わず声を潜めてしまう。
 テイルがアカネの後ろからひょいっと飛び出して、センサーと懐中電灯をあちこちに向けながら奥へ歩いて行った。
 感心した様子のユリとスミレ。
「勇気あるなあ」
「恐れ知らずだねえ」
「ほら、わたしたちも行くのよ」
 アカネに理科室の暗闇を指差されて、二人は重くため息を吐いた。
 
 
 理科室に散らばり、黒猫を探し始める四人。
「オリオン、居るかしらー?」
 実験用テーブルの下を念入りに照らしながら歩くアカネ。
「居ても返事はしないんじゃないかー?」
 同じくユリ。
「オリオンちゃんやーい」
 ぴょんぴょん跳ねながら、スミレはロッカーの上をなんとか見ようとしている。
 ガシャン!
 突然大きな音がしたので、その場の全員が身を固くした。
「ごめん、ぶつかっちゃった」
 ロッカーの扉にスミレがぶつかった音だったようだ。
 アカネは緊張を解き、スミレに向けて指を立てた。
「気をつけなさいよ? 中のビーカーとか割っちゃったら弁償なんだからね」
「えっ!」
 慌ててロッカーに懐中電灯を当てるスミレ。ガラスに光が反射して見づらい。
 どうやら割れてはいなかったようで、すぐに黒猫探しに戻った。
「……居ないわね」
「居ないなあ」
「そうだねー」
 懐中電灯を向け合い、顔を見合わせる三人。
 ひょこ、と大きな教卓の向こうからテイルが顔を出す。
 教卓の横にあるドアにセンサーを向けた。
「どうやら、こちらの部屋に向かったようですね」
 テイル以外の三人は、知らず知らずうつむき加減の姿勢になる。
「なんとなく、そんな気はしてたわ」
 全員の気持ちを代弁して、アカネがつぶやいた。


 理科準備室に入った四人組。
 懐中電灯をあちこちに向け、まずは内部の把握に努める。
「ひゃあっ!」
 ホルマリン漬けをうっかり照らしてしまい、スミレがか細い悲鳴を上げた。
「お約束ねえ」
「ホントほんと」
 呆れ気味のアカネとユリだが、おっかなびっくり辺りを照らしている事には変わりない。
 とぐろを巻いた蛇がビンに詰められ、じっとこちらを見ている。「危険!」と深紅の文字で書かれた薬品棚。人体から取り出され、膨張させられたような眼球の模型。
 そして、とアカネは思った。
「ひいやあっ!」
 スミレが先にリアクションしてくれたので、アカネはそれほど声を上げずに済んだ。
 裸にされ、腕と脚を切り落とされ、さらに無残にもとてつもなく深い傷を平行に十四本もつけられた死体――ではない。
 今テーブルの上に立っているのは人体模型だ。
 内蔵などのパーツを取り外すタイプではなく、人体を十五枚の板に分解している。病院で良くある画像診断のイメージだ。
「やっぱ、コレはきっついな」
 ユリが人体模型のパーツを動かしてみる。鼻の付属している板が横にスライドし、眼球の円形や脳のしわしわが綺麗に見えた。
「ちょっと。遊んでないで。戻しなさいよ」
 アカネは震え気味の声を悟られないよう、強い口調で注意する。
「ありゃ、怖いのお?」
 先ほどの仕返しとばかり、ユリが模型をいじくり始めた。それぞれの板は背後の柱から伸びた棒で支えられていて、柱を中心に回転する。よって、
「らせん階段」
 そんな形も可能である。
「戻しなさい!」
「はーいはい」
 かなり悪趣味な光景だったので、ユリもおとなしく従う。すぐに人間の形を取り戻した。
「まったくもう。もうここはいいわね? 帰りましょう」
 とりあえず一通りは探し終えたので、部員たちはこの部屋を引き上げる事にした。
 最後に残ったアカネが、念のためもう一度だけ部屋全体を照らして確かめる。
 棚の上には居ない。物を置いてある台の下にも居ない。
 嫌々ながら、人体模型の方も照らす。
 らせん階段になっていた。
 反対側のロッカーの上にも居ない……。
「!?」
 もう一度、光をそちらに向けた。
 人体模型は人間の形になっている。
 懐中電灯の投げかける光の輪が、再び震えだした。


 テイルがスキャナーをのぞき込んだまま、つかつかと廊下を進む。
 その後ろを付いて歩く三人。
 なぜか全員がむっつりと黙り込んでいる。先ほどまでやかましかったアカネまでが口をつぐみ、そわそわと周囲を見回している。
「部長」
 突然テイルが立ち止まった。
「は、はい!?」
 危うくぶつかりそうになり、ステップを踏むアカネ。
「何かあったのですか? 理科室を出てから一言も発言していませんが」
「え」
 一瞬の間があった。
 全員の視線が部長に集まる。
「な、ないない!」
 アカネは開いた右手を激しく振りながら、
「なんにも無いわよ無いに決まってるでしょ何を言っているのかしらあなたは本当にもう、なんにも無さすぎてえーとなんて言うの? もう拍子抜けでずっこけちゃう。あははは」
 ここまでを一息に言い切った。
「ぜえ。ぜえ」
 ひざに手を突いて息をつく。
 顔を上げると、やはり部員の視線がアカネに集まっていた。
 明らかに何かを疑っている顔で、ユリが口を開く。
「お前……もしかして」
「さあ! 次はどこかしら?」
 頭が後ろに飛んでいきそうな勢いで背筋を伸ばすアカネ。
「おい、お前」
「こちらです、部長」
 テイルが歩き出す。
「さあ行くわよ! 早くしないと置いてっちゃうからね」
 拳が真下に飛んでいきそうな勢いで腕を振って付いていくアカネ。
「おいちょっと」
「よーし! 全員で歌を歌いましょう」
「なんでだよ!?」
 アカネは振り返った。真っ直ぐにユリの目を見る。
「その方が怖くないから」
 笑顔の割に、切実な声色であった。
 何か言おうとしていたユリだが、言葉を引っ込める。
 そして少し考えてから言った。
「なるほど。確かに」
 スミレもこくこくと頭を振る。
「歌……ですか?」
 ただひとり、怪訝そうなテイル。
 だが三人の無言の迫力に気圧されたか、それ以上は聞かずにおとなしく従った。
 彼女たちは大声で歌い始めた。
 それはこのような歌詞であった―― 

  鬼のパンツは いいパンツ
  つよいぞ つよいぞ
  トラの毛皮で できている
  つよいぞ つよいぞ
  ヒートテックで あったかい
  やすいぞ やすいぞ
  三枚セットで うっている
  やすいぞ やすいぞ
  はこう はこう 鬼のパンツ
  はこう はこう 鬼のパンツ
  あなたも あなたも あなたも あなたも
  みんなではこう ヒートテック

「んん? 歌詞間違ってないか?」
 そうユリが疑問を呈したとたん、
「着きました」
 テイルが立ち止まり、アカネが今度こそぶつかった。


 顔を上げるアカネ。
 見てすぐに場所は分かったのだが、いちおう声に出して確認してみる。
「女子トイレ」
 吐き捨てるように、忌まわしい言葉を噛み砕くように口を大きく動かす。
「女子トイレだな」
「女子トイレだねえ」
 ユリとスミレも渋々従った。
 三人はトイレの入り口ドアを見た状態で微動だにしない。何も言わない。
 ああこのまま誰かが「帰ろう」って言ってくれないかしら、とアカネは思った。
 まさか部長である自分が言い出すわけにもいかないし。
「では行きましょう」
 テイルが脳天気に口にしたのは、まさにアカネが言わなければならない台詞だった。
 しかし三人が動かないので、不審そうに彼女らを振り返る。
「どうかしましたか?」
 何か言わなければ、とアカネが思った瞬間にユリが反応していた。
「いやそのー、な。ええとなんていうか……な? スミレ」
 スミレの身体が跳ねた。自分自身を指差して確認する。うなずくユリ。
「そ。そうそう。別になんでもないんだけど、でもそのー……ね? アカネちゃん」
 アカネの身体が跳ねた。自分自身を指差して確認する。うなずくスミレとユリ。
 あんたたち覚えてなさいよ、と視線を二人に送っておいて、テイルに向き直る。
 仕方ない。
 ひとりで行ってきて、と言おう。怖いし。
「て、テイル」
「はい部長」
 かしこまった姿勢になるテイル。背が低いので、必然的に上目遣いになる。
 つぶらな瞳がアカネを一心に見つめる。
 まるで子供のように疑いを知らず、彼女を信頼しきった……。
 アカネは頭を抱えた。
 言えねえー!
「どうしたアカネ?」
「どうしたの!?」
「ご病気ですか」
 部員たちの心遣いまでもが、今は部長の心にナイフのごとく突き刺さる。
 しかし、しかし行きたくない。絶対に女子トイレには行きたくない。
 頭を抱えたまま葛藤したあげく、アカネは静かにテイルへ告げた。
「……先に行っててくれない? 後から行くから」
 テイルは力強くうなずき、アカネの腰に軽く手を当てる。
「わかりました。部長は少しお休みになってください」
「ありがとう」
 ドアを開き、小走りでトイレに入っていくテイル。
 閉じていくドアの前で、三人はお互いに目を合わせようとしなかった。


 ドアの前で、三人は立ち尽くしていた。
「ひとりで大丈夫よね、狭いし」
 努めてドアの暗い窓を見るようにしながら、アカネがぽつりと言った。
「まあ、すぐ終わるだろ」
 ちらっとユリを眺めると、こっちはドアノブを見つめている。
「でもちょっと可哀想だね」
 スミレはドアの下のすき間。
 あまりにも的を射た意見だったので、三人は口を閉じた。
「テイル、大丈夫?」
 アカネが呼びかけた。
 罪悪感の波頭が、一瞬だけ理性の堤防を越えたのである。
 テイルのくぐもった声がドア越しに聞こえてきた。
『はい、順調です』
「もう少ししたら行くからね」
 心にも無い事を言う。
『了解です……おや?』
 声が途絶えた。
 待機している部員三人の視線がしばらくぶりに交差した。
「どうしたの?」
『センサーに反応がありました』
「猫?」
『いえ、妙ですね』
 こんこんこん!
 個室をノックする音。
『どなたかいらっしゃいますか?』
 こんこんこん!
 またしても三人は顔を見合わせる。
 何かおかしな事が起きているのだ。
 ドアノブをアカネは握った。
 だが動かない。いや動かせない。
 また何か異常な事が起きたら、もう逃げ帰ってしまうかもしれない。
 怖い。
『もしもし?』
 こんこんこん!
 こんこ……。
 ノックが止んだ。
 ぎ、ぎ、ぎ。
 個室が開く音。
 そして、
『みゃあああああ!?』
 テイルの悲鳴が響いた。


 アカネは気がつくとドアを開けて、中へ飛び込んでいた。
 ねっとりした暗闇に包まれる。
 誰かが照明を点けた。
 テイルを発見した。
 床に倒れている。すぐ側に懐中電灯とセンサーが転がっている。
「テイル!」
 かがんで頭を抱え上げる。
「テイル、テイル」
 少し揺らしてやると、目が少しずつ開いていく。
 アカネの口から息が漏れる。
 良かった。生きていた。
 スミレが端末を取り出しながら、
「救急車! 救急車呼ぶね」
 と言う。だがテイルはか細い声で制止した。
「いえ、それには及びません」
「でもテイルちゃん」
 テイルは平気な事を証明するように、頭を抱えながら起き上がる。
「いつっ」
 顔をしかめた。
「テイル。寝てなきゃ」
 抑えようとするアカネに向けて、テイルは笑みを浮かべて見せた。
 無理をしているのが明確で、アカネの胸が苦しくなる。
 自分が一緒に行っていれば良かったのだ。そうすればこんな事にならなかったのに。
 まだ力の入らない両脚で立ち上がろうとしながら、テイルが言う。
「それよりも、皆さん。ここを離れましょう」
 ようやくユリが口を開いた。
「どうしてだ?」
「それは……」
 閉じた個室のドアを見る。
 突然、そのドアが内側から殴りつけられた。


 ガン!
 身を震わせるアカネ。おそらく部員全員がそうだろう。
 ドガン! ガン! ガン、ガン!
 執拗に殴られる個室のドア。ひとつのドアだけでなく、全ての個室が内側から叩かれている。
 ぐるぐるとアカネの脳内で混乱した信号が回っている。
 悪意のある存在――複数――個室の中――夜の学校――暗闇。
「センサーが異常な値を観測したのです」
 震える声でテイルが言った。
「ありえない。質量が無いのです。でも息づかいだけは聞こえてきて、それで」
 瞬間的に闇が視力を奪い、誰からともなく押し殺した悲鳴を上げた。
 照明が消えたのだ。
 目が慣れて室内が見えていくに従って、気がつく事があった。
 打撃が止んでいる。
 部員の息づかいと衣擦れの音だけが空間に響く。
『あーそーぼ』
 幼い少女の声がした。
 反応できないアカネ。
 どくんどくんと血管が身体に、脳に循環しているのが分かる。身体が冷たくなっていく。
『あーそーぼ』
 屈託の無い明るい声。暗闇の中ではっきりと浮き上がるような。
 病的な存在。
 誰かが右腕に触れて、アカネは危うく飛び上がるところだった。
 テイルである。小刻みに震える肩。
『ねえ、あそぼう』
 ぎいい……と不吉な音を立てて、ひとつのドアが開いた。
 中には人影。
 小さい――少女――立っている――赤黒いものが顔に――。
 そこで、アカネの理性は試練に耐えられなくなった。
 今度こそ飛び上がり、絶叫しながら駆け出す。
 もう無理だ。
 もう限界だ。
 帰りたい。今すぐに。
 そんなことを考えながら。


 どこをどう走ったのか、学校の廊下にアカネは立っていた。
 荒い息を整えてから顔を上げ、辺りをざっと見回してみる。
 暗くてほとんど見えないが、どうやら自分だけらしい。
 アカネは肩を落とした。
 部員たちとはぐれてしまったようだ。
 そういえば、右手に何か持っている感触がある。
 確か懐中電灯だったはず。
 これを点ければ――。
『あー、そー、ぼ』
 夜の学校では場違いな、幼い子供の声がした。
 硬直するアカネ。
(さっきの声だわ。トイレの声)
『あー、そー、ぼ』
 声がどこから聞こえるのか、アカネは必死に耳をそばだてた。
『あーそーぼ』
 場所が分かったので、顔を下に向ける。
 血まみれの少女と目が合った。
 子供がにっこり笑う。口までもが赤黒い。
『あそぼう』
「い、い」
 アカネは一歩、二歩と下がると。
「いやああああああ!!」
 またも廊下をやみくもに走り始めた。
 血塗れの少女がまとわりついているように、身体が重苦しい。


「おーい。誰か居るかー?」
 ユリはとりあえず懐中電灯を点けて、そちらに呼びかけてみた。
 だが、声はがらんどうの廊下に空しく響くだけ。
 光は空間を素通りして床に輪を作り、誰も答える者は無い。
 やれやれ、と頭をかくユリ。
 もはや何階の廊下に居るのかさえ、よく分からなくなってしまった。
 ぎゅ……きゅ……。
 リノリウムの床と、靴の底のゴムのこすれる音がした。
 誰かが歩いてきたのだ。
(良かった。アカネか? スミレかも)
 音の方に光を向ける。
 光は向こう側の壁に、ぼんやりとした輪を描いた。
 ぎゅっ……きゅっ……ぎゅ……。
 なおも足音は近付いてくる。
 おかしい。
 間違いなくそちらに光を向けているのに、なぜ誰も照らさないのか?
 ぎゅっ。ぎゅっ。
 なおも近付いてくる足音の正体を探そうと、あちこちに光を向ける。
 靴が照らし出された。
 廊下に置かれた一足の上履き。東校の指定の靴だ。
 右足側の靴が浮き上がった。
 ぎゅぅっ。
 誰にも履かれていない靴が、誰の体重もかかっていないのに変形した。
 次に、左足。
 きゅっ。
 まっすぐにユリを目指して歩いてくる。
 靴だけが。
 ぎゅうっ。きゅっ。
「わ、わ」
 ユリは廊下を逃げ始めた。
「うわあああ!?」
 相手と同じゴムの音を、ひどく不快に感じながら。


 スミレは懐中電灯を武器のようにあちこちへ向けながら、腰が引けた姿勢で廊下を進んでいた。
「アカネちゃーん」
 仲間の名前を呼んでみる。
「ユリちゃん、テイルちゃーん」
 しかし返事は無い。
 どこまでも続くように見える筒状の闇と、自分の足音が聞こえるだけ。
 ポーン。
 突然、ピアノの音が響く。スミレは反射的に立ち止まった。
 自分の背にしていた壁を見上げ、そこに見慣れた表札を見つける。
(音楽室だ)
 ポン。ポロロロロン。
 誰かがピアノを弾いているらしい。
 しかし、こんな時間に? こんな場所で?
(近所の人が入ってきて、悪ふざけしてるのかも)
 とにかく、あんな体験をした後である。誰かが居てくれるのはありがたい。
 中の人は、聞いた事のあるクラシック音楽を弾き始めた。
 相手を脅かさないように、音楽室のドアをノックしてみる。
「すみませーん」
 だが返事は無い。
(たぶん自分が弾いてるから、聞こえてないんだ)
 仕方ないので、ドアを開ける。
「失礼します」
 部屋の中も真っ暗だったが、ピアノの演奏が賑やかに出迎えてくれた。
 懐中電灯でピアノの椅子を照らす。
 誰も座っていなかった。
 呆然とするスミレの前で、ピアノの鍵盤がひとりでに演奏を続ける。
「き、き」
 スミレは音楽室を出ると、
「きやああああああ!!」
 叫びながら廊下を駆けた。
 彼女を追うように、ピアノの旋律がいつまでも耳に届いてくる。


「はあ、はあ、はあ」
 息を切らせ、アカネは廊下を駆ける。
 重苦しい身体をひきずり、痛む脚を叱咤して。
 廊下の曲がり角で、向こうから飛び出た何かに衝突した。
「あたッ!?」
 後ろに転んで尻餅をつくアカネ。
 新手の怪異か、と素早く立ち上がって身構える。
「いたたた」
 しかし向こうで頭を押さえているのは、ユリだった。
「ユリ! 無事だったのね」
「お前……アカネか」
 立ち上がろうとしたユリの身体に、横から誰かがぶつかった。
「きゃあッ!?」
 倒れたユリの上に転んで、もがく謎の人物。
 アカネの口から安堵の息が漏れた。
「スミレ」
「うういたい……あ、アカネちゃん!」
「どいてくれないかな」
 下敷きになっているユリがうめく。
「ユリちゃん! あ、ごめん」
 スミレが退き、ようやくユリも二本の脚で立つ事が出来た。
 頭と腹を押さえながら言う。
「これでようやく全員そろったな」
「そうだね、よかったー」
 笑顔でうなずくスミレ。
 アカネは意味が分からず、ぽかーんとした顔になる。
「え? テイルがまだよ」
 ユリとスミレは顔を見合わせ、アカネの右手を指した。
「部長」
「わひゃ!」
 変な悲鳴が出てしまうアカネ。左手で口を押さえる。
 なんとテイルはすぐ近くに居た。
 右手で握っている筒は懐中電灯だと思い込んでいたが、テイルの腕だったのだ。
 気付いて、腕を解放する。
 テイルはアカネの握っていた部分をさすり始めた。血行を戻しているのだろう。
「ご、ごめんなさい」
 アカネが謝ると、テイルは首をかしげた。
「なにがです?」
「痛かったでしょう」
 苦笑いとも取れる表情になるテイル。
「少しだけ」
 アカネはテイルに協力して、腕をなで始めた。
「ずっと引っ張り回してたのね。気付いてもいなかった」
 先ほどの出来事が蘇る。
 テイルの悲鳴。倒れた姿。
「ごめんね、テイル」
 アカネの手が止まる。
「わたし……ひとりで行かせるなんて。そんなの、部長失格だわ……」
 ぽたり、ぽたりとアカネの手の甲に水が落ちた。
 袖で目をぬぐいながら、しゃくり上げる。
 スミレとユリが小さく彼女の名前を呼ぶ。でも目を開けられない。答えられない。
 ほほに優しく、何かが当たった。
 袖を離して、目を開ける。
「部長。わたくしは部長に感謝しています」
 ほほに当てたハンカチでアカネの涙を拭き、テイルは言った。
「パニックに陥りながらも、部員であるわたくしを守ってくださいました。ずっと力強く、腕を引いて」
 アカネは思った。褒められる事なんてしていない。
 単に臆病なだけ、考えてやったわけじゃない。
 でも、それでも。
 目の前で彼女は笑ってくれる。
「ありがとう、テイル」
「それはわたくしの台詞ですが」
 不思議そうな顔のテイルに、アカネは微笑んだ。


『おおおおおおん』
 だが突然のくぐもったうめき声に、全員の身体が凍り付く。
 それは背後の壁の向こうからするようだった。
「保健室」
 ユリが震える声で頭上の表札の文字を読んだ。
『おおおお、うおおおおん』
 同じく震えているスミレが、ユリに聞く。
「ユリちゃん、保健室の七不思議って、確かあったよね」
 アカネも思い出していた。
 確か――。
「『ゾンビナースが出る』、だな。まさか。はは、は」
 笑おうとするが、うまく笑えない様子のユリ。
 どばん!
 思い切りドアが開かれた。
「ひぃ!?」
 飛び上がらんばかりに驚く探偵部員たち。
 ドアの向こうからゆっくりと顔をのぞかせたのは……。
「ぞ」
 後ずさりするアカネ。
「ぞ、ぞん」
 同じくユリとスミレ。
「ゾンビ、ですね」
 そしてテイル。
 ナースの服を着た状態で腐った死体のようなものが、おぼつかない足取りで保健室から出てきたのである。
 ずず、ずず。
 探偵部を目指して進んでくる。
「おおおおお、おおおおおおん」
 口を開き、吼えた。
 テイルがやや震える声で言う。
「提案があるのですが、発言を許可して頂けますか」
 手がじっとりと汗ばんでくるのを感じながら、アカネが答える。
「許可します」
「逃げるというのはどうでしょうか」
 もう二歩ほど後ずさりしてから、他の三人がそろって叫んだ。
「賛成!!」
 探偵部の四人は昇降口目指して走り出す。
「おおおおおお!」
 四人を追い散らすように、背後でゾンビが再び吼えた。


 四人組は校門を出て、そこでようやく足を止めた。
 両膝に手を突いて、全身で息をする。
「あ。上履きのままだ」
 ユリが片足を持ち上げて見せた。
 スミレも気付いて、昇降口を振り返った。
 まだ化け物の遠吠えが聞こえる気がして、身震いする。
「ですが、もう戻らない方が良いでしょう。あのような怪物が居るのなら危険です」
 テイルが至極もっともな事を言うので、ユリもうなずく。
「やれやれ、お気に入りの靴なんだけどな」
「とにかく」
 アカネが身体を起こす。
「学校は危ないわ。引き上げましょう」
(そんな)
 スミレは驚き、アカネの腕をつかんだ。
「で、でも。探偵部が……」
 うつむくアカネ。
「仕方ないわ。命には代えられない」
 大きくため息を吐く。
「まさか、夜の学校があんなチミモウリョウひしめく魔界と化しているなんてね。わたし全然知らなかったわ」
 スミレの手が力を失い、アカネの腕から離れた。
「そう、だね。仕方ないよね」
「ええ」
 沈黙が降りた。
 全員の意見を代表して、テイルが再び口を開く。
「それでは、解散しましょう。残念ですが」
 アカネはしばらく何かを考えていたが、決意した様子で顔を上げた。
「そうね。ではここで解散とします」
 ユリがまっすぐアカネの目を見て聞く。
「いいんだな。本当に」
 うなずくアカネ。
「いいのよ。探偵部が無くなっても、わたしたちは友達だもの」
 哀しげな目をした部長の背中を、ユリは軽く叩いた。
「ああ」
 スミレはとても寂しいと思った。
(終わっちゃうんだ。探偵部)
 笑顔を作って、アカネに言う。
「わたし、とっても楽しか……」
 だが、そこで口を閉じた。
 驚きに目を見張る。
 なぜなら。
 怪訝な顔をしているアカネの向こうから、二人目のテイルが歩いてきたからである。


 テイルはようやく校門の近くまでたどり着いた。
 あまり学校周辺の地理に詳しくないため、思ったより時間がかかってしまった。
 端末に「今日は中止」というメッセージが入っていたのだが、なんとなく気になって来てしまったのだ。
 門の前には街灯に照らされたアカネとユリ、そしてスミレも立っていた。影が足下に伸びている。
 どういうわけか、自分は呼ばれなかったらしい。
 スミレが自分を凝視しているのも気まずいからか。
 さすがに文句を言いたくなって、口を開きかける。
 ……おや?
 凝視するスミレの向こうの地面に、なにやらもう一本の影がある。
 アカネと話が出来る距離まで近付くと、影の主がスミレの影から現われた。
 自分自身である。
 テイルは立ち止まる。
 一瞬、そこに鏡があるのかと思う。
 だが、あちらのテイルがこちらのテイルを見た。
 目が合った。
 十メートルも離れていない場所に、もうひとりの自分が立っている。
 あまりに論理に反する光景で、テイルの全身の毛が逆立った。
 探偵部員たちが本格的にあわて始める。
 きょろきょろと、テイル自身ともうひとりのテイルを見比べる。
「おや? これはどうしたことでしょうか」
 向こう側のテイルが腰の後ろで腕を組み、驚いた顔でこちら側のテイルを見つめる。
「全く論理に反していますね」
 こちら側のテイルは声も上げられない。
 相手は声までうり二つだ。いったいどうなっているのか。
「可能性の高い仮説があります。部長」
 向こう側のテイルが、アカネに声をかける。
 ぽかーんとしていた部長は我に帰り、ようやく返事をした。
「な、なにかしら」
「おそらく、あちらの『テイル』はルパンの変装ではないでしょうか」
「ルパンー!?」
 目をむいて驚くアカネと、そして部員たち。
 向こう側のテイルが続ける。
「これは推測ですが、何らかの意図を持って探偵部をかく乱するため、変装して潜り込もうとしたのでは」
 探偵部員の疑いの目がこちら側のテイルに向く。
「ち、違います!」
 こちら側のテイルは思わず声を荒げ、あちら側を指差した。
「偽者はあなたです!」
 探偵部員の視線があちら側のテイルへ移る。
「いいえ、偽者はあなたです」
 冷静に返答する、あちら側のテイル。
 部員の視線がこちら側に戻る。
「いえ、あなたが偽者です」
 視線があちら側へ向く。
「いえいえ、論理的に言ってあなたが偽者の可能性が高い」
 視線がこちら側へ。
「いいえ、そう断定するのはむしろ非論理的かと思われますが」
 視線があちら側へ。
「いえいえ……」
「いいえ……」
「いえいえ……」
 言葉のキャッチボールと共に、まるでテニスの試合を観るように探偵部員の視線が頭ごと右へ左へと動く。
「ぷふっ」
 だが、ついに試合の終わる時が来た。
 向こう側のテイルが噴き出してしまったのだ。
「むひひ。むひひひひ」
 口角を上げて笑う。
 こちら側のテイルは思った。自分自身が自分でも見た事の無い表情をすると、こうまで違和感があるものなのか。
「あーあ。やめやめ」
 頭の上で手を組み、向こう側のテイルが言った。
「あとちょっとで、うまくいくところだったのになあ。なーんで来ちゃったのよ、テイルちゃんさあ」
 テイルらしからぬ表情と仕草に、探偵部員たちもこちらが偽物と気付いたようだ。
「あ、あなたは誰!?」
 アカネが指を突き立てる。
 むひひひ、と笑う偽テイル。
「僕はね、君のよーく知ってる人さ」
 ゆらり。
 偽テイルの姿が蜃気楼のように揺らぐ。
 頭上の空気が結晶化し、大きな赤いシルクハットになって頭に落ちる――そして背中に手を回してどこからか赤いマントを引っ張りだし、大きくひるがえしながら回転する――マントが落ちると、もはやそこに居たのはテイルではなかった。
 真っ赤なタキシードを着た少年。
「ルパン七世!!」
 探偵部員たちは、声をそろえて叫んでいた。


 同時刻。トーキョーポリスの路地、居酒屋の裏。
「まあだ見つからんのか!!」
 ゴミ箱のふたを地面に叩きつけ、銭形が叫んだ。
 そんな様子にも慣れた様子の若い女性エリート刑事が、ふたを落ち着いて元に戻す。
「やはり二人では無理ですよ。というか、いつの間にか二人同時に一カ所を探しちゃってますし」
「もう明日だぞ! そろそろ日をまたいじまうんだぞ!」
 今にも刑事につかみかからんばかりの銭形だが、刑事も負けてはいない。
 逆に銭形の胸元に指を突きつけた。
「わたしに当たらないでください! だいたい警部なんて、猫の知識ゼロじゃないですか! いったいどうやって探すつもりだったんですか!?」
 痛い所を突かれた、という表情で銭形が押し黙る。
「いちおう猫の本は読んだんだがな。だがちと付け焼き刃だったようだ」
 しょぼんとしてしまった銭形の様子を見て、刑事の胸が少しだけ痛んだ。
「……作戦を練り直しましょう。やみくもに探しても効率が悪いだけです」
「うむ」
 重ーいため息を吐く銭形。
「せめて猫がどのあたりを縄張りにしてるとか、そういう事がわかればな……」
 腕を組んで考え込む。
 刑事もつられて、腕を組んで目を閉じた。
 居酒屋の裏で腕を組んで黙っている男女を見て数名の酔っ払いが不審がったが、すぐに自分の仲間との会話に戻っていった。
「あっ」
 刑事が突然、小さな叫び声を上げた。
「どうした」
「警部、オリオンはどこから逃げたんでしたっけ?」
「もちろん学校だ。それが何か」
「確か、猫は逃げた場所の周囲に縄張りを作る事が多いって聞いたような気がします」
 銭形が目をむいた。
 そして、何やら拳を振るわせながら口を開いた。
「は、は、はー」
 クシャミかな? と思った刑事がポケットティッシュを用意しかけたとき、
「早く言わんかあ!!」
 雷が落ちた。身をすくめる刑事。
「だ、だって。いま思い出したんですもの」
「それだったら学校の周りを探せば済む話だ! 早くしろ、行くぞ!」
 駆け出す銭形。
 それを追いかけながら、刑事は銭形に言った。
「でも警部だって知らなかったじゃないですか」
「……」
「無視しないでください!」


 街灯を背負い、影の中で少年は笑う。
「これはこれは可憐なる探偵の皆さま。お目にかかれて光栄でございます」
 シルクハットを右手で取ると左肩に添え、大きくお辞儀をして見せた。
 まるで舞台のカーテンコールに応える役者のようだ。
「わたくしはルパン七世。以後どうぞお見知りおきを」
 姿勢を正し、元通りハットをかぶる。
 アカネはぼんやりと麻痺した心で考えていた。
 この男がルパン――ニュースで見たことある――あのルパン七世。帽子を取ったとき顔が見えなかったのは残念ね――誰も見たことのない素顔。でもテイルに変装していたのはなぜなのかしら――。
 テイルに変装?
 そうだ。思い出したわ。
「ふざけないで」
 言葉を失う探偵部員たちを押しのけて、アカネが一歩前へ出た。
「ほう? どういう意味かな」
 顔の見えない暗がりでも、その声で笑みを浮かべているのがわかる。
「あなた、ずっとウチの部員になりすましていたのね!」
「うん。今日の夜からね」
「なぜ」
 肩をすくめるルパン。
「そりゃ、このままだと目立つしー」
「このっ……!」
 気がつけば、アカネはルパンにつかみかかっていた。
 だが、ひらりとルパンは避ける。
 軽々と跳躍し、学校のフェンスの上にしゃがみ込んだ。
 行き場を失った両手をきつく握りしめるアカネ。
 ユリが横に並び、冷静に言い放った。
「お前が学校を化け物だらけにしたんだな」
「そう。苦労したんだよ、あれ用意するの」
 事も無げに答えるルパン。
 スミレもその向こうに並ぶ。珍しく、声に怒気が含まれる。
「なんでそんな事をしたんですか」
 少しだけ考えてから、ルパンが言う。
「実は君たち、ちょっと邪魔だったんだ。だから帰ってもらおうと思ったんだけどね」
 ほほをかく。
「計算外だったよ、そこのおちびちゃんが来ちゃうとは」
 テイルがスミレのさらに向こうに立ち、無言の敵意を込めてルパンを見た。
「おお、怖いこわい」
 シルクハットの下では、おそらく苦笑いなのだろう。
 アカネの心には、今日の夜の出来事が次々と浮かんで消えていく。猫探しにお化けに、テイルの腕を引いていたこと。
 胸のあたりをつかむ。悔しい。
「全部、嘘だったのね」
 ルパンを見る。
「テイルが……あなたがわたしに『感謝してる』って、言ってくれたのも」
 シルクハットのふちを下げてから、さりげない口調でルパンが言った。
「感動的だったろ」
 フェンスに向かおうとするアカネの肩に、誰かが手を置いた。
 ユリだ。
 自分に任せろ、と目で合図し、ルパンに向けて叫ぶ。
「何が目的なんだ。お前は」
 立ち上がるルパン。
「推測してみたまえ」
「猫か」
「そうだ。おっと」
 口に手を当てて見せる。
「しゃべりすぎた。これは時間を無駄にしてはいられないな。では!」
 フェンスから飛び降りて、校内へと姿を消した。


 スミレからこれまでのいきさつを説明されたテイルは、義憤を募らせた。
 なんてことだ。自分の姿が利用されるとは。信頼につけ込むとは。卑劣なやり口だ。
 怒りに駆られ、アカネのもとへ走って行く。
 アカネはルパンの消えたフェンスのあたりをぼんやりと見つめている。
 なんだか元気が無いようだ。
 だがテイルはおかまいなしに、その背中に言葉をぶつけた。
「許せません」
 驚いた顔でアカネが振り返った。
 この様子だと聞いていなかったかもしれないので、もう一度言う。
「許せません」
 目をぱちくりさせるアカネ。
「事もあろうに、わたくしを装って部長をたぶらかすなどとは」
 アカネの片腕を引き寄せて、両手でしっかりとつかむ。
「断固抗議しましょう」
 心臓が燃えるように熱い。ほほもほてっている。
 しかしアカネにはこの思いが届いているのかいないのか、きょとんとしたまま何も言わない。
 相手の顔を見上げた姿勢で待つこと数秒。
 思わぬ事が起きた。
 アカネが微笑んだのである。
「部長?」
 呆気にとられたまま、頭をなでられる。
「ありがとう、テイル」
 なぜ感謝されたのかはわからないが、とにかくうなずいておいた。
 テイルが手を離すと、アカネは腰に両手を当てた。
 いつもの強気な声で宣言する。
「そうだわ。許してはおけないわ」
 ユリとスミレが近くに寄ってきた。
「部長として宣言します。わたしたちをもてあそんだ、にっくきルパン七世を」
 胸の前に握り拳をつくる。
「わたしたちの手で捕まえるのよ!」
 いつもならここでユリかスミレが文句を付けるところだろう。
 だが今回は二人とも、同じように握り拳をつくって答えた。
「ああ!」
「やろう!」
 もちろんテイルも一緒である。
「やりましょう!」
 満足そうに笑ったアカネは、拳を開いて前に差し出した。
 ユリがその上に片手を重ねる。
 スミレも二人の上に手を載せた。
 最後はテイルの小さな手のひら。
 アカネが全員と視線を交わしてから、口を開く。
「それじゃ、いくわよ。せーの」
 部員全員で叫ぶ。
「たんていぶー! おー!」
 重ねていた片手を、空へ振り上げる。
 その向こうにはいつの間にか、黒い雨雲が群れ始めているようだった。


「おい運ちゃん、こっちじゃないんじゃないのか」
 タクシーの助手席に座った銭形が、ふと眉根を寄せた。
 運転手がフロントガラスに映った地図を確認してから言う。
「え? だって都立東高でしょ? こっちですよ」
 銭形は両目をまん丸に開いて黙ってしまった。
 しかし一瞬の後には我を取り戻して、運転手の肩をつかんで揺さぶっていた。
「違う『トーキョーポリス東高』だ! これじゃ反対方向に走っとるぞ!」
「ああ危ない、危ないよお客さん!」
 後部座席では、女性刑事がおでこに手を当ててうなだれていた。


 端末を片手に、暗い廊下を駆けるアカネ。
 周囲に油断なく目を配りながら、口に持ってきた端末に声を吹き込む。
「みんな聞こえる?」

「ああ」
 ユリは校庭のサッカーコートを見回しながら言った。

「聞こえるよ!」
 スミレは食堂の床にかがみこんで、机の下を懐中電灯で照らしている。

「感度良好です」
 テイルは敷地の隅の駐輪場を目指して走っていた。

「オッケー。全員頑張って探して。わたしも……」
 アカネが突然立ち止まる。
 上履きの底が鋭くきゅっ、と鳴った。
 向こうから誰かがやってくる。
 廊下の闇に赤黒い染みが広がるように、シルエットが大きくなる。
「ルパン」
 アカネのつぶやきが届いたらしく、端末からユリの声が聞こえた。
『どうした?』
 視線はルパンから外さず、アカネは端末を口に寄せた。
「いいえ、なんでもないわ。通信終了」
 端末を下ろすと、ルパンが笑っているのがわかる。
「なぜ笑うの」
「僕をお探しかな、と思って」
「ええ」
 ルパンに向けて、廊下を駆け出す。
「ここで会ったが百年目! 覚悟しなさい!」
 捕まえようと腕を伸ばすが、ルパンは軽々とアカネの頭上を飛び、避けた。
 アカネの背後に音も無く着地すると、マントが液体のなめらかさで周りに広がる。
 もう一度、アカネは仕掛けた。
 しかしまた、ルパンは避ける。触れることすら出来ず、まるで影を相手にしているよう。
 もう一度、もう一度。
 五分もしないうちに、ひざに手を突いて息を切らせるアカネ。
「もう……勘弁しないからね」
「やれやれ」
 ルパンは肩をすくめて言った。
「もうちょっと頑張ってくれると思ってたのになあ」
「言ってなさい!」
 またも突進するアカネ。
 ふわりと跳んだルパンは、廊下の窓枠に飛び乗った。
「アディオス」
 ルパンは窓から飛び、姿を消した。


 ユリは引き続きサッカーコートを探していた。
「おーい、オリオーン」
 コートを懐中電灯でざっと照らした後、コートの端のフェンスに向かう。
 フェンスの切れ目から裏に入り、草むらを入念に照らす。
「お?」
 懐中電灯の光を反射するものがあった。半ば草に埋もれているようだ。
 そちらへ駆け寄るユリ。
 が。
「なんだ、ボールかよ」
 肩を落とすユリ。サッカーボールであった。おそらく、サッカー部が練習中になくしてしまったのだろう。
 コートの方で物音がした。
 なんとなくボールを持って、フェンスの切れ目からコートに戻る。
 薄暗いコートの真ん中に人影があった。
 ルパンだ。
「やあ」
 気安く手を振ってくるルパン。
「この野郎……!」
 ユリは拳を握った。
 挑発するようにルパンは微笑む。
「すごんだりして、君らしくないな。さっきは冷静そのものだったのに」
「言っとくけどな」
 ルパンをにらみつけたまま、ユリはボールを自分の胸の前で持った。
「あたしは誰より」
 手を離す。ボールは足下へ落ちていく。
「怒ってんだよ!!」
 右脚を振り、ボールを弾丸のように蹴り飛ばした。
 ボールは正確そのものの弾道で、ルパンを狙って飛翔する。
 ルパンはギリギリ寸前でボールを避けた。口笛を吹く。
「あっぶないなあ。女子とは思えないシュートだねえ」
「そこで待ってろよ。今度はお前を直接蹴り飛ばしてやる」
 降参、とばかりにルパンが両手を挙げて見せる。
「おーっとっと。退散しましょう」
 言うが早いか跳躍し、闇に溶けるように消え去った。


 自転車の停められていない駐輪場。
 前輪を固定するラックや雨を防ぐ透明プラスチックの屋根に、きらきらと反射する色とりどりの光。
 光の源であるセンサーを持って、テイルが小走りに駐輪場を捜査していく。
「こーんばんは」
 突然、背後から声がした。
 振り向いたテイルの眼前に、薄暗いルパンの顔がある。
 吐息がかかりそうなほど近い。
「僕が怖いかい?」
「なぜです?」
 テイルはあくまでも落ち着いた声色だ。
 だがルパンに人差し指を向けられると、身体がびくりと反応する。
「その尻尾。さっきから毛が逆立ってるよ」
「……なるほど」
 自分の尻尾を手で押して、見えないように背中の後ろへ隠す。
 くつくつとルパンが声を殺して笑う。
 いくぶん怒った様子で、テイルがルパンに言った。
「あなたの目的がわかりません」
「猫を盗むこと」
「なぜ盗むのです? どんな価値があるというのですか」
「さあね。実のところ、僕にもよくわかってなくてねえ」
 眉をひそめるテイル。
 やはりルパンの顔は陰に覆われていて、表情が読めない。
「あなたは非論理的な行動を好むようですね」
「人間なんてそんなものさ。もちろん、アクト人の君も含めての話だが」
「確かに」
 そう言うなり、唐突にテイルは手を突き出した。
 ルパンは驚いた様子だが、攻撃を紙一重で避ける。
「へえ。君も怒ってるんだねえ」
「ええ。だいぶ!」
 テイルが突進する……が、
「あたっ」
 こけてしまった。
「あらら。大丈夫?」
「うう。平気、です」
 顔を上げたときには、もうルパンは消えていた。


 暗闇の支配する食堂を、おっかなびっくり探しているのはスミレだ。
 及び腰のまま、あちこちに懐中電灯を向けて歩く。
「オリオンちゃーん。オリオンちゃんやーい」
 突然、背後から声をかけられた。
「やあ」
「わあ!?」
 驚いてそちらへ懐中電灯を向ける。
「お、おっす」
 ルパンがいくぶん驚いた様子で片手を挙げていた。
 顔は深くかぶったシルクハットのせいでよく見えない。
 電灯を持っていない方の手で服の胸元を握りしめながら、スミレはゆっくりと一、二歩退いた。
「あー、驚かせてごめん。その、順調かな? 猫探し」
 なぜか気遣わしげな口調に、スミレの緊張が少し緩む。
「ルパンさんこそ……」
「『ルパン』でいいよ」
「ルパン、こそ、こんな所で油売ってていいんですか」
「いいのさ。時間はたっぷりある」
「そうですか」
 お互いに黙ってしまい、気まずい沈黙が降りた。
「えーと、えー」
 スミレが何かを言おうとしている。
「なんだい?」
 先を促すルパン。
「えー……か、覚悟ー!」
 スミレがルパンに向けて走り出す。
 が、遅い。
 しかも距離があるので、ルパンは避けるというかただ道を譲るだけで良かった。
 息を切らせるスミレ。
「や、やりますね」
「……何もしてないけどね」
 ふう、と大きくため息。
「僕はもう行くよ。それじゃね」
 軽く手を振り、食堂の出口へ走り出す。
「あ、待って!」
 スミレが出口に追いついた頃には、もうルパンはどこにも居なかった。


 一方その頃、部室棟。
 並ぶドアの前で対峙する、アカネとルパン。
「あなた、今スミレと会ってなかった?」
「さてね」
「まあいいわ……今度こそ覚悟ー!」

 調理室。
 ユリはテーブルからテーブルへ飛び、ルパンを追い回している。
「素早いヤツ!」
 俊敏だがどこかぎこちないユリの動きに比べて、ルパンは優美で、まるで質量を感じさせない。
「待て! このッ!」

 図書室。
「追い詰めました。抵抗は無意味です」
 部屋の隅で、本棚の裏をのぞきながら言うテイル。
 だがそこにルパンは居ない。
「そんな」
 テイルはあわてて周囲を確かめるが、やはり居ないようだ。

 情報演習室。
 机の間をぱたぱたと駆けるスミレ。
「あれ? あれれ?」
 他には誰も居ない。
「いったいどこに……」
「お呼びかな」
 廊下の方からルパンの声がした。
「わっ! ま、待てー」
 スミレはそちらへ走り出す。


 その後も学校中で、探偵部員はルパンに遭遇した。
「覚悟ー!」
 美術室でも。警備室でも。
「この野郎ッ!」
 化学室でも。倉庫でも。
「待ちなさ……あたっ」
 さらには、ただ廊下を歩いているだけでもルパンは現われた。
「あれ、居ない? あれー?」
 まるで複数存在しているかのように、あちらからこちらへと、瞬時に移動できるようなのだ。


 アカネが校庭の隅に立ち、探偵部員を集めて言った。
「みんな、ルパンに会った?」
 ユリが頭をかきながら答える。
「ああ。そこら中で会う。しかも全部逃がしちまった」
 スミレが肩を落とす。
「わたしも捕まえられなかったよ」
 テイルも少し耳がへたっている。
「わたくしも全く同様です」
 重々しくうなずくアカネ。
「そう。わたしもよ」
 周囲を見回し、誰も聞いていないことを確かめる。
 そして、意味深な笑みを浮かべる。
 同じく笑顔になる三人。
「じゃあ、どこで会ったのか教えてちょうだい」
 手短に報告が上がっていく。
 答えを確認したアカネは、すぐそばにそびえ立つ建物を見上げた。
「やっぱり、ここね」


「くそう、ここはどこだ?」
 汚れた路地で、銭形はひたいの汗を拭いた。
 目の前には十数人の男が山になって倒れている。
「まったく、チンピラには絡まれちまうし……ついとらんわ」
 バケツの陰から女性刑事が顔を出す。
「お、終わりました?」
「ああ。道は別のヤツに聞くしかないだろうな」
 だが銭形の背後で、倒れていたチンピラのひとりが起き上がる。
 ナイフを構え、銭形に突進してきた。
 叫ぶ刑事。
「危ない!」
「むう!?」
 素早く振り向いた銭形は、右の拳を固めてチンピラの顔面を強打する。
 弱ったところに、左のフック。
 そして再び、右のアッパーカットが炸裂した。
「ぐわああああ!」
 チンピラはきりもみ回転しながら吹っ飛び、地面に伸びてしまう。
 手の汚れを払う銭形。
「これぞ必殺、『公務執行三連突き』だ。参ったか」
 バケツの陰から刑事が出てきた。チンピラの山を見る。
「……なんかもう、デタラメですね」
 半ば呆れたように言う。
「ふん。こんなんでやられちまうようじゃ、ルパンの捜査なんか出来ん。おっと」
 銭形が突然走り出した。
「こんな事しとる場合じゃないわい、ルパーン! 待っとれー!」
「ど、どこに行くつもりですか!」
 慌てて刑事も後を追う。


 暗闇を突き抜けるような大声で、アカネが叫んだ。
「ルパン! どこなの!?」
 かなり大きな場所らしく、がらんどうの空間に声が反響する。
「ここに居るのはわかってるのよ! 観念して出てきなさい!!」
 突如、光があふれた。暗闇が反転して真っ白な世界が現われたようだ。
 そこは体育館だった。天井のライトが煌々と灯る。
 細めていた両目を徐々に開いていく探偵部員たち。
「よくわかったね」
 声は空中から聞こえた。
 見上げると、引き上げられたバスケットボールのゴールがある。空中にステージが出来ている格好だ。
 ごつん……ごつん……。
 ゴールの板の上を歩く音が響く。
 赤いシルクハットとタキシードの少年が、板のふちから姿を現した。
 その腕には、もがく黒猫の姿も見える。首輪の宝石がきらりと光った。
「オリオンちゃん」
 スミレがつぶやいた。
「やあやあ、賢明なる女子高生探偵の皆さま。ご機嫌いかがかな」
 大げさな身振りでお辞儀をするルパン。
「猫を放しなさい!」
 アカネがルパンに向けて吼える。
 だがルパンは片手を挙げ、相手を柔らかく制した。
「その前に教えてもらいたいな。どうしてここが分かった? まさかカンだとか言うのではあるまい」
「ええ。もちろんカンじゃないわよ」
 片手を前に伸ばした。
「まず、これを返すわ」
 握っていたコインのような物体を、じゃらじゃらと床に落とす。
 他の三人の部員もそれに従った。物体の真ん中には穴が開いており、宝石のようなものがはまっている。なんらかの装置のようだ。
 興味津々と言った様子で身を乗り出すルパン。
 アカネが再び口を開く。
「ホロチップ。このチャチな機械で、ホログラムを投影してたのね。あなたの偽者を」
「その通り」
 ルパンはあっさり認めた。
「ちなみに七不思議の演出にも使わせてもらったよ」
「でしょうね。学校中にバラまいてあったもの。どうりであなたはどこにでも出現できるわけだわ……ここに居る本物以外は、全員ホログラムだったわけね」
 くつくつ、とルパンが押し殺した笑いを漏らす。
「君たちは案外出来る子だったんだな。続けたまえ」
 一歩進み出るアカネ。
「あなたは必要以上に、わたしたちにちょっかいをかけていたわね。ずいぶん長い時間をかけて怪談ごっこをしてたし、変装を解いてもすぐには逃げなかった。もう予告の時間になりそうで、あなたも急いで猫を探しているはずなのに」
 ユリが隣に並ぶ。
「そこで確信したんだ。お前はもう猫の居場所の見当をつけていて、そこだけを探すつもりなんだって。その場所がどこか悟られないように、あたしたちを追い払ったり足止めしてるんだって」
 スミレが言葉を引き取った。
「だったら、後は簡単です。わたしたちはあなたの『居ない』場所を確定していきました。つまり、偽者のあなたが足止めに出現『してもいい』場所です」
 テイルが尻尾をひと振りして言う。
「最後に残ったのが、ここでした。ここは偽者が足止め『したくない』場所。ならば本物と、そしてオリオンはここに居るのが自然でしょう」
 ちょっと肩をすくめる。
「もちろん、あなたがずっと一カ所に留まっていれば、ですが」
 黙り込んでいたルパンだったが、ふいに笑い出した。
「あははは! 素晴らしい」
 オリオンが自由を勝ち取ろうと、また腕の中で暴れる。そちらを見やってから言葉を継いだ。
「この子を抱いてなければ拍手してたね」
 アカネがルパンに指を立てる。
「神妙にしなさい。もう光の手品は終わりよ!」
 続けてセンサーを持ったテイルが、静かに宣告した。
「近くにホログラム装置の反応はありません……あなたが『着ている』以外は」
 ぽりぽりとほほをかくルパン。
「うーん、困ったな。もうホログラムを使っても見破られちゃうんだろうし」
 ふいに横を向き、体育館の窓から外を見た。
「でも、もっと原始的なやつなら」
 ルパンが腰の後ろに手を回すのと、アカネが声を上げるのは同時だった。
 そして、体育館の照明が落ちるのも。
 暗闇に包まれた空間に、雷光がきらめいた。
 やや遅れて、炸裂音が響く。近くに雷が落ちたらしい。
 歯がみするアカネ。
 次の雷光に照らされたゴールの上には、もはや誰も立っていなかったのだ。
「そ、外! 窓から出たんだよ!」
 スミレの声に従って、探偵部員は校庭へ向けて走り出した。


 空にはふたをするように、重く雨雲がのしかかっていた。
 断続的にまばゆい閃光がきらめき、轟音が鳴り響いて大地を揺らす。
「はっはっはっはっはっ……!」
 雷雨に混じって振ってくる、少年の高笑い。
「いったいどこを見ているのかな? 諸君」
 少女たちは打ちつける雨に目を細めながらも、顔を仰向けて声の主を探る。
「ここだ」
 近くに落ちた雷が、体育館の屋根に立つ人影を鮮明に照らし出した。
 大きなシルクハット、タキシード、そしてマント。
 その時代を二百年もはき違えたような格好は、間違えようもない。
「ルパン!!」
 びりびり震える空気の中、少女たちは我知らずに叫んでいた。
「やあどうも。奇遇ですな」
 右手を親しげに振る。左手に抱えた生き物が、自由を求めてもがいた。
「もう逃げられないわよ。観念しなさい!」
 アカネがルパンに指を突き立てて叫ぶ。
 だがルパンは薄ら笑いを浮かべるばかりだ。
 おや。
 見間違いだろうか。
 ルパンが宙に浮いた。ふわりと、まるでもともと重力には詳しくないとでも言うように。
 目を疑う探偵部員たち。
「ま、またホログラム……?」
 アカネが言うと、テイルが明確に否定する。
「いえ、あれには実体があります」
 その間にもルパンはするする上昇し、地面から十五メートルは離れているであろう空中を漂う。
 また雷が一撃し、辺り一面を銀色に染めた。
「あっ」
 誰からともなく、声を出していた。
 黒雲に、雲よりもなお黒い穴が開いている。それは正確にルパンの真上にあり、ルパンが浮かべば同じだけ上昇する。
「気球!?」
 黒い気球であった。
 怪盗の格好と同じく、なんと使い古されたトリックだろう。
 だが、気球を捕まえるために空を飛ぶ手段は探偵部には無い。
 ルパンの勝ち誇った声が高い場所から届く。
「会ったばかりで申し訳ない! ちょっと失礼させて頂くよ」
「待てえ!」
「待ちなさい!」
「どど、どうしようどうしよう」
 部員たちを校庭へ置き去りにして、ルパンは地面と黒雲の間を軽やかに滑っていく。
「あっはっはっは……わーっはっはっはっ……」
 頭上から落ちてくる哄笑に、歯ぎしりするアカネたち。
 こつん。
 だが、アカネの足に何かがぶつかった。
 サッカーボールだ。さっき使ったものが残っていたらしい。
 ユリの背中をつつく。
「これ」
 ルパンを指差す。まだ顔が判別出来るくらいの近くに居る。
 それに、その上の気球はかなり大きい。
「ああ。そうか」
 アカネの意思を察したユリがボールを両手で持ち、ルパンを見上げて狙いを定める。
 落としたボールを、思い切り蹴り上げた。
 気球にぶつかる。
「わーっはっはっうわ!?」
 突然の揺れに驚いたルパンが、まるで少女のような甲高い悲鳴を上げた。
 落ちてきたボールをテイルが素早く回収し、ユリに投げた。
 また蹴り上げる。
 気球が揺れる。
 今度はスミレが回収する。蹴り上げる。
 気球が揺れる。
 あわてたルパンが猫を持っていない方の手を振って、制止しようとする。
「ま、待て! 待ちなさい! こんな事をしてもなんの得も……」
「いいえ、あるわ」
 ボールを持ったアカネが、確信に満ちた声で答える。
「その気球、折りたたんで持ち運んでいたんでしょう? なら布地は相当薄いはずよね」
 にやりと笑って見せると、ルパンが黙り込んだ。
「辛うじてガスを保っていられるくらいの強度しか無いはずよ。ユリ!」
「あいよっ」
 ユリに回収したボールを渡し、それは即座に気球へ撃ち込まれた。
 ぶしゅうっ!
 ボールのぶつかった所から何かが漏れる音。
「うわ、うわわわ」
 わたわたと(猫を持っていない方の)腕を振るルパンと共に気球はふらふらと宙を舞い、校庭の木に引っかかって止まった。


 すっかりしぼんでしまった気球が、校庭の木に傘をするように乗っかっている。
 降りしきる雨が枝を伝って地面へ滝のように注ぐ。
「御用だー!」
 叫びながら走り寄るアカネ。
「御用御用ー!」
 他の三人も同様。
 彼女らの目の前で木の枝ががさがさと揺れ、
「わっ。わっ。あたっ!」
 小さな悲鳴と共に誰かが落下した。
 ようやく木の根元に到達した探偵部員は、目を見張ったまま声を失ってしまった。
 そこでお尻を押さえて痛がっているのは……。
「奈々ちゃんだ」
 スミレが驚いて口に手を当てた。
 頭や顔を触って、慌てた様子の有瀬奈々。スミレのクラスメートである。
 もう片方の腕で抱いた猫が、不安そうにみゃお、と鳴いた。
 気球の乗っかっている辺りを見上げていたユリが、頭をかいて言う。
「どういうことだ? ルパンは居ないぞ」
 アカネが奈々を見つめながら、あごに手をやった。
「うーん。ルパンが消えて、そこに有瀬さんが現われた」
 かがんで、さらに奈々の顔をじいっと見つめる。
「ということは……」
 他の三人も、奈々に視線を送る。
「まあ、答えは決まってるわな」
 とユリ。
「そうだね。残念だけど」
 とスミレ。
「論理的に考えて、答えはひとつしかありません」
 とテイル。
 探偵部に包囲された奈々は、指ひとつ動かせない様子だ。
 顔面蒼白のまま、麻痺したような身体を雨粒が滑り落ちていく。
 重苦しい沈黙を破って、ついにアカネが口を開いた。
「有瀬さんがルパンを退治して、猫を取り戻したのよ!」
 時間が止まったようだった。
「……あい?」
 ほほをひきつらせ、間抜けな返事をする奈々。
 花が開くように探偵部の面々が笑顔になる。
「奈々ちゃんすごーい!」
 スミレが奈々に駆け寄り、その頭をしっかりと抱きしめた。
「ルパンを逃がしたのは残念だけどな」
 奈々から猫を受け取るユリ。
「でも、この子が無事で良かった」
 猫の頭をなでるアカネ。
「素晴らしい働きです」
 目を輝かせて、奈々の手をとるテイル。
「あなたも同じ目的で動いていたのですね」
「同じ目的?」
 すっかり呆気にとられた奈々は、オウム返しに聞いた。
「もう、ルパン逮捕よ決まってるじゃない!」
 アカネがばしばしと奈々の肩を叩く。
 ようやく状況を理解し始めたようで、奈々が苦笑いで言った。
「あ、ああ。そう、うん。秘密にしてたんだけどね、あはは」
「よおし!」
 胸の前でげんこつを作り、アカネが叫んだ。
「有瀬さんを胴上げよ!!」
 わーっしょい。わーっしょい。
 困惑しきった表情で、奈々はなすがままに宙を舞った。


「ルパーン御用だー!」
 突然、ガラガラの叫び声が飛んできた。
 太陽系刑事警察機構所属、ルパン七世選任捜査官の銭形警部である。
「御用御用ー!」
 そして、若い女性エリート刑事。
 胴上げを中断したアカネに銭形が詰め寄る。
「おい君、ルパンを見なかったか」
 両肩を持ってがくがく揺さぶられながら、アカネが答える。
「さっきまでここに居たんですが……」
「なにい!?」
 アカネを解放し、どこかへ走ろうとする銭形。
「もう逃げてしまいました。どっちへ行ったかもわかりません」
「そうか」
 走るのをやめ、肩を落とす銭形。
 その足下に猫を抱いたテイルが進み出て、言った。
「ですが、オリオンは無事です」
「おお」
 驚いた銭形は警察手帳を開き、ホログラムの猫を呼び出す。
「確かにこの猫だ。オリオンだ。首輪も無事か」
 手帳を閉じる。
「ご協力感謝する。しかしどうやって……」
「この子がルパンから取り返してくれたんです!」
 アカネが奈々を引っ張ってくる。
 踏ん張ったかかとが、地面に二本の線をえぐる。
 突き飛ばされるようにして、奈々は銭形の前に出された。
「そうか、君が。まだ小さいのにお手柄だな、えらいえらい」
 奈々の頭をなでる銭形。
「あは、あははは。どういたしましてー」
 ほほを引きつらせて笑う奈々。
 が、銭形が突然何かに気付き、手を引っ込める。
「んん? あっ! またお前か!」
 上半身ごと左右にひねって、周囲に人影が無いか確かめ始めた。
「どこだ! あとの二人は!」
 奈々がおでこを押さえながら言う。
「今日はあたしだけです」
 刑事が銭形に聞いた。
「お知り合いなんですか?」
「まあな。最近しょっちゅう出くわすんだ。確か探偵事務所で働いてるんだっけかな」
 あわてた奈々が口に人差し指を当てるが、銭形は気付く様子も無い。
「まったく、ルパンの情報を得たら警察に通報しろと口を酸っぱくして言っとるだろう。今度通報の義務を怠ってみろ、さすがのわしも……」
「探偵!?」
 銭形の言葉は、探偵部全員が突然叫んだために中断された。
 なぜかその横で、奈々が頭を抱える。
 駆け寄ってくるアカネたちから逃れようとするも、回り込まれてしまった。
「あなた、探偵なの?」
 両目を輝かせたアカネに詰め寄られ、しどろもどろで答える。
「いや、バイトだよバイト。ちょっと時給が良かったからさ、試しにやってみてるだけで、全然探偵とかそういう知識とかそんなのは無いし」
「すごーい! 奈々ちゃん探偵なんだ!」
 アカネと同じく、無邪気に瞳を輝かせるスミレ。
 言葉に詰まる奈々。
「通りでルパンも退治できるわけだ」
 頼もしそうにうなずくユリ。
 上目遣いに尊敬の視線を送るテイル。
 奈々は目を逸らす。
 成り行きを見守っていた刑事が、なにげなく言った。
「ふーん。じゃあみんな、この子にいろいろ教えてもらったらいいんじゃない?」
 おおー、と探偵部の面々から感心の息が漏れる。
 泣きそうな表情で刑事をにらみつける奈々。刑事はきょとんとしている。
 奈々の目の前で、探偵部が横一列に並んだ。
「探偵部に入部してください!」
 全員が頭を下げる。
 いつの間にか雨は止んでいた。
 うろたえる奈々の頭上で、雲間から星空が見え始めていた。


 週末。
 喫茶店に入った奈々は、パフェをぱくついている。
「それで、探偵部に入部することになったんですね」
 向かいでコーヒーを飲む三船が言うと、
「そうです。断れませんでした」
 肩を落とした。
「あたし……これからルパン逮捕に邁進(まいしん)いたします」
 くつくつ、と笑いを漏らす三船。
「まあとにかく、今回はお疲れさまでした」
 頭を下げる。
「いえいえ」
 奈々もそれに習った。
「でも先生。なんで首輪なんですか?」
 テーブルに載っているのは、黒猫のオリオンが付けていた首輪だ。
「この宝石ですよ」
 三船が首輪を取り上げ、真ん中の宝石を指差した。
「ホロメモリー・クリスタル?」
「おや、ご存じでしたか」
「少しだけ。銀河標準のデータ記録装置で、地球への輸入は禁止ってくらい。なんで校長先生の猫に?」
「複数の人間を流れていくうちに、なぜかあんな風に細工されてしまったようです。校長先生は使い道を知らないでしょう」
「じゃあ、ニセモノの首輪つかまされても……」
「気付かないでしょうね」
 首輪を小さなケースへ手早くしまい込む。
「で、それの使い道って?」
「さあ」
 微笑む三船。
「わたしも知りません」
「やれやれ。あたしはどんな陰謀の片棒担いじゃったんでしょ」
 奈々はパフェをひとくち食べた後、スプーンを振って抗議する。
「ていうか、金と権力系のお仕事は請けないって言いましたよね」
 三船が突然、その手を両手で包み込んだ。
「有瀬さんには、非常に感謝しております」
「え、あの」
 顔を赤らめ、奈々は固まる。
「これからもよろしくお願いいたします。有瀬さん」
「あ、は、はい。まったくもう、しょ、しょうがないですねもう。えへへへへ」
 だらしなく笑う奈々。
 これでもアルセーヌ・ルパンの子孫で現役の怪盗なのだが、今は特にそんな風には見えなかった。




「さて、と」
 三船がコーヒーを飲み終え、立ち上がった。
「ええー、もう帰っちゃうんですか?」
「予定が入っていまして。ゆっくり食べてください」
 テーブルから伝票を取り上げる。
「あ、そうだ」
 急いでパフェをかきこんでいる奈々を見て、言う。
「今回の仕事に関して、ちょっと合点のいかない点があったのですが」
「なんです?」


 その頃、銭形は自分の机に頬杖を突き、むっつりと黙り込んでいた。
 誰もが遠巻きに見守る中、若いエリート女性刑事が果敢に突撃を試みる。
「警部」
 銭形は答えない。
「警部、元気出してくださいよ。ルパンには確かに逃げられたけど、猫は盗られなかったじゃないですか。校長先生も感謝してたでしょ?」
「ふん」
 ぎし、と椅子をきしませて、銭形が背もたれに寄りかかる。
「お前にわしの気持ちがわかってたまるか」
 刑事が抗議しようと口を開いたが、
「それにな、考えておっただけだ」
 と銭形が言ったので閉じた。
「どうもおかしい。ひとつだけおかしなところがある」
 またも考え込み、両腕を頭の後ろに回した。


「階段です」
 三船が指を立てる。
「はあ。えーと、学校の?」
「ええ。スミレさんが確かに十三段あった、と言っているのですが。どうやって階段の段を増やしたのかと思いまして」
 スプーンをくわえたまま、黙り込む奈々。
「些末な事ですが、考えてもわからなかったのです。ホロチップのホログラムでは実体が無いので無理でしょうし。どのようなトリックを使われたのですか?」
 ゆっくりスプーンを口から抜いて、奈々は言った。
「あたし、そんな細工してませんけど」
 場を沈黙が支配した。
 青い顔の奈々の前で、三船がちょっと後ろに引いた。
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Date:2014/05/20
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