明日から書く。

□ 荒川アンダー ザ ブリッジ □

夢と現(うつつ)

 目覚ましが鳴って、わたしは手を伸ばした。
 三年も使ってすっかり鈍くなったスイッチをバシバシと三度叩き、音を止める。
 ベッドからゆっくりと身体を起こし、辺りを見回す。
 女の子の一人住まいにしては、ちょっと散らかったアパートの六畳間。
 両手で顔を覆い、はああ、と自然に大きなため息が漏れるのを聴く。
 また、戻ってきてしまったのだ。
〈こちら側〉に。
 
 
 シャワーを浴びてスーツを着てメイクをして、鏡の前でチェックをして、家を飛び出す。
 おっと、窓際のプランターに水をやるのも忘れない。
 こういうとき、一連の動作を身体が覚えてくれているのがありがたい。
 あちら側では、そもそもどこかに移動すること自体が少ないのだ。
 冬以外は。
 満員電車に耐えて、一駅乗り換えて、また満員電車。
 携帯でニュースをチェック。『〈現実感喪失症〉患者……不思議な共通の夢』
 へえー、おかしな世の中になったもんだなあ。
 なんか「新型MRIを使った夢治療」の影響じゃないかって。
 ……うちの会社、大丈夫かな? 大丈夫だよね。
 その後はバスに乗る。
「おーい、P子」
 奧のほうから声がしたので見ると、ニノがこちらに手を振っていた。
 もちろんスーツを着ている。会社に行くのだから当たり前だ。
 バスが停車し、座っていたおばさん二人組が降りたのを見計らって、そこに並んで座る。
 ニノはパンツスーツ姿。出来る女、って見た目。実力通りの印象だ。
 ほんと、ニノは何を着ても似合う。ジャージでもなんでも。
「どうしたの? じろじろ見て」
 ニノにくすっ、と微笑まれた。やば。
「う、ううん別に。なんだか久しぶりな気がして。並んで座るのが」
「あー、そうかもね。わたしが部署移ってから、そういえばちょっと経つもんね」
「そうそう」
 よかった、わたしはまだ、〈こちら側〉に馴染むことが出来る。
 バスは会社の一つ前の停留所で停車した。
 おじいさんを一人降ろして、すぐに発車する。
 そうだ、会社に着いちゃったら、ニノにはもう会えないんだ、と気づいた。
 こちら側で聞きたいことがあったら、もう聞かないとダメなんだ。
 外の景色を眺めているニノに、思い切って声をかけてみる。
「ねえ、ニノ?」
「ん?」
 ニノはこちらを向いた。
 わたしが続けて何を言うかわかっていたら、こんなすました笑顔なんてしていられないだろう。
「わたしね、その……最近、変な夢を見るのよ。わたしとニノがね、なぜか荒川の河川敷で暮らしてるの」
 ニノの顔が一瞬、あっけにとられたようになる。
 でも、すぐ戻った。もとの柔らかい微笑みに。
「なにそれ。ホームレスってこと?」
「まあそう……なんだけど、暮らしには困ってないの。わたしが野菜を作ったり、ニノが魚を捕ったりするから」
 くすくす、とニノの口から上品な笑いが漏れる。
 魚なんてあまり食べなさそうだ。少なくとも頭からは。
「面白い夢だね。それで……?」
 なにがいいたいの?
 ニノの顔はそう言っていた。
 わたしの言いたかったことはこうだ。
 あなたも、こうやって〈あちら側〉と〈こちら側〉を行き来してるの?
 それとも、〈こちら側〉は夢で、本当はいま、わたしは寝ているの?
 それとも、夢なのは〈あちら側〉で……。
 プシューッ。
 気がついたら、バスは会社の前で停車していた。
 通路側に座っていたニノが、先に立ち上がる。続いてわたし。
 出口に向かって縦に並んで歩き出す。
 結局、言い出せなかった。
 だって、変な子だなんて思われたくないもん。
 なんだか〈こちら側〉って、あんまり自由じゃないよね。
 バスを降りる。
 いつもは、ここでバイバイ、と手を振って別れることになっている。
 でも、今日はちょっと違った。
「ねえ、P子」
 なんだかすごくマジメな顔で、ニノがわたしの瞳をのぞきこんできた。
 手を握られる。
 え、ちょ! なになに!? 急にドキドキな展開!?
 ていうかニノにそっちの趣味が!?
「どっちが好き?」
 え、申し訳ないけど、ノーマルに男性のほうが!
 わたしが明後日の方向の答えを考えているうちも、ニノは言葉を足していく。
「わたしはね、もうよくわからないんだ」
 握った手に、少し力が入る。
 なんてことだ、まさかニノがわたしをそんな風に見ていたなんて。
「気まぐれで作ったのに、案外気に入っちゃってさ。ああこういうのもいいな、って」
 うつむいて、何かを思い出しているみたいに見える。
 ここらでわたしも、ああ愛の告白じゃないんだ、と気づいた。
「……どういうこと? ニノ」
 ニノはぱっと顔を上げた。もういつもの笑顔になっている。
 手を離すと、腕時計の時刻を確認した。
「遅刻しちゃうね。じゃ、おさきに」
「え? ニノ!」
 呼び止めるわたしを無視して、ニノは走って行ってしまった。
 ねえ、いまの、どういう意味なの?
 
 
 わたしとニノが働いているのは、いわゆるIT企業ってやつで、しかもベンチャーって呼ばれる種類の会社だ。
 売りの商品は何かって言うと、新型のMRI、通称〈ブリッジ〉。
 いままでのヤツに比べて、もんのすごい性能が上がってるんだって。
 詳しく言うと……あー、ダメだ。開発部のニノだったら詳しく説明できるんだろうけど、営業部のわたしにとっては正直チンプンカンプンです。
 覚え込まされた決まり文句を駆使して、なんとか病院とかに売り込むのである。
 これは精神治療に革命を起こした機種です! とか、そんなん。
 なんか脳ミソが動いてる状態をものすごーく細かーく見れるんだって。
 おまけに、脳ミソの好きな部分に刺激を送ることだって出来ちゃう。
 さらに、〈ブリッジ〉同士でデータ交換だってできちゃう、らしい。
 結構な台数売れてるそうですよ。
 とはいっても……うーん、やっぱりよくわかってないんだけどね。
 よくわからないと言えば、今朝のわたしだってそうだ。
 あーあわたし、どうなっちゃったんだろう。
 大体〈こちら側〉とか〈あちら側〉ってなによ。
 ホントに今朝の携帯ニュースで見た、〈現実感喪失症〉かもしれない。
 主な症状が確か、「夢と現実の区別が無くなってしまう」ってやつ。
 ……はあ。
 ピッタリすぎる。
 マジでお医者さんにかかったほうがいいのかも。
 
 
 一日の業務を終えて、疲れたなーって肩を回しながら会社を出ると、なんとニノに捕まった。
「よっす」
 門のところにもたれて、軽く手を振るニノ。
 夕日を背負っているせいで、顔のところがだいぶ暗い。
「う、うん」
 わたしも手を振ると、ニノがこちらに歩いてきた。
 あれ、おかしい。なんだか、ニノが。
 がしっ、と手を掴まれた。
 なんだかニノが、怖い。
 
 
 わたしはニノに手を引かれて、会社に引き返していた。
 だいぶ早足なので、わたしは付いていくのがやっとだ。
「ねえ、ニノ」
 ニノはさっきから一言も喋らない。
「ねえ、ニノってば。どこに行くの?」
 聞いてはみたけど、でもわたしは大体わかってきていた。
 開発部、ニノの働いているところだ。それも、その実験棟を目指している。
 どんどん高度になるセキュリティをニノのICカード一枚で突破しつつ、わたしたちは廊下を突き進む。
 その間、ニノはこっちを振り向くことすらしない。
「ニノってば! ねえ!」
 ほとんど叫ぶように聞いてみると、ようやく言葉が返ってきた。
「P子はさ、どっちが本当だと思う?」
「え?」
 すっごく切迫した声なのに、言ってる意味がわからない。
 ニノは聞こえているのかいないのか、問いかけを繰り返す。
「どっちを本当にしたい? 早く決めて」
 どっち? どっちってなにが? わからないよ!
 最後の扉を開けると、目の前では小さめのMRIが、うおんうおんと音を立てて待っていた。これ、〈ブリッジ〉だ。
 広い部屋で、その横にも同じ〈ブリッジ〉が五、六台置いてある。でもそちらは静かだ。
 ぐい、っと強く手を引かれた。痛い! 痛いよ、ニノ!
 そのまま、動いてる〈ブリッジ〉のベッドに押し倒される。
 手とか足とか頭とかが、手際よく固定される。
「これ、なんなの? なにをしてるのよ、ニノ!」
 半分パニックになってるわたしに対して、恐ろしいほどニノは冷静だ。
「ごめんね、P子。まさかあなたを残してたなんて」
 残してた? 残してたってなに?
 ニノはすぐMRIのある部屋を出て、ガラス一枚隔てた制御室に入った。
 スピーカー越しにニノの声が聞こえてくる。なんだか急いでいる。
『P子、決まった?』
「決まったって、なにがよ! わからないよ!」
 急に、静かになった。
 たっぷり五秒経ったあと、答えが返ってくる。
『どちらの世界にするか』
 せ、世界?
 ちょっと待って、ニノ!
『アパートで暮らすか、河川敷で暮らすか。会社員か、ホームレスか。どっち?』
 今度はこちらが黙る番だった。
 
 
『他の〈検体〉……つまり患者さんは、もう選び終わったところ』
「〈検体〉ってなんなのよ!」
 ふう、とため息が聞こえた。すごく痛くて苦しいとき、それをガマンしているような。
『〈検体〉はみんながそれぞれ、病気を抱えていたの。例えば誇大妄想とか強迫性障害、パーソナリティ障害……その治療のために、この〈ブリッジ〉を使った』
 つまり、精神病の患者さんのこと?
 話しながらもニノの手はものすごく素早く、色々な機械を立ち上げたり、操作したりしている。
 わたしの寝ているベッドが動いて、頭をドーナツ部分に運んでいく。
「なにをしてるの、ねえ、ニノ!」
『箱庭療法の発展版を試したの。そこに並んでる〈ブリッジ〉で〈検体〉の脳に刺激を送って、シミュレーションの〈共有夢〉の世界で遊んでもらっていた。実験は問題無く進んで、経過も良好だった』
 ニノの手が止まった。哀しい声で、わたしに問いかける。
『あなたもそこに居たんだよ? わたしの助手役。覚えてないの?』
 わたしはもう、叫んだりしなくなっていた。思い出していたからだ。
 だって今朝だって、その〈共有夢〉の世界の夢を見ていたんだ。ややこしいね。
 そう、荒川河川敷……野菜畑や村長やリクくんやニノや星やシスターや鉄人兄弟や……みんなと遊んでいたころの夢を。
「思い出したわ。でも、もう終わったんでしょう?」
 わたしの治療は終わったはずなのに、なんでここに戻ってきてるの?
 ニノがおでこに手をやって、苦しげに息を吐き出した。
 頭が痛いのかな。それとも、何かに罪悪感を感じているとか?
『終わってなかったのよ。いえ、正確には、新しい現象が起こったの』
 こちらにひた、と目をすえて、言い足す。
『二つの世界の往復』
 わたしはぞくっとして、身を縮めようとしたけど無理だった。
 身体はしっかり拘束されていたし、頭の周りではドーナツがうなりを上げている。
『世界Aで寝ると、世界Bで起きる。世界Bで寝ると、世界Aで起きる。この繰り返し』
 ニノがまた何かの操作をすると、ドーナツのうなりがいっそう甲高くなった。
 覚えてる。これは〈共有夢〉の世界、荒川河川敷へトリップするときの音だ。
「それって、〈共有夢〉を覚えてるってこと? だったら、じきに忘れて」
『そうじゃないの。……もっと、事態は奇妙で、しかも深刻なの』
 ふう、と三度目のため息が聞こえて、まるで罪を告白するような感じで、ニノが言った。
『〈現実感喪失症〉はね、わたしとあなたが原因なのよ』
 え、なんで? そんな事あるわけない。
『わたし達が二つの世界を往復して、境界をかき乱しているせいなの。患者さんが全員、同じ世界の夢を見ているのが証拠……教えてもいない、荒川の河川敷の住人を知ってるのが証拠』
 いったい、ニノはどうしてしまったんだろう。
 わたしはまず、そういうことを考えていた。疲れてるを通り越して、もう……。
 刺激しないほうがいいかもと思ったけど、でも気づいたら聞いていた。
「だって、〈共有夢〉はただの夢じゃない!」
『そう、わたしもそう思ってた。でも違ったの。……そもそも現実って何だと思う?』
 わからない。そんなのわからないから、早くここから出して。
『最終的にわたしがたどり着いた結論は、一人だけその世界に居ればそれは〈夢〉、複数が一緒に居ればそれは〈現実〉なんじゃないかってこと。その理論に従えば、〈共有夢〉は紛れもなく現実で、〈ブリッジ〉で何度も二つの現実を移動してたことになる』
 ここから出られたら、真っ先にニノを入院させなくちゃ。
 典型的な妄想の症状だもの。
『そのせいで二つの現実は混じり始めていて、とても不安定になり始めているの。P子、あなたは知らないと思うけど、物理定数だって怪しくなってきてる。起こりえない状況がどんどん発生して、ありえない物質がばんばん生まれてる。このままだと、現実は……』
 ニノが肩で息をするような大きな音を立てて、しばらく息を整える。朝はあんなに普通だったのに。
 でもそういえば、目の下にパウダーで誤魔化されたクマがあったような。
 そうだ。ニノもわたしと同じみたいに〈こちら側〉と〈あちら側〉を行き来していたんだ。
『あなたが決めたら、わたしも従うわ。あなたがトリップしたら、わたしもそうするし、トリップしないならわたしも止めて、二人で断眠療法に入る。どっちにしても、それで二つの世界は元通りになるはず。いい?』
「すぐに決めないといけないの?」
『すぐよ、すぐに! もうその機械だって信用できるかどうかわからないくらいなの! 早く現実をどちらかに固めないと、破滅しちゃうのよ!』
 ただ困惑するわたしの目の前で、何かが起こった。
 空気があるだけだったところがグニャリと歪むと、緑色に染まり始めた。
 緑色の固まった煙は形を変えて、とうとう。
 ピーマンになって、わたしの頭に落ちてきた。
「いたっ」
 紛れもなくピーマンだった。食べてはないけど、重さも弾力もそうだ。
 いったい、どうしてこんなことが起きるの?
 部屋全体に、煙が充満しつつあった。
 緑色の煙が何枚かの壁のように、天井から床まで伸びている。
 近くの壁には、緑の中にところどころ赤い部分がある。
 あ。これ、トマトだ!
 見る見るうちに、MRI室は野菜農園に変わっていき始めていた。
 そんな。これ、わたしの夢があふれて!?
『早く決めて! うわ、魚!?』
 ニノのほうも大変なことになっているらしい。
 もうこうなったら、どっちの世界に居ても同じじゃない、とも思ったけど。
 わたしは決断した。
 
 
 目を開けると、まぶしい青空があった。
 野菜農園の近くで寝てしまっていたらしい。
 よいしょ、と身体を起こすと、頭に大きなタンコブがあった。
 そして足下にはバナナの皮。
 あはは、と乾いた笑いを漏らす。これで大体状況がつかめるのもどうかと思う。
 それにしても、変な夢を観てたなあ。
「おーい、P子」
 川のほうから声がしたので見ると、ニノがこちらに手を振っていた。
 もちろんスクール水着を着ている。魚を捕るのだから当たり前だ。
 すでに川岸には、大小様々な魚の山が築かれていた。
 二人で並んで川岸に座って、休む。
 ほんと、ニノは何を着ても似合う。パンツスーツでもなんでも。
「どうしたんだ? じろじろ見て」
 ニノに怪訝な視線を送られた。やば。
「う、ううん別に。なんだか久しぶりな気がして。ここに並んで座るのが」
「ああ、そうかもな。P子は冬の間ここを出てたしな」
 それきり黙って、空を仰いだ。
 わたしはうーん、と伸びをして、風が気持ちいいな、と思った。
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Date:2014/05/15
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